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タイム・カプセルと万国博覧会

アジアで初の日本万国博覧会

開催の経緯

1851年、イギリス・ロンドンで世界最初の万国博覧会が開催され、ガラスと鉄骨とで造られた巨大な「水晶宮」が、機械文明の幕開けを告げた。それからおよそ120年、万国博覧会は、人類文明と世界平和促進への大きな節となる国際行事として、欧米の各地で次々に催されてきた。1867年からこれに参加した日本も、自国における開催を数度にわたって希望し、一度は1940年に開かれることが決定していたが、日中戦争(1937年)という社会状況によって立ち消えになっていた。ようやく1965年9月14日、BIE(国際博覧会事務局)理事会において、その申請が承認され、第二次大戦後3番目の第1種一般博覧会として日本での開催が確定した。アジアでは初めての万国博覧会であった。

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会期は183日間

準備運営の事務については、石坂泰三氏を会長とする財団法人・日本万国博覧会協会がこれにあたった。日本万国博覧会名誉総裁に皇太子明仁親王殿下、名誉会長に佐藤内閣総理大臣を推戴(すいたい)した。

会場は、大阪府吹田市山田下の千里丘陵

会期は、1970年3月15日(日)から9月13日(日)までの183日間

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統一テーマと意義

政府は茅誠司氏を委員長とする代表的文化人18名からなるテーマ委員会を結成し、その結果「人類の進歩と調和」という日本万国博覧会の基本理念を提唱した。これは、栄光ある文明の進歩とともに、その側面の矛盾やひずみに目を向け、より高次の知恵を発揮してこそ、真の人類的幸福を追求できるという信念に基づいたものである。また、サブ・テーマとして、

  1. よりゆたかな生命の充実を
  2. みのりの多い自然の利用を
  3. より好ましい生活の設計を
  4. より深い相互の理解を

の四つが挙げられた。

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会場施設

シンボルゾーン

会場は、建築家の丹下健三プロデューサーを中心に建設された。330万平方メートルの会場の中央口から南北に伸びる「シンボルゾーン」には、高さ60mの「太陽の塔」が立ち、塔内は地下−過去(根源の世界)地上−現在(調和の世界)空中−未来(進歩の世界)という3段階の展示によって、生命の誕生から進歩の過程を示し、人類の尊厳と無限の可能性を力強く訴えた。ポリエステルフィルム製の大屋根で覆われた「お祭り広場」では、式典のほか、世界中のショーが披露され、各国、州、都市のナショナルデーには、民族色豊かな催しが繰り広げられた。

その他、水上ステージ、万国博ホール、古今東西の名品を集めた万国博美術館などが、このゾーンの主なものであった。

展示館

45万平方メートルを占める展示地区には、日本を含め77か国の政府館と、松下館などの33の民間企業館(国内民間・公共企業館31館と海外民間企業館2館)が、広場方式で建設された。その他、さらに海外から国際連合、経済協力開発機構、欧州共同体、アジア開発銀行の4つの国際機構団体、10の州や都市が参加し、前回のカナダ・モントリオール万国博の参加国61か国を大きく上回るとともに、アジア、アフリカ諸国の参加が目立った。ソ連館の宇宙開発や、アメリカ館の月の石の展示をはじめ、各パビリオンも最新の技術を結集して展示に趣向を凝らし、特に、映像を主体とした動的な演出が全体の70%を占めた。

入場者

183日間の総入場者数は64,218,770人で1日平均350,922人。最高人場数は9月5日(土)の835,832人最低は3月16日(月)の163,857人だった。総入場者数のうち、日本人は、約6,251万人(97.4%)、外国人は約170万人(2.6%)で、日本人の中では、22歳以下の若年層が41.2%もあった。

こうして日本万国博覧会EXPO'70は、5か年の準備期間と2千億円の費用(関連工事を含めると1兆円)をかけ、日本を含めて77か国が同一テーマのもとにアイデアを競い、延べで日本全国民の半数以上を動員するという史上最大の記録となった。

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伝統と開発の松下館

出展テーマ

伝統文化は、長い歳月の間に次々と受け継がれながらその時々に花を咲かせてきた。

今日、日本人が祖先から受け継いだ伝統文化、たとえば、風俗や習慣、謹勉さや強い研究心、さらには建築や工芸などに見られる新しさ、美しさ、強靱(きょうじん)さは、日本が世界中に誇り得る宝物として、後の世に伝えていかなければならない。同時にまた、これらの良い伝統の上に立って、新しい未来を開く科学技術の開発も、日本のみならず世界の繁栄と進歩のために、積極的に推進していかなければならない。

このような観点から、松下グループは、松下館の出展テーマを「伝統と開発−5,000年後の人びとに−」と決めた。そして「伝統」の姿は、松下館の天平風の堂宇、竹、水それにお茶のお点前の静かな美しいたたずまいの中に求め、「開発」は5,000年後の人びとに残すタイム・カプセルEXPO'70による科学の挑戦という形で示した。

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伝統の日本建築

松下館は、日本万国博覧会会場の南西端、西口に近く位置し、敷地面積は 10,313m2で、日本政府館、ソ連館、アメリカ館に次ぐ広さをもった出展館の一つであった。道路に面した入口側を除く周囲を、約1万本のもうそう竹がうっそうと取り囲みその内側には人工池が、敷地面積の約半分にあたる5,000m2を占めていた。松下館の建物は、この池の中に建てられた2棟(とう)からなり、建面積2,748m2(前棟1,416m2、後棟その他1,234m2)、天平時代(西暦729〜767年)の建築様式を取り入れた堂宇で、屋根の棟(むね)の高さは18.4mあった。堂宇は鉄骨造りで、破風の付いた軒の深い、胴葺(ぶ)きの入母屋(いりもや)の屋根を支え、外装はスチール・サッシに乳白色ガラスをはめていた。松下館の外観は、さながら浮御堂(うきみどう)のような2棟の建物が竹林と一体となって池面に映り、さわやかな葉ずれの音とともに、他のパビリオンでは感じられない、日本古来の伝統の閑静な美しさを見せていた。そして、日中は、端麗(たんれい)な屋根のりょう線と、優雅な障子風の璧面が陽光に映え、夜間になると、光る壁が、水面に幽玄な姿を浮かべた。

  • 松下館建築設計・監理 日本芸術院会員 吉田五十八
  • 建築施工 (株)大林組・鹿島建設(株)・(株)竹中工務店
  • 照明設計 松下電器産業(株)照明研究所
  • 音響設計 松下電器産業(株)音響研究所

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タイム・カプセルを展示

松下館へは、正面道路から前棟正面入口に架けられた橋を渡って入る。前棟はタイム・カプセルEXPO'70に関する展示場である。入口を入ると、館内中央にタイム・カプセルEXPO'70本体が置かれ、正面の壁面には埋設状況の模型、左右の壁面にはグラスファィバーの先端が色変わりして光るいくつかの装飾展示物が設置されていた。

階は吹き抜けになっていて、1階、2階、3階、天井を見上げると、大星雲を思わせるシャンデリアと、無数の星のまたたきに似せた特殊照明があり、館外の現実とは一変した未来のふんい気を感じさせていた。エスカレーターで一挙に3階へ昇ると、どこからともなく響く未来音響。3階正面は天と地の融合する水平線から昇る太陽を写した大写真。そして床のタイム・カプセルのモニュメントがある。回廊の壁面にある、タイム・カプセル開発技術の展示を見ながら2階へ降りていくと、正面に収納品が陳列されている。収納品は、一部はガラスだなに納め、一部は壁面にエンドレスの仕掛けで動かせて見せていた。また壁面左右の映写幕に収納品の映画を写し、音の収納品も、「ボイス・ビション」という特別な装置を作って聞かせていた。回廊のもう一面には、字宙関係の収納品や児童画が飾られていた。

そのまま順路を進むと、前棟を抜けて渡り廊下へ出、窓ごしに竹林と水際の石を眺めながら、後棟の休憩ロビーに至る。後棟は前棟と違って、前面はロビーから窓ガラス越しに外を見ることができる。反対側は、別に仕切られたた数奇屋風のお茶室「万松庵」があり、希望する人は、茶菓券(100円)を買ってお茶を味わうことができた。

そして後棟を出ると、橋があり、右手には小さな滝が岩をかんで落ちている。ここから深い竹林の中をうねる100mの道は「5,000年の道」と名付けられ、竹に細工された音響装置によって、足もとからは季節に合った虫の声、頭上からは鳥の声を聞くことができた。

松下コンパニオンは総勢70人で、その制服は、松下電器産業(株)の一女子社員の提案を採用し、純日本調のきものを春用、初夏用、盛夏用と着用した。脱き着が簡単にてき、活動しやすいよう、きものデザイナー大塚末子が特に工夫したツーピース形式のきものである。全会期中を通じてコンパニオンが和服を着用したのは、これまでの万国博でも初めての例であった。

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来館者数

松下館を訪れる人は、開幕以来日を重ねるにつれてうなぎ登りとなり、その日本古来の美は、特に海外の入場者に大好評で、各国VIPからの感嘆に満ちた声がサイン帳に数多く残された。入館者数の調査によると、4月14日に100万人突破を記念、6月2日に300万人、7月19日に500万人、8月31日には、700万人を数えた。それぞれの番目に該当した入館者には、苗加修二館長より記念品が進呈され、幸運を祝いあった。最終的には、総入館者7,609,113人(うち、茶室の利用者は約63万人)に達し、全パビリオンの中でもトップ・グループに入る評価を得た。

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※本ページの内容は、タイム・カプセルEXPO'70記録書(1975年3月発行)を引用して掲載しています。社名や組織名など現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。


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