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埋設地 歴史の舞台で眠るカプセル

過去、人類文化の長い歴史を振り返ってみても、タイム・カプセルEXPO'70ほど、明確な意図をもち、長期保存に注意が払われ、幾重にも厳重に保護されて残されている文化遺産はないといえる。

埋設地の選択は、自然のもたらす天災、人間のもたらす人災、そして第2号機を毎世紀ごとに開封・再埋設するうえでの管理上の便宜という観点から慎重に検討されて、大阪城公園と決められた。

大阪城は、日本の歴史上由緒ある城で、天正11〜13年(西暦1583〜1585年)、石山本願寺の地に、豊臣秀吉が築城したものである。元和元年(1615年)大阪夏の陣で落城し、江戸時代は幕府が上方(かみがた)以西を支配する拠点とした。現在は、昭和6年(1931年)再建した天守閣その他が残っている。

タイム・カプセルEXPO'70は、この天守閣の中心からほぼ真南約133mの地点の、地下8〜15mの粘土層に上下独立して埋設された。下部の第1号機は、外部からの影響を最小限に防止するため、ステンレス鋼の埋設管(密閉型円筒形容器)に入れ、さらに3層のコンクリート保護体で包んでいる。

カプセル本体と埋設管との間には、直接の接触を防ぎ、ショック緩和の意味も含めて、乾燥した精製けい砂を詰めている。また、埋設管とコンクリート保護体との間は、一種の防水の効果も期待して、良質のベントナイトを詰めた。ただし上部の第2号機は、開封・再埋設の便を考えて、第1号機に比べてコンクリート保護体を簡易化している。

埋設溝(こう)の掘削は、地盤保持のためドリル工法をとった。直径46cmの鋼管パイルおよびダブルソイルパイル各20本で土留めして掘り下げ、埋設後、上砂を埋め戻した。

モニュメントは、大阪城天守閣との調和を考えた形状が重視され、地表97cmの高さで、ステンレス鋼製の中央半球部と正方形台座とからなっている。

埋設について

5,000年の長い眠りにつくタイム・カプセルEXPO'70の埋設場所をどこにするか、どのような方法で設置するか、その場所をどのようにして後世へ伝えていくか、こうした問題が、取り組むべきものとしてひかえていた。これについて、技術委員会が全責任をもって事にあたり、関係小委員会の提案に基づいて開発本部がその実行にあたった。

埋設地点は大阪城公園内に定まり、埋設構造の設計完了とともにその実施に全力をあげた。日本万国博覧会が終了した年の1970年10月1日、工事に入り、1971年1月20日、下部の第1号タイム・カプセルの埋設が終了、ついで同年1月28日、上部の第2号タイム・カプセルが埋められ、その上に記念碑が設置されて、1971年3月15日の完工式で埋設関係はいっさい完了した。

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埋設地点

タイム・カプセルEXPO'70をどこに設置するのがよいかについては、多くの議論があった。日本アルプスの岩盤中、北海道のどこか、あるいは月、南極、海中など、きわめて興味深い案が数多く出されたが、結局は、日本万国博覧会にゆかりのある場所を中心に、これに地質学的検討を加え、社会的な背景等を考慮して決めるよう技術委員会に委託された。

最初の候補地として、万国博の開かれた千里丘陵が挙げられた。地質、地殻変動の点からもここは申し分ない地点だった。しかし、この地は、万国博以後、都市開発の波が急激に高まるであろうということが、致命的な欠点となった。タイム・カプセルの静かな眠りが、比較的近い将来に妨害される恐れがあるかもしれないからである。

その次に、同じく万国博にゆかりのある地、大阪の、しかも歴史的にも意味のある大阪城公園が候補地となった。この地は、地質学的には千里丘陵よりやや新しいが、少なくとも過去数千年間、海または川の底であったという記録はなく、大阪平野の中で最も安定した地層の一つであることがわかっている。しかも、1970年現在、大阪市の所有地であって、文化庁より特別史跡に指定されており、無用の改変は許されない。したがって、都市開発の影響がここに波及する恐れは、千里丘陵万国博跡地に比べてはるかに少ないことが、非常に有利な条件であった。念のためボーリングによる土質調査を行って、この地点の良好なことを確かめ、1969年2月28日の技術選定の合同委員会においてこの場所に埋設することに内定し、当局との折衝を経て、同年3月24日、文化庁より正式の許可を得て最終的に決定した。

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埋設の方法

タイム・カプセルEXPO'70は、周囲温度の変化をできるだけ少なくするよう地中8〜15mの深さに埋設することになった。この深さでは、夏冬にかかわらず、17°C±1°Cの一定温度が期待されるからである。

さて、タイム・カプセルをその深さにどのような構造で埋設するかということが、埋設関係の最大の問題であった。井戸形式、すなわち堅固な構築物を地中深くまで建造し、その内部にタイム・カプセルを静置する方法も検討された。この方法は、中空の場合、5,000年に完全に耐えうる保証のある構築物を作るのがきわめて困難であること、それが不測の事故で破損した場合にはカプセル本体に無用の衝撃が加わること、などに難点があるので採用されなかった。結局、地中に埋設するならば、むしろ土中に直接埋設されるのに近い構造をとる方が望ましいということになった。地震等の外部衝撃も、独立建築物よりはすっと緩和されるからである。この方針にそって埋設が実施された。外部よりの影響を考え、まずカプセル本体を埋設管(ステンレス製の密閉型円筒形容器)に入れて密封し、さらに保護体(コンクリート構造物)で包んで粘土層内に埋設した。埋設管とカプセル本体との間には、直接接触を防ぎ、ショック緩和の意味も含めて、乾燥した精製けい砂を充填(じゅうてん)してある。また埋設管とコンクリート保護体との間は、一種の防水の効果も期待して良質のべントナイトを充填した。コンクリート保護体は3層で各層はショックベトン法、または遠心力締め固め法によってコンクリートを用い、継ぎ目には膨張セメントを詰めて、できる限り水分の進入を防ぐ構造にした。ただし、途中開封する上部の第2号カプセルは取り扱いの便宜を考えて、埋設管までは同一であるが、コンクリート保護体は簡易化した。

上、下のタイム・カプセルはおのおの独立的に埋設し、それぞれのコンクリート保護体の周囲は、適当な粒度分布をもつ、精選された砂で理め戻した。埋設構造断面図(18ページ参照)の一番外側に見えるコンクリート構造物は、穴を掘る際の土止めのオーガーパイルであって、一時的なものであり、長年の問に劣化して土に化しても差し支えないものである。上下独立構造は、地震等による地殻の変動があった場合の強大な土圧に対して一体構造にしておくより有効と考えたからである。なお、地表近くには、タイム・カプセルの開封解説書を納めたステンレス製の保存容器を埋めてある。

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モニュメント

埋設地点は、この記録書にも明記されており、したがって全世界に報告されることになるが、端的にその地点を示す何らかの記念碑も必要である。そこで、文化財にふさわしく、またその地点の周囲の状況にもよく調和するモニュメントを設計・製作することになった。場所的にみて大阪城公園の一角であり、そこには天守閣がそびえている。それを背景としての理想的な高さ、大きさなどについて関係当局との間の話し合いの後、形状が決定された。モニュメントは、地表より96cmの高さで、直径1.8mの中央半球部と、下部の広がった正方形の台座とからできている。なおこの部分は、カプセル本体にふさわしくステンレス鋼で作られた。これが6m平方に敷きつめられたポルトランド産花こう岩の中心部の、その表面より19cm高くなったこれも花こう岩の座の上に設置された。この花こう岩の座および敷石は、タイム・カプセルの周囲の埋め戻し部分を覆って余りがあり、カプセル位置への雨水などの直接的な進入を防げるようになっている。モニュメントにもタイム・カプセル保護の一翼をになわせたのである。

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図面

第1号機コンクリート保護体図

  • 膨張セメント使用
    2, 4, 5, 7, 9, 13, 14, 16, 17, 18, 20
  • 遠心力締め固めコンクリート使用
    3, 10
  • ショックベトン使用
    1, 6, 15, 19

第1号機コンクリート保護体図

  1. 外底板セット
  2. 置きモルタル
  3. 外管セット
  4. 流しモルタル
  5. 底現場打ちコンクリート打設
  6. 5が硬化しない間に内底板セット
  7. 流しモルタル
  8. 配筋
  9. 置きモルタル
  10. 内管セット
  11. タイム・カプセルセット
  12. ベントナイト充填
  13. 中間部コンクリート打設
  14. 置きモルタル
  15. 13,14の硬化しない間に内ぶたセット
  16. 流しモルタル
  17. コンクリート打設
  18. 置きモルタル
  19. 外ぶたセット
  20. モルタル注入

第2号機コンクリート保護体図

第2号機コンクリート保護体図

埋設構造断面図

埋設構造断面図

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※本ページの内容は、タイム・カプセルEXPO'70記録書(1975年3月発行)を引用して掲載しています。社名や組織名など現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。


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