モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展

展覧会のみどころ

1. 暮らしの夢を託した名作椅子が集結!

剣持の籐丸椅子、ナカシマのコノイド・チェアのほか、井上、タウト、レーモンド、ノグチそれぞれが日本のモダンな暮らしに最適なデザインを探求した名作椅子約35点を展示します。

2. 工芸からプロダクトへ。
日本に工業デザインの基本を初めて教えたタウトによる工芸品

タウトは椅子や照明器具など生活用品の量産にあたり、そのお手本となる原型をつくるという、デザインの基本的な考え方を日本人に初めておしえました。工業生産の本格化以前に、日本の手工と素材を活かしてつくられたタウトの工芸品を展示します。

3. 木造住宅をモダンにした憧れのレーモンドスタイル

アントニン・レーモンドはチェコに生まれ、アメリカと日本で生活し、日本のモダニズム建築の礎を築きました。展覧会では妻ノエミと共にライフスタイルを提案した作品を中心にご覧いただきます。

4. 柱・梁・床で構成された日本の伝統的空間をモチーフにデザインされた展示空間

これまで数々の建築展に携わり、2019年度日本建築学会賞(文化)を受賞した前田尚武氏が会場構成を手がけます。建築展キュレーションと展示デザイン。二つの立脚点からギャラリートークも行います。

第1章 ブルーノ・タウトと井上房一郎たち「ミラテス」を中心に

ドイツで活躍していた建築家ブルーノ・タウトはドイツの政情不安から、建築家の上野伊三郎や本野精吾らが参加する日本インターナショナル建築会の招きを受けて1933年に来日しました。そしてトルコに向けて離日するまでの3年半を、最初仙台で、続いて群馬県高崎で工芸のデザイン指導と執筆活動に費やし、日本の知識層に大きな影響を与えました。この章では、高崎の文化のパトロンであった井上房一郎が、軽井沢と銀座に開店した伝説の家具工芸店「ミラテス」で扱ったタウトのデザインによる生活用品と、『画帖-桂離宮』(1934年)を展示します。また来日中に竣工した建築作品「旧日向別邸」も紹介します。

ブルーノ・タウト
《卵殻螺鈿角形シガレット入れ》1935年、
群馬県立歴史博物館蔵

第2章 アントニン&ノエミ・レーモンド

井上房一郎と深い親交を持った、もう一組の建築家を紹介します。1924年の都内の自邸で、世界初のコンクリート打ち放し仕上げの住宅を実現し、日本の近代建築を牽引したチェコ出身のアメリカ人建築家アントニン・レーモンドと、その妻でフランス出身のインテリア・デザイナーのノエミ・レーモンドです。二人の協働作業は、暮らしへの愛着の感じられる広々とした平面や、中庭のとりこみ方に特徴のある「レーモンドスタイル」と言われる木造住宅作品によく表れています。日本の伝統建築の要素も取り入れた上質な生活空間は人々を魅了しました。「笄町自邸と井上房一郎邸」「新スタジオ」といった代表作を、戦前からの手書きの美しい図面や家具を多数展示してご紹介します。

アントニン・レーモンド
「新スタジオ」1963年,
撮影:斎藤さだむ

第3章 剣持勇の「ジャパニーズ・モダン」

剣持勇は1933年、勤務先の商工省工芸指導所に顧問としてやってきたタウトに、家具デザインの原点を教えられました。戦後は海外のデザイン界と交流する中で、日本の現代の生活と工業、手工から生まれるデザインのあり方を考え「ジャパニーズ・モダン」を提唱しました。剣持勇の作品には素材の探求や手触りへのこだわり、大胆なデザインと繊細なディテールの共存といった特徴が見られます。

1955年、デザイナーとして独立後は、事務所の1階に自身のデザイン商品を展示販売する「リビングアート」を併設しました。その試みは、デザインの先にある、消費や暮らしまで見つめた「生活のためのデザイン活動」でした。家具のデザインから、建築家と協働しアートをとり入れた後年の大規模プロジェクトまで紹介します。

剣持勇
《柏戸椅子T-7165》1961年、
松戸市教育委員会蔵

第4章 ジョージ・ナカシマと讃岐民具連

日系二世アメリカ人のジョージ・ナカシマは、アメリカとフランスで建築を学んだ後、1934年から5年間東京のレーモンド建築事務所に勤め、聖ポール教会(現軽井沢聖パウロカトリック教会)、インドの宗教家シュリ・アウロビンドの共同体の建設現場監督の仕事を担当しました。その後、建築を離れ家具作りに転向します。彼の家具作りは、着想から最終的な製品に至るまでの全工程を管理し、手仕事の産業化を実践するものでした。1960年のコノイド・チェアは、片持ち梁を用いた複雑な角度を持つ彫刻的で画期的なデザインを特徴とします。1964年から彫刻家や職人たちが結成した高松の「讃岐民具連」に参加。一貫生産の木工業指導により高松で制作したミングレンシリーズも展示します。

ジョージ・ナカシマ
「コノイドスタジオ外観」1957年
Courtesy of Nakashima Foundation for Peace

第5章 イサム・ノグチの「萬來舎」とあかり

詩人の野口米次郎とアメリカ人の母との間に生まれ、両国の間で自らのアイデンティティを模索しながら、彫刻から舞台、庭園、家具のデザインと幅広く作品をのこしたイサム・ノグチの、1950年代前半の日本における制作活動を紹介します。1950年、イサム・ノグチは画家猪熊弦一郎の紹介で工芸指導所に剣持勇を訪ね、所内で家具や彫刻を制作。父・米次郎が教授を務めた慶應義塾大学に谷口吉郎が設計する(新)萬來舎で、インテリア、庭園のデザインと野外彫刻を担当します。岐阜提灯を照明彫刻へと発展させたあかりシリーズも展示し、日本文化へのまなざしと空間へのアプローチのなかから、暮らしとかかわる芸術として彫刻をとらえなおしたイサム・ノグチの制作をご覧いただきます。

イサム・ノグチ
《あかり33S(BB3スタンド)》1952年頃、
飛騨・世界生活文化センター蔵
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