サーリネンとフィンランドの美しい建築 展

展覧会の構成

プロローグ―サーリネンの建築理念を育んだ森と湖の国、フィンランド

展覧会の導入として、フィンランドの成り立ちと歴史、文化、自然を紹介していきます。フィン人は1155年以後スウェーデンの支配下にあり、「フィンランド」(フィンランド語では「スオメン・タサヴァルタ」通称「スオミ」)としてロシアから独立し建国を果たしたのは1917年のことでした。建国を後押ししたナショナリズムの高まりは、同時に、独自の文化と芸術を築こうとする情熱にもつながりました。サーリネンをはじめ芸術家たちにインスピレーションを与えた、壮大な民族叙事詩『カレワラ』に関する作品資料も展示します。

第1章 フィンランド独立運動期―ナショナル・ロマンティシズムの旗手として

20世紀の幕開けに大々的に開催された1900年パリ万国博覧会において、サーリネンは共同設計事務所の仲間ゲセリウス、リンドグレンとともにフィンランド館の設計を担い、一躍スポットを浴びました。本展では文献・資料調査をもとに模型をあらたに制作しフィンランド館をご紹介いたします。加えて、民族叙事詩『カレワラ』から着想された独特な建築装飾が美しいポホヨラ保険会社ビルディングや、貴重なオリジナル図面の展示でご紹介する、ナショナル・ロマンティシズムの代表的作品フィンランド国立博物館といった初期の大作に関する資料もご覧いただきます。

ポホヨラ保険会社ビルディングの中央らせん階段
Photo ©︎ Museum of Finnish Architecture / Karina Kurz, 2008

第2章 ヴィトレスクでの共同制作―理想の芸術家コミュニティの創造

ヴィトレスクは、彼らは設計事務所兼共同生活の場として、ヘルシンキ西方の美しい湖畔に設計されました。ヴィトレスクは自然のなかの暮らしの理想を体現しており、また、建築のみならず暮らしのデザインまで含めた総合芸術の作品でもありました。そこにはイギリスのアーツ・アンド・クラフツの影響もうかがわれます。ここはサーリネンの建築の原点であり、三人のうち唯一彼だけは、フィンランドを離れるまでの約20年もの間、自邸兼アトリエとして家族と住み続け、渡米後もほぼ毎年帰省しています。本展ではメインルームや寝室で用いられていたサーリネンのデザインによる家具を展示、加えてダイニングルームを空間再現し、ヴィトレスクを紹介します。

「ヴィトレスクは私たちにとって“家”というものが意味するものの全てだった。そこでピプサンとエーロが育ち、ロヤと私は、愛情を育み精神的に団結した。」(エリエル・サーリネン)
ヴィトレスクのサーリネン邸のダイニングルーム
Photo : Ilari Järvinen / Finnish Heritage Agency, 2012

第3章 住宅建築―生活デザインの洗練

サーリネンがフィンランド時代に手がけた住宅作品をとりあげます。ここには優美なインテリアデザインと、近代的な合理性が調和する、快適な内部空間の追求が見られます。詳細に描きこまれた室内の透視図からは、室内装飾も含めたトータルデザインが意識されていたことがうかがわれます。ヘルシンキ市内のウーロフスボリ集合住宅・商業ビルディングから個人の邸宅まで、写真や図面、建築ドローイングといった資料で洗練された生活デザインを紹介。またテーブルウエア、テキスタイル、家具といった暮らしを彩るデザインを併せてご覧いただきます。

エリエル・サーリネン
《スール=メリヨキ荘、広間の透視図》1902年、
フィンランド建築博物館

第4章 大規模公共プロジェクト―フィランド・モダニズムの黎明

1904年の設計競技でサーリネンが個人名で一等を獲得したものの、ナショナル・ロマンティシズムの作風による外観への反発によりデザイン論争が起きたため、10年以上もかけて設計変更を加えながら完成されたヘルシンキ中央駅の駅舎。中央の大きなアーチを持った入口、その両側のランタンを捧げ持つ巨人像、時計台などの造形からは、新しいフィンランドらしさの表現を、サーリネンが獲得したことが分かります。サーリネンはこの中央駅の設計に並行して駅周辺の整備にも携わり、これは独立後にヘルシンキ市全体の都市計画に繋がっていくこととなりました。また国会議事堂計画案、紙幣のデザインといったサーリネンが携わった国家的なプロジェクトも紹介します。

夜のヘルシンキ中央駅玄関、
エーミル・ウィークストロムによる彫像《ランタンを持つ人》
Photo ©︎ Museum of Finnish Architecture / Foto Roos

エピローグ 新天地アメリカ~サーリネンがつないだもの

1922年に実施されたシカゴ・トリビューン本社ビルの国際設計競技で2等を獲得し、1923年にアメリカへ渡ったことをきっかけに、サーリネンはモダニズムの潮流のなかで新たなデザインを模索し始めます。
そしてG.ブースが設立したクランブルック・エデュケーショナル・コミュニティの中心、実験的アートスクールの先駆であるクランブルック美術アカデミーでは、キャンパスの設計に携わるのみならず自ら教鞭をとり、1932年には学長に就任しました。その建築教育の成果は、息子である教え子でもあるエーロ・サーリネンに継承されます。
このセクションでは、サーリネンの渡米後の大作にその建築思想の完成形を探る他、エーロ・サーリネンによる家具を展示します。

エリエル・サーリネン
《シカゴ・トリビューン本社ビル国際設計競技応募案 透視図》
1922年、フィンランド建築博物館

展覧会のみどころ

1.フィンランドの独立の足がかりを築いた1900年パリ万国博覧会フィンランド館

サーリネン達が設計したフィンランド館はセーヌ右岸の万国通りに建てられ、東西約40メートル、幅約10メートルという規模で、中世の教会のような外観を呈していました。建築を装飾するのはクマ、カエル、リスといった自然界の仲間たち。本展ではCGと新作の模型で、このフィンランド館を再現します。

2. 英国アーツ・アンド・クラフツがかかげた理想を、北欧で現実のものとしたサーリネンの暮らしのデザイン

19世紀後半に、イギリスのウィリアム・モリスが理想とした中世風の手仕事による美しい暮らしの環境の実現は、その高い理想がゆえに矛盾をはらんでいました。しかし、サーリネンらの北欧デザインでは、芸術と産業の協働はみごとに生活のなかに結実したといえましょう。家具や陶磁器、テキスタイルなど様々な暮らしのデザインをご覧いただきます。

3. アアルトもあこがれたエリエル・サーリネン、彼が築いたフィンランドのモダニズムの原点

近代建築の巨匠アルヴァ・アアルト(1898-1976)に代表されるフィンランドのモダンデザインの原点を築き上げた、エリエル・サーリネン。彼が生み出したフィンランドの独自性を打ち出した格調高いデザインを多角的にご紹介します。

「その建築ドローイングは私に決して消えることのない印象を残した。それからずっと、エリエル・サーリネンの作品は私にとって特別なものになった。」(アルヴァ・アアルト、1946年)

4. 会場構成は気鋭の若手建築事務所、久保都島建築設計事務所が担当

会場は久保都島建築設計事務所(久保秀朗・都島有美)によるフィンランドの豊かな自然を象徴する「湖」をイメージしたデザイン。エリエル・サーリネンの建築の特徴である扉や窓の開口部にも注目し、デザインのモチーフにとりいれています。