エンジェルスボイス

ANGELS VOICE

パナソニックエンジェルスの選手たちの声をお届けしています。

INTERVIEW 内藤早紀子選手

境田 百花

内藤選手が大事にしている言葉です!

夢叶うまで挑戦‼

11年間、パナソニックの選手として活躍してきた内藤早紀子選手。
駅伝の魅力や、クイーンズ駅伝でのラストレースについて感じたこと、パナソニックエンジェルスでの思い出などをインタビューしました🎤

仲間の為に駅伝を走る

Q.駅伝に対する思い、駅伝の魅力について教えてください!

A.陸上競技は個人種目と思われがちですが、駅伝は長距離唯一の団体種目です。
駅伝は私にとって特別なもので、駅伝があったから私はここまで陸上を続けることができました。駅伝の魅力は自分の為だけではなく、みんなの為に走ることができることだと思います。

ラストレースへの思い

クイーンズ駅伝をラストレースと最終的に決めたのはトラック種目のラストレースであった9月末の全日本実業団陸上の頃でした。1月末の都道府県対抗女子駅伝と迷いましたが、最後はパナソニックのユニフォームを着て終わりたい、という気持ちが強くありました。自分が好きな駅伝で、最後は家族や友達、会社の方に応援してもらいながら走り終えたいという気持ちでクイーンズ駅伝に向かいました。

Q.3位入賞したクイーンズ駅伝ラストレースを終えて感じたことは何ですか?

A.私たちのチームが、3強と呼ばれるチームを中心とした上位のチームにどこまで食い込めるのかなと、楽しみな気持ちで当日を迎えることができました。
3位入賞できた時は素直にとても嬉しかったです。2018年に優勝した時とはまた違った嬉しさで、当時と同じくらい喜びが大きく、みんなのおかげでいい終わり方が出来たと感じました。

チームの力に、選手の為に

Q.駅伝を走れなかった時期もあると思いますが、その時どのような気持ちで駅伝に臨んでいましたか?

A.私が駅伝を走れなかったのは2014年、社会人2年目の時です。今まで当たり前のように選手として走ってきた中で、サポートに回った駅伝では少しでもチームの力になれるようにサポートをして、「何か選手の為に」という思いをもって取り組んでいました。
その時々はサポートを一生懸命することができましたが、レースが終わった後は終わった実感がないまま「駅伝が終わってしまった」という寂しい感覚と走れなかった悔しさが次第にこみ上げてきたことを今でも覚えています。

サポート経験を生かす

走れなかったときがあったからこそ「やっぱり選手として駅伝を走りたい」という気持ちが更に大きくなりました。
走れない選手の為に、チームのメンバーの気持ちも大事に思って走ろうと、今まで以上に思うことができるようになりました。
駅伝のメンバーとして選んでもらえた時は、自分だけのことを考えるのではなく、当日走れない選手のモチベーションや調子をどのように引き上げて、チームとして少しでもいい状態で当日を迎えられるかを考えるようになりました。

風通しの良いチーム作りへ

Q. パナソニックエンジェルスがクイーンズ駅伝優勝した頃にキャプテンを務めていましたが、苦労した事や頑張っていた事は何でしたか?

A.長年チームを支えてくださっていた先輩方が引退してチームから離れる時に、そのあとのチームは自分が引っ張っていきたいという気持ちが芽生え、自らやりたいと監督に伝えて、キャプテンを務めました。キャプテンを始めた頃は年上の方もいたけれど頼ることができず、後輩には負担を掛けられないという思いがありました。性格上抱え込みやすく、キャプテンを始めた1,2年の間は周りに頼ることもできず、悩んで泣いてしまった時も何度もあり、その時は精神的なきつさはありました。キャプテンの時に意識していたことは選手間の上下の関係性についてです。後輩が先輩に意見を言いづらい、思っていることをなかなか口に出せていない雰囲気を感じたことがあったから、その雰囲気は無くしていきたいなと思っていました。具体的には「キャプテンとして色々なことを伝えることはあるが、それが全て正しいことだとは思わないで。話を聞いていて違うなと思ったことは、先輩後輩関わらず伝えてほしい」ということをみんなに伝えていました。風通しの良いチームを目指すうえで後輩たちとのコミュニケーションを増やすという面は一番気にしていたことだと思います。

千葉県代表として貢献したい★

Q.都道府県駅伝の千葉県チームのキャプテンを任された時について、どのように感じていましたか?

A.中学生の時から東日本女子駅伝や都道府県駅伝を経験していたからこそ、もっと上の世界を知ることができたと思っています。千葉県代表として全国の駅伝に参加できるようになってからは、憧れであった千葉県代表を駅伝でも背負って走ることができるのだという、学生の頃はとても楽しみな大会でした。中学生時代は実業団の強い選手の方々や大学生、高校生と一緒に生活して、その中でたくさん学ぶことがありました。また、大会でメダルを取れた時はとても嬉しかったし、「自分がうまく走れなくても先輩方がどうにかしてくれる」という思いで、安心して走ることができました。社会人になってからは「先輩方のようにチームを支えられる存在になりたい」という気持ちで、都道府県駅伝に参加していました。千葉県のキャプテンを任されてからは、年齢幅が広い中で、中学生や高校生は緊張してしまうと思うから、伸び伸び楽しんで走れる雰囲気をキャプテンとして作りたいと思っていました。そして、今まで成長させてくれた千葉県チームに少しでも貢献したいという思いで、キャプテンという役割を担っていました。

Q.一番記憶に残っている駅伝についてお話聞かせてください‼

A.2017年、2018年の2連覇した時が一番記憶に残っている駅伝です。ただ、一番新しい記憶として残っているのは、ラストレースでもあった2023年のクイーンズ駅伝です。走っている景色の中に友達が何人も応援に来てくれたり、パナソニックの応援団も沢山の方が沿道にいてくれたり、今まで関わってくれた人が自分の走るコースに集結してくれていました。それもあって2018年の優勝と同じくらい強い記憶として今後も記憶に残る駅伝だと感じています。

当たり前だった生活が特別な思い出へ

Q.パナソニックエンジェルスの一番の思い出は何ですか?

A.引退、退寮して「今までの当たり前の生活が本当は当たり前じゃなかった」と感じています。ほぼ毎日食事を提供してくれる人がいること、共有スペースの掃除をしてくれる人がいること、温かいお風呂を準備してくれる人がいることなど、当たり前の生活が特別であったと感じています。寮にいると気づかないことが多かったけれど、寮での時間をもっと大事にすれば良かったのかなと思うこともあります。普段の生活だったり、駅伝だったり、思い出はたくさんありますが、2018年の駅伝や2連覇してみんなでハワイ旅行に行ったのも大切な思い出です。思い出がたくさんありすぎて、これが【1番の思い出】という意味では決められないです。思い返せば色々なことが思い出として残っていて、11年間きついことも多くあったけれど、楽しい時間でした。

インタビューをご覧いただきありがとうございました😊

最後に内藤早紀子選手からメッセージがあります
11年間ありがとうございました。
競技生活を終えて、とても沢山の方々に支えられていたことを改めて感じています。
これからは陸上部からは離れますが、自分の足で立って自立した大人になれるように頑張りたいと思います。
これからもパナソニックエンジェルスの応援よろしくお願いします。

インタビューを終えて

早紀子先輩から11年間の陸上生活を終えて様々な視点から感じたことをお聞きすることが出来て良かったです。
パナソニックエンジェルスの一番の思い出について当たり前の生活が特別であったとお話してくださいました。毎日の寮生活を大切に日々感謝しながら、今までの生活や練習を見直していこうと思います。2年目からは早紀子先輩のように立派な先輩になってトラック競技や駅伝で活躍できるように頑張ります。
境田百花