美しいユートピア理想の地を夢みた近代日本の群像

展覧会レビュー

5年前に遡りますが「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展(2021年)はブルーノ・タウトや剣持勇らによる美しい暮らしのデザインと異文化交流をテーマに掲げ、前田尚武氏による斬新な会場構成も話題となりました。しかし突然の新型コロナウィルスの流行により中断を余儀なくされてしまいました。
本展「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」はその続編ともいえる展覧会で、同じく高崎市美術館から企画が発案されたものです。

今回とりあげたのは20世紀日本で美しい暮らしを夢みた人々の営みです。画家、デザイナー、建築家、研究者といった幅広いジャンルでネットワークしながら形成された共同体とその場所、そのつながりの中から生み出された多様な作品を紹介しました。

会場に足を踏み入れると、まず大きなカマボコ型の空隙に不意を突かれます。会場構成を手がけた若手の建築コレクティブGROUPは、5つの章で出会う様々なユートピアに続いていくあいだの場所としてこの「ユートピア観測所」を設けたのです。

会場入口から「ユートピア観測所」を見る

第1章 ユートピアへの憧れ 1849-1929

ユートピアとは16世紀イギリスの思想家トーマス・モアによる著作の題名に由来し「どこにもない場所」を意味します。19世紀になると同じイギリスの社会思想家でデザイナーであったウィリアム・モリスが暮らしと芸術を一体のものとしてとらえ、その理想を託しました。
最初の章では、その思想が日本でどのように共振したかをたどります。白樺派の同人として出発し、やがて民藝運動を創始した柳宗悦を中心に、親しく交流したバーナード・リーチによる版画≪ゴシックの精神≫や素描やうつわ、若き岸田劉生による≪B.L.の肖像(バーナード・リーチ象)≫などを鑑賞しました。中世の手仕事は、彼らにとって過去のものではなく近代芸術の根幹をなす重要な道しるべでありました。

第1章「ユートピアへの憧れ 1849-1929」の展示風景

第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク 1917-1943

大正デモクラシーの流れのなかで、さまざまな個性を尊重する機運が高まり「民」の時代ともいえるあらたな価値観が育まれました。本章ではそうした時代におけるユートピアのかたちを紹介しました。なかでも今和次郎の民家採集スケッチを多数展示しました。1922年に朝鮮総督府の依頼で実施された朝鮮の集落調査を特集し、朝鮮の住まいの美を評価する今のまなざしを紹介しました。また、4章で農民美術運動の推進者としてスポットをあてる山本鼎も本章にも登場します。当時の政策で行なわれた台湾における工芸調査に関するドローイングが注目を集めました。グローバルな視点から見直すことでそれらは今なお新鮮な輝きを放ちます。さらに、財界人で研究者でもあった渋沢敬三が推進し、今和次郎が参画した「民族博物館構想」も紹介。図面には台湾、南洋、南朝鮮、北朝鮮の民家も配置されていました。

第2章「たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク 1917-1943」の展示風景

第3章 夢みる 都市と郊外のコミュニティ 1926-1949

1920年代の都市化が進んだ東京で、蔵田周忠はモリスに倣って田園的なユートピアを構想しました。仲間の研究者たちのために設計したモダンなコミュニティでは、近世文学研究者・森銑三のために先駆的な最小限住宅「星芒書屋」(1926年)を設計しています。MR映像で内部を再現しヘッドセットを付けてイマーシブ空間を体験いただく日を設けました。
建築家で詩人でもあった立原道造にも注目が集まります。東京帝国大学卒業制作時に構想した浅間山麓の芸術家コロニーの習作ドローイングから、創作の場として計画したアトリエであるヒアシンスハウスまで、原画や稀少なオリジナルの家具をご覧いただきました。また、研究者の種田元晴先生の研究室で新制作されたヒアシンスハウスの模型も加わり、当初構想した立地も含めて、その全体像を知っていただくことができました。
絵画の領域では同時期に芸術家たちが生活と制作の拠点としたアトリエ村の一つ、池袋モンパルナスの交流の中から結成された「新人画会」にスポットをあてました。戦時下にあって画家としての決意を表明した松本竣介による「生きてゐる画家」「全日本美術家に諮る」と、その内容を象徴する≪立てる像≫(習作)、さらにその遺志を継いだ鶴岡政男≪夜の群像≫は本展のハイライトとなりました。

第3章「夢みる 都市と郊外のコミュニティ 1926-1949」の展示風景
蔵田周忠《森銑三邸》(星芒書屋)MR映像の体験の様子

第4章 試みる それぞれの風土で 1919―1936

宮沢賢治は本展のなかでとりわけ広く知られた存在といえるでしょう。数々の児童文学の傑作で知られる宮沢賢治ですが、実際には地質学者であり教育者でもありました。その知識は実践的な花壇や肥料の設計といったかたちにも展開され、文学、美術、音楽、宗教とも融合しながら、独自のアプローチで宇宙的な全体像を結びました。会場ではご遺族からお借りした貴重な水彩絵画の原画が関心をひきました。この章では山本鼎、竹久夢二、ブルーノ・タウトと井上房一郎らの実践も紹介しています。それぞれの土地に根ざし、地域の人々に美しい暮らしをもたらす試みでした。

第4章「試みる それぞれの風土で 1919―1936」の展示風景

第5章 ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ 1958-1993

4章では高崎の実業家・井上房一郎がブルーノ・タウトを支援して展開した、戦前の高崎工芸運動を紹介しましたが、終章では戦後における井上の文化支援が大きく実を結んだ、群馬音楽センターと群馬県立美術館を建築から注目しました。また、2章で紹介した今和次郎や山本鼎による、民家や民具といった何気ないものを見つめ直し、記録していく行為は、時代を越えて高度成長期のデザインサーヴェイへと受け継がれました。それは失われていくものの記録にとどまらず、建築家たちに示唆を与えサーヴェイに関わった若者たちのあらたな原動力となっていったのです。

星と星をつないで星座を結ぶように、20世紀を創造的に生きた人々の軌跡がゆるやかにつながれていきます。その連なりのなかで鑑賞者自身が、それぞれのユートピアの星座を思い描いたのではないでしょうか。

第5章「ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ 1958-1993」の展示風景