長谷川潔-黒い自然哲学
[ ルオーの黒、長谷川の黒 ]
江戸中期・豊後国東の医師にして日本初の自然哲学者、梅園三浦安貞(1723-89)はその『玄語』、つまり黒い言葉によって、宇宙全体の組成を喝破・解明した。古今東西に通底する陰陽二元論を、彼は気一一元論によって超克したとされる。曰く「一即一一、一一即一」。つまり宇宙・世界に陰陽は無く、すべて気の状態運動による現象変化であって、気が充満すれば陽、それが薄まって希薄化すれば陰、となるだけだ、と喝破した。画期的、世界で唯一無二の宇宙解釈学であった。
つまり、梅園によると玄=黒とは、すべてを内包する宇宙のダイナミズム的様態なのであった。。
黒が最も多彩色な、交響的ポリフォニーの果てにあるもの、というのは美術の一常識として言を俟たないだろうが、それはとりわけ版画について言えることのように、思われる。何故なら、版画とは複製芸術である以上に、あのヴェロニカの聖布、つまり死せるキリストの顔を覆った聖骸布に源を発するからだ。それは黄泉と天国を繋ぐ、色なき色の秘技であったからだ。(注1)
黒とは、いったい何なのだろうか。それは、漆黒。あるいは全てを拒絶する闇か。あらゆる色、つまり世界全体が坩堝に巻き込まれ、消えて無くなる寸前、それは白、あるいは黒となって最後の姿を現す、と一般には考えられているわけだが、そこにはまた比喩的に万華鏡的イメージが介在するだろう。
黒に依った版画家は、またそこに、如何に身近な小世界を表面上は描いているとはいっても、見えない建築世界を想起・想定するしか無かったように私には思える。それは自然の側からの逆構築であろうし、またあたかも時空を超えた、ヨーロッパ中世のそれのようにも私には感じられる。
私事で恐縮だが、私は若い頃、版画に熱狂した。大好きな駒井哲郎、そして後に姉貴とも慕った野中ユリがあった。またまた戯言を弄すると、古里尾道で洋裁を業とする母親に育てられた私にとって、年2回2時間半の列車行(まだ蒸気機関車だ)で倉敷の大原美術館に連れられたのは、僥倖であった。そこには畏怖し、畏敬したジョルジュ・ルオー(1871-58)があった。「呪われた王」である。そして後には古里の大先輩、吉井長三がもたらしたルオー群もあった。奇妙な偶然からカトリックに受洗して間が無い頃、私には輝く「ヴェロニカ」もそして正しく深き淵に沈みつつある「聖書風景」も、行ったこともないガリラヤ湖の苛烈な陽の向こうにある、黒を身体に染み込ませた。そうやって、ただ夏の瀬戸内のギラギラ照りつける海を見ていた。だから白昼、その黒の向こうには、もう一つの過熱の万華鏡、白があったのだ。
後に長谷川潔(1891-80)の黒に出会った時、直観的に私が感じたのは、ルオーと「同じ黒」だということだった。むろん言い方は難しいが、それは冥府と今世を行き来する、黒いダイナミズム、それこそ地底神、ディオニソスの舞踊に見えた。それは、黒が万華鏡をその果てに抱えているという、一種の奇跡的例外の黒、といっても私の言いたいこととは、さほど外れてはいないだろう。
不勉強にして長谷川とルオーが果たして知遇があったか否かも、私は知らないのだが。
「マニエール・ノワール」と称されて、長谷川のニックネームのようになった黒は、同じ密室の小世界というと如何にも駄洒落に聞こえるかも知れないが、孤独な密室の画業を貫いた国画創作協会の異端、あの村上華岳(1888-1939)の墨絵をも想起させることすら、あった。

[ 黒い形而上学 ]
偶然なことに、また私は共に20世紀全体を生き、異郷パリに生涯を捧げた版画家長谷川と、ニューヨークから一生出ずに、孤独な制作を続けた、箱の作家ジョセフ・コーネル(1903-72)が、遠い無限遠で、重なり合うように、思えて仕方ない。
簡単に言えば、その世界は、共にごくありきたりの身近な日常、その現実この世を恬淡と描くように見えながら、彼らはその独自の憧憬でもって、そこに、無限遠の、見えない世界を出現させた、謂わば魔術・錬金術の美術家であったからだ。
その意味で長谷川の黒、というのは謂わば、コーネルにとっての、箱に酷似している。棺桶のようだと言えばそれこそ駄洒落になるが、そういう意味でこの二人に通底しているのは、異界からこの世を見る作法、だと解釈してもらっても良いだろう。
長谷川は、黒という、閉じられた小さく狭い世界をいったんは、執拗に自らに課せることによって、逆に、その中に広大無辺な荒野、瞑想の地下?いな、宇宙を構築することに、成功した。
それはコーネルと同様、極小世界に、ミニアチュールな、宇宙建築を封じ込める、錬金術的建築である。
彼らの作業と姿勢が、忘れられた中世修道僧のそれを想わせるのも、必定の事であろうか。
コーネルは旅すること能わなかったヨーロッパ文化に、生涯憧れ、マンハッタンでそれを作品に塗り込めた。
終生故国日本に帰らなかった長谷川が、憧れ続けたのも、未だ見ぬ、日本の中世であったのだろう
その風物が実際に描かれている訳では無い。
だが、彼らの入れ子状の世界、つまり黒い箱の中では、時空は、ヨーロッパ、中世、日本、ニューヨークと、何次元もに、折れ曲がり、交錯する。黒にはそのダイナミズムもある。
それこそが、彼らの仕事が今日の私どもにとって、闇の向こうの白熱、未見で、未生の万華鏡を提供してくれる所以なのでは無いのか、と思うのは私だけではないだろう。
最後に今、何故、長谷川潔、なのか?
万華鏡と言っても比喩でしか無いのだから、それでは実際のイメージが掴めない、と言われるならば、またこれも飽くまで比喩でしか無いのだが、あのカルチエ・ラタンのとっかかりに掘られてある(中世修道院跡だが、その地下はローマの浴場跡だ)クリュニー美術館の、「一角獣と貴婦人」のタペストリーだと言おう。ボードレールがコレスポンダンス「万物照応」と讃じたその万華鏡振りだ。そして6枚目の謎のタペストリーの天蓋に書かれた、「私のたった一つの望みに」とは、中世末期にあっての、宇宙・自然そのものの叫び、絶叫であったからだ。
それは近代19世紀動乱の真っ只中で、ボードレールが発した警鐘の一句、「自然と宇宙とが万華鏡のように繋がって、あり続けたい」という自然全体の叫び、に繋がってゆく。
そしてそれは長谷川の晴朗な黒、透明な黒を、またその果てに、自然の万華鏡と見る、現代の危機意識に繋がってゆくはずであると、私はただ確信するのである。
(注1)畏敬する批評家谷川渥さんが、武蔵野美術大学における版画展「崇高なる現在」に寄せられた文章から。
新見 隆(武蔵野美術大学教授、同大学美術館・図書館長)

By Thesupermat - Self-photographed Thesupermat Taken on 18 September 2019, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=82487961