イスラエル博物館所蔵ピカソ ― ひらめきの原点 ―

Studio REGALO 尾崎文雄さんと灯工舍 藤原工さんに聞く、会場構成と照明

作品の世界に没入できる、光と空間の作り方

2022年4月9日(土)から6月19日(日)まで開催の「イスラエル博物館所蔵 ピカソ ひらめきの原点」は、ピカソの版画を中心に油彩やドローイングなどを紹介する展覧会です。

82点のモノクローム版画を中心とする、イスラエル博物館所蔵の130点の作品には、版画連作や同じモティーフのヴァリエーション作品も多く含まれます。ピカソの版画の多くは、精緻で流麗な線が特徴です。そんなピカソの版画作品のイメージを損なわない、洗練された展示空間は、尾崎文雄さん(Studio REGALO)の会場デザインと、藤原工さん(灯工舎)の照明により完成されました。

「鑑賞者が集中力を失わず、1点1点に向き合えるような印象的な鑑賞空間を」と依頼した学芸員の萩原敦子が、おふたりに、いかにこの空間が生まれたのか、専門的な話も交えお聞きしました。

作品の世界観から生まれた空間デザイン

萩原 まず会場のコンセプトについて教えてください。

尾崎 僕自身はもともと建物の設計からスタートして、展示デザインの世界へ入りました。縁があって古美術を学ぶなかで光の当て方なども含め「作品をどう見せるか?」という発想に触れて以来、作品から部屋をつくるアプローチを続けています。今回はリストをもとに画像を拝見してキュレーションがよくまとまっていると感じました。130点の並び方は難しいけれど、どう見せたいかはすぐ読み取れましたね。自分なりに章立てを考え、章ごとに印象の違う空間をつなぎピカソの生涯を空間とともに体験するように鑑賞できる会場にしたいと考えました。

会場デザインをする際には、部屋にどう入るか、どんな場面転換にするかも、頭に入れて考えはじめます。汐留美術館はビル内の四角い一室。額作品を平面的に陳列しても面白くありません。モノクロ作品が主体で、一部色彩のある作品もあったので、場面転換のきっかけや部屋の奥に少し次の展開が見えるという構成をしたいと考えました。そして、空間の中にいくつかの壁を使い、四角い部屋ではなくさまざまな角度をつけた部屋を用意して転換してはどうか?というアイデアが生まれたのです。そもそも直角の入隅は展示しづらく見づらいので、直角の入隅をなくすことで、その解消にもつながります。さらに場面転換のテクニックとして、次に何があるか、という楽しみをつくる。最後まで飽きずに鑑賞できる点も重要でした。単に角度をつけた部屋を作りたかったのではなく、「作品をいかに見せるか」という発想から空間が決まっていきました。

加えて、今回はハイライトとなるところに、女性の肖像画が林立する部屋を作りたいと思いました。女性の肖像画群は、同じ寸法の額作品で、表情もほとんど同じでしたので、絵画の中の人の視線に囲まれるような面白い空間ができそうだと感じたからです。

内装はピカソの作品に強さがあるので、白・グレー・黒の3段階のモノトーンで控えめに。
最初は、黒の空間で印象づけ、次第に明るくなり、ハイライトとなる白の空間には女性の肖像画が林立するゾーンを作り、またグレーから黒へと戻る構成です。ただし会場デザインが目立つのではなく、作品の印象だけ持ち帰ってもらえることがもっとも重要です。

作品と空間に寄り添い、光を「まとわせる」

萩原 照明は灯工舍の藤原さんをご指名されましたが、どのような光を求められたのでしょうか。

尾崎 藤原さんには、作品を展示するエリアは決まっている。それぞれに応じた空間を作るので、同じモノトーンの作品であっても光を変えて、作品に“ふさわしい空間”にしてほしいとリクエストしました。

藤原 実は光にコンセプトはあまりなく、ただ作品と空間に寄り添い、移ろいゆく世界感、空間の展開をどう考えるかだけでした。常に意識するのは、読後感。何か心に残るものを持ち帰ってもらいたいと思っています。ピカソにはキュビスムの荒々しい色彩感覚の世界もあるけれど、非常に繊細な部分もある。それを鑑賞者が染みいれるような空間を目指しました。

今回いちばん意識したのは、見せ場である肖像の白い空間とその手前の白い空間。白さをどこまでひきあげるか。天井高をあまり意識させずに、低い壁を使った空間の切り方、幅、奥行きと高さ。そしてグレーの空間から突如、白くふわっとした壁が現れ、肖像の空間へつながる流れ。暗い空間から入ると突然すぎるので、手前に予兆を感じさせるような光を表現しました。

萩原 版画は照度制限が厳しく、今回はほとんど50ルクス以下で中には30ルクス以下の作品もありましたね。

藤原 そうです。ただし洞窟のようなおどろおどろしい印象は避けたいので、空間が作り上げた作品の世界観に入りやすい手法を部屋ごとにわけています。例えば、第1章は額作品を中心とするほわっとした柔らかい空間。作品の白いマットの部分は明るいので抑えながら、中心の作品自体が見やすい光、そして空間全体、さらに脚注を読みやすい光とそれぞれに照度を変えています。

僕は、光を当てるというより、光を「まとわせる」という考え方です。暗い空間の場合、作品に光を当てるより空間を明るくする方が、ふわっと見やすくなることがある。そうした考えで、作品の周りにふわっとした空間の豊かさ、光をまとっているような空気感を意識しました。

尾崎 部屋の統一感を考えて、造作壁など天井まで表具で仕上げたほうがいいと考えるケースがあると思います。でも額作品は寸法が決まった世界なので、そこまで高い壁は必要ない。むしろ造作壁と既存の壁の境界線が光のグラデーションで自然につながる方が、気分もいいはずです。

藤原 際や境界線はあまり見せないほうがいいですね。床と壁、壁と天井の際がはっきり見えると、人間は空間認知をして勝手に大きさを感じてしまう。だから切らずにグラデーションで逃げると。光は、同じ照度でも上の方が明るく見えるので、光源に近い上方は抑えて空気が流れるように作ります。

ピカソの愛した女性が並んでいる、だけの白い空間

萩原 女性肖像画が並ぶ白の空間は、とても印象的でした。ご覧になった方の感想でも、とても印象に残ったという意見が多かったです。

尾崎 まず肖像画は視線を感じるので、それに囲まれるのが面白いなと思いました。独特な展示法になりましたが、空間自体は溶け込んで肖像画だけが宙に浮いているようにできればいいなと。そのためには肖像画を支える板も物質感を感じさせず、空間に溶け込ませたいと思いました。その意図は、藤原さんが板から台まで連続した光のグラデーションを作ってくれたことで実現しました。

藤原 僕自身は、女性が立って見ているような空間を作りたいと思っていました。板が立っているだけではなく、日本人より少し背の高い西洋の女性が並んで立っているというような空間に。彫刻をライティングする際、顔は背景より明るくし、下へグラデーションしながら、足下は反対に背景を明るく手前を少し暗くします。なぜなら全体を明るく照らしてしまうと、背後の空間が感じられず立っていると感じにくいのです。根元が若干シルエットになりながら上の方が明るくなると、つまり明るさが上下で逆転すると立って見ているような感覚になります。反転することで、空間の距離感を人間は判断しにくくなり、より分解されてきて、そこに空気が生まれるんです。尾崎さんが「女性がこっちを見ている。囲まれている感をつくりたい」と話されていたので、そういうことだなと。あえて壁から離しているのも、尾崎さんの意図だと認識したので光もそう考えました。

尾崎 そうですね。ただ光を当てただけでは、いろんな面が見えてしまう。一方向からだけではなく、光が床面まで漏れているのも、手前の台の角を目立たせないためです。

藤原 立ち上がり壁に光を当てるのが重要です。暗くても明るくてもだめなんですが。
人の目は順応していきます。近くで作品を見られる展覧会だからこそ、徐々に暗さに慣れることで、逆に白い空間に入ったときの感動や豊かさがある。結果的に「いいものを見られたな」と持って帰ってもらえれば嬉しいですね。

空間を溶け込ませる。壁や床さえ感じないように

萩原 空間設計については、かなりいろいろなディテールにこだわれていましたが。

尾崎 異なる材質の接地面に目地をとること。例えば、壁はクロスや紙、床はフローリング、石、カーペットなどいろんな材質があります。普通は、壁と床の接地面はクロスを裁ち切って仕上げますが、いかに腕のいい職人さんでも多少グニャグニャするんですね。さらに会場の床は真っ平らに見えているが、5~10ミリ程度ゆがんでいます。その状態でパネルを立てると、部分的に隙間ができたり、きれいに見えません。

でも接地面に、ほんの少し床から5ミリ程度目地をとることで解消できるんです。水平の影が強調されるから造作がキリッと立ってくる。部屋の建築壁とそこに接合する造作壁の仕上げも、同じように見えて材質が異なるので、取り合い部分にも目地をつくっています。異素材の壁同士が接する面の仕上げは、すべて同じような処理を施しています。

萩原  緊張感や空間が引き締まる感じがしました。

尾崎 多角形の空間ほど、会場においてその空間が目立つことなく黒子に徹した方がよいです。石は重いという共通認識があるから、石に見えた途端に“重さ”、つまり物質感が湧き上がってしまう。作品に集中できるように、造作はそのような物質感をなくすための努力が必要です。

そのためにパネルの小口はシャープにしました。通常会場のベニヤのパネルは40~50ミリの厚み。壁の小口を50ミリの幅で処理すると人は無意識に「壁がある」と認識します。でも20~30ミリ程度にすると、人の感覚は面白くて、立体的な「壁」ではなく「面」としか捉えないんです。だから、今回の会場では、いろいろな角度でいろいろな面積の壁が立っている割に、物質に囲まれている感覚があまりしないはずです。

萩原 作品数が多いと必然的に壁が必要です。壁を立てると圧迫感が出てしまいますが、今回の空間ではその圧が軽減されていると感じました。白い部屋に掛けられた女性の肖像画も実は75ミリの厚さのしっかりとしたバックボードで支えられていますが、小口部分をシャープにしていることで、その分厚さはまったく感じられません。ボリューム感がなくて、洗練されているなと。光のディテールという点ではいかがでしょうか。

藤原 やはり“まとう”ことがもっとも重要です。だから空間に光を馴染ませるためにはレンズやフィルターを選んで、器具側にも手を加えます。例えば、光は見上げると眩しいのは当然ですが、鑑賞者が立ったときに顔まで光が及ばないようにハーフフードを付けることもあります。今回は壁が低いので、壁の向こう側から飛び込んでくる光を抑えるために、照明器具にフードを付けています。

目的以外の光はすべてノイズです。まぶしいノイズは最低だし、気になるだけでも問題。眼球運動は随意運動ではないから、気になるものがあると勝手に動き集中力が落ちてしまいます。だからノイズレスな空間がもっとも作品の世界に没入できます。没入できれば照度が低くても明るく感じます。光のディテールというなら、ノイズを潰していく作業ですね。尾崎さんの壁の厚みを減らすのと同じ考え方です。

尾崎 余計なものを考えなくていいように。

藤原 勝手に脳が考えてしまうのを止めるために。

尾崎 無意識に思ってしまうからね。そうした雑音を排除すれば、人は自然に作品に近づけるし、自然に見ることができます。

藤原 自然さをだすために、不自然なことをいろいろとします。絶対ばれないように(笑)。人は自分の人生に照らし合わせて感動します。だから、作品を鑑賞している時、自分の経験と脳の会話の余白を残してあげるのが重要です。そこに感動が生まれますからね。

萩原 本日は貴重なお話をありがとうございました。

尾崎文雄 (おざきふみお)
Studio REGALO主宰

青森県出身、横浜市育ち。1981年早稲田大学理工学部建築学科卒業後、日本設計にて設計および都市再開発業務に携わる。1995年退社後、MIHO MUSEUM北館展示室の設計に参加。1999年Studio REGALOを設立。美術館博物館の設計や改修工事のコンサルティング、展覧会デザインなどを手がける。

藤原工(ふじわらたくみ)
美術照明家・照明デザイナー、株式会社灯工舎代表・灯工頭

姫路出身。筑波大学芸術専門学群卒業。パナソニック電工(株)で美術館・博物館等の照明デザイン、コンサルティング業務に携わり、2011年退社。2012年、灯工舎を設立。全国の美術館・博物館や寺社仏閣の照明コンサルティングのほか、年間50本以上展覧会のライティングを行う。岡山県立大学デザイン学部他、各地の大学で非常勤講師を務める。著書に、『学芸員のための展示照明ハンドブック』(2014年、講談社)など。

企画・監修 : 萩原敦子
テキスト: 新川五月