分離派建築会100年展建築は芸術か?

展覧会のみどころ

1. 100年後のいま、分離派建築会を再検証!

分離派建築会は、明治時代の様式建築と1930年代以降のモダニズム建築をつなぐミッシング・リンクを解き明かす大正時代の建築運動です。100年後のいま、分離派建築会の日本近代建築史上の位置づけを再検証する展覧会です。

2. 1920年代に出現した9人の新星たちを一挙紹介!

将来を嘱望される東京帝国大学卒の6人の立ち上げメンバーと、あとから加わった新メンバー3人。いずれも散会後はそれぞれ設計事務所の社長や大学教授といった要職につき、日本の建築界で重要な役割を担いました。本展は、全員にスポットをあて彼らの活動と作品を紹介します。

3. 会場は「紙」から着想を得て分離派建築会の「創作」と「実作」が交錯する空間

分離派建築会の会員たちが展開した作品展と出版活動を象徴する「紙」から着想を得て、京都を拠点とする木村松本建築設計事務所が会場構成を担当します。

1. 迷える日本の建築様式

明治から大正、自由主義の機運が高まるなか、西洋の様式建築の習得は一段落し、日本独自の建築とは何か、と模索が始まります。分離派建築会の結成前夜を、当時の教育資料や欧州発の分離派セセッション式の流行を通して概観します。

後藤慶二 「自分の建てた監獄」『ホトトギス』 (16巻4号、ほととぎす発行所 )所収、1913(大正2)年

2.大正9年「我々は起つ」

分離派建築会を旗揚げした東京帝国大学の卒業生6人は、過去の建築圏からの分離を宣言し、建築は芸術だ、と訴えます。ここでは、その出発点となった卒業制作を紹介します。

山田守 卒業設計 国際労働協会 正面図 1920(大正9)年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻 [展示期間 : 10月10日−11月10日]

3.彫刻へ向かう「手」

欧州の新時代の彫刻は、彼らの創作意欲をかき立てました。白樺派によって紹介されたロダン、それに続く表現主義の彫刻、そして彼らがそこから影響を受け制作した習作の数々を紹介します。

瀧澤眞弓 《山の家》 模型 1921(大正10)年 再制作:1986年、瀧澤眞弓監修

4.田園へ向かう「足」

都市の大衆文化から離れた郊外。そこに彼らは新しい暮らしの夢を見ます。「田園」をテーマに手がけた住宅作品、また農民美術運動との関わりを紹介します。

堀口捨己 紫烟荘 1928(昭和3)年 『紫烟荘図集』(洪洋社)所収、東京都市大学図書館

5.構造と意匠のはざまで

関東大震災からの復興を目指す東京。分離派建築会メンバーも、実制作の機会に恵まれ、電信局や新聞社などの公共的建築を手がけます。構造の合理性と建築の美しさは一致するのか。新たに生まれた葛藤は、建築の本質に迫る問いでもあります。

山田守 東京中央電信局竣工 1925(大正14)年 郵政博物館
森田慶一 京都大学楽友会館 1925(大正14)年 撮影:2020(令和2)年、若林勇人

6.都市から家具、社会を貫く「構成」

昭和になり、白木屋百貨店など都市的スケールの建築をも手がける一方で、彼らはモダニズム思想を吸収し、実生活への関心も深めます。建築と家具、両者に見られる線や面を強調したデザインに通底する「構成」に注目します。

石本喜久治、山口文象 白木屋百貨店 透視図 1928(昭和3)年 石本建築事務所

7.散会、それぞれのモダニズム建築

彼らの展覧会活動は、昭和3(1928)年の第7回が最後となりました。結成から8年、実社会に根ざした建築家となった9人は、ナショナリズムと社会主義とのはざまで建築の原点を自問し、次のステップへと旅立っていきます。

大内秀一郎、新名種夫 (大阪市電気局) 大阪市立電気科学館 絵葉書 1937(昭和12)年 個人蔵