分離派建築会100年展建築は芸術か?

展覧会レビュー

本展は、日本で初めての建築運動「分離派建築会」の結成から100年目にあたる2020年に、その活動と作品を振り返り再評価するものでした。
分離派建築会は、東京帝国大学の卒業をひかえた、石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守の6人の建築学科の学生によって創設され、その後、大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が会員に加わりました。9名の会員は、設計事務所や官庁、大学で建築設計の実務にたずさわる傍ら「建築の芸術性」を追求し1920年から1928年まで定期的に展覧会と出版活動を行いました。
2012年から活動を開始した分離派100年研究会は、各会員ゆかりの大学や企業にのこされた資料の調査を行い、研究会やシンポジウムを通して分離派建築会の活動、意図や意義を探ってきました。本展覧会は研究会の成果をもとに構築され、メンバーであるパナソニック汐留美術館と京都国立近代美術館を会場として開催いたしました。

第Ⅰ章では明治時代末期に始まった、日本独自の新しい建築のあり方を模索する動きを、教育内容の変化や後藤慶二らの作品で紹介。分離派の結成を後押しし、近世と近代の建築の結節点の役割を果たした恩師・伊東忠太の資料も展示しました。
第Ⅱ章では創設会員による東京帝国大学の卒業制作を展示しました。インクと墨を用いた手描きの大画面の図面からは、彼らが目指した建築の芸術性や、社会的テーマへの関心、海外の芸術からの影響などがうかがわれました。平和記念東京博覧会の美しい図面を展示したトピックⅠとあわせ、その絵画的表現は本展のみどころのひとつとなりました。
第Ⅲ章から第Ⅴ章は、分離派の造形的追求を3つの異なる視点から分析しました。
まず、第Ⅲ章「彫刻へ向かう〈手〉」では、近代彫刻に寄せた彼らの関心と、鉄筋コンクリートの導入によって可能となった新しい建築のかたちへの応用に焦点をあてました。《山の家》をはじめとする彫刻的な作品を現代の視点で解釈し、京都大学田路研究室と戸村陽(AlTEMY)によるCG作品および上村洋一氏によるサウンドスケープで表現しました。
第Ⅳ章「田園へ向かう〈足〉」では、都市化の進む大正時代にヨーロッパから受容された「田園」という概念への取り組み、そして分離派の独自の作品化をご覧いただきました。蔵田周忠の「聖シオン会堂」、堀口捨己の「 紫烟荘」、瀧澤眞弓の「日本農民美術研究所」などを紹介しました。
トピック2は関東大震災後の橋梁復興への参画を紹介。第Ⅴ章「構造と意匠のはざまで」では近代的な大規模建築にふさわしい彼らの造形の模索を紹介しました。今もなお東京を代表する景観のひとつである「聖橋」は今回あらたに撮り下ろした写真で紹介しました。本展ではその他「千住郵便局電話事務室」「京都中央電話局西陣分局舎」といった現存する分離派建築会の作品計11点を、若林勇人氏による新規撮影写真でご覧いただきました。
第Ⅵ章「都市から家具、社会を貫く「構成」」では分離派建築会が時代の先端を行く建築として人々の生活に浸透していった様子を、身近な住宅や家具のデザインを通して紹介しました。石本喜久治の白木屋百貨店、また、知識人たちが施主となり実現した堀口捨己の「小出邸」、蔵田周忠の「旧米川邸」といった住宅作品を紹介しました。
分離派建築会は1928年に第7回展を開催したあと自然散開します。第Ⅶ章「散開、それぞれのモダニズム建築」では、彼らが再び集まって出版した『建築様式論叢』を中心に、その後の彼らの活動の展開を紹介しました。なかでも早世した大内秀一郎が設計に参画していた大阪市立電気科学館の紹介は、今回の展覧会調査の成果でした。
このように本展は各所に分散している作品資料を一堂に会し、分離派建築会の全体をひとつの像として結び、普段公開していない貴重な資料や新作模型を含め、多くの方々にご覧いただくことができました。
会期中には両館と研究会の連携により、連続3回のシンポジウムを開催し、長年の実績を重ねてこられた第一人者の建築家・建築史学者の方々に、分離派建築会を振り返っていただきました。またY田Y子氏による描きおろし作品、「マンガで見る!分離派建築会実録エピソード」(英語タイトルLearn with manga! Bunriha Kenchiku kai True Stories)は、分離派建築会に親しみのない世代や、コロナ禍で来館できない海外の方々にも幅広く関心を持っていただく上で有効なツールとなりました。
分離派建築会のグループによる活動は、現代美術の実践においても欠かせないアーティスト・コレクティブの先駆と言えます。が、わずか8、9年という短い活動期間で終息したにもかかわらず、その後の日本のモダニズム建築の形成に分離派建築会の存在が不可欠であったと認識されているのは、各自が、戦後日本社会を担う強い個性と優れた才能の持ち主であったためといえましょう。
また、そのことが、数年間にわたって研究会の活動が持続された求心力でもあり、コロナ禍にもかかわらず多くの方々に展覧会に足を運んでいただくことができた魅力の源泉であったと思います。
本展の図録「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」は、第62回全国カタログ展おいて、最高賞である経済産業大臣賞を受賞しました。