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Stuff(ニュージーランド)にラクラン ボーシェー選手の記事が掲載
2021年6月28日にニュージーランドのStuffにラクラン ボーシェー選手の記事が掲載されました。
下記、和訳となります。
'I'm not bitter': Lachlan Boshier content with waving goodbye to All Blacks dream
ラクラン ボーシェー 夢のオールブラックスから、次のステージへの抱負を語る
ニュージーランドで最も不運なラグビー選手と呼ばれるのに十分な功績を残してなお、謙虚なオープンサイドフランカーは、自身の去就についてStuffの独占取材に応じました。
先週Stuffが報じたように、26歳のボーシェーはチーフスを離れ、年末に日本のパナソニック ワイルドナイツへ加入します。今週の月曜日には、今年のトップリーグチャンピオンから、正式にラクラン ボーシェーの加入が発表されました。
彼は2020年のスーパーラグビーで素晴らしいパフォーマンスを発揮したにも関わらず代表首脳陣の構想に入れず、オールブラックス選出の夢が遠のいてしまいました。
当時の契約が2021年までだったため、海外からのオファーは相次いで届きました。チーフスで抜群の活躍をしてもなお遠かったオールブラックスに対して、ボーシェー自身、昨年以上の活躍でアピールしても、選ばれるのは難しいだろうと考えていました。
海外からのオファーが届き始めた頃、マネージャーを通じてオールブラックスの首脳陣と連絡を取り、海外移籍を視野に入れている旨を伝えました。
すると、オールブラックス監督のイアン フォスター氏から「構想に入っていない」と回答を貰いました。これを受けて、長年の目標だった伝統のシルバーファーンではなく、新たなチームと契約をする決断に至りました。
「オールブラックスは子供の頃からの夢でした。ですが、人は全ての夢を叶えることはできません。最後は自分にとって正しい選択が必要です。私自身全力で夢に挑戦したと思っていますし、この決断に満足しています。」
「ニュージーランドでもう2年プレイできたかもしれませんが。咋シーズンは良いプレーができていたので、結果的には良い方向に働きました。複数のチームから魅力的なオファーも提示していただき、移籍するのには良いタイミングでした。」
オールブラックスがラグビーワールドカップ2019の準決勝でイングランドに敗れたことで、イアン フォスター監督はバックローの選手にフィジカルを求めるようになりました。ボーシェーはその事で大きく影響を受けてしまった選手の1人でしょう。
彼はブレイクダウンの達人であり、リンクプレーヤーとしても質の高いプレーを発揮できますが、ボールキャリーやディフェンスでのパワーが不足した事が、選考にはマイナスに働きました。
オールブラックスの首脳陣からのフィードバックは、落選となってしまった北島対南島の試合以後届いていません。
「決して残念だとは思っていません。首脳陣のチームの作り方が選考に少しばかり反映されたのかもしれません。誰しもパーフェクトな選手はいませんから、私も課題のボールキャリーに取り組み、フィジカルも高めようとしていました。ただ、自分自身のパフォーマンスには満足しています。代表選考での立ち位置も落ちて来ていました。ですから、もうニュージーランドに留まる必要はありませんでした。ラグビーとは、チャンスが来た時に手に入れなければならないのです。」
ウェールズやアイルランド等、各国のチームから誘いがあり、その中でも日本のラグビーはテンポが速く、フィジカル要素が少ない、その上にライフスタイルも充実しているため、私とパートナーにとっては理想的な環境でした。新たな挑戦やまだ見ぬ文化を体験する事を楽しみにしています。
ラクラン ボーシェーがパナソニックへの移籍を決めたのには、ロビー ディーンズ監督の存在も大きかったようです。
チーフスは神戸製鋼と強いつながりを持っていますが、ボーシェーにとっては5月の決勝戦でボーデン バレット率いるサントリーを破ったパナソニック ワイルドナイツが最良のチームでした。
様々な選択肢の中、彼が決断した最大の理由はロビー ディーンズ監督です。
「ロビー監督とは何度も連絡を取る中で、私のプレーについてかなり深く理解してくれていました。ロビー監督のチームに加入して、彼のコーチングを受けられることをとても楽しみにしています。」
ボーシェーは、今後地元タラナキ代表として Bunnings NPC でプレーした後、11月頃に来日し、新リーグに備えます。
ボーシェーにとってはこれが新たな旅の始まりであり、将来は5年の滞在期間を経て、日本代表になる可能性もあります。もしくは心身ともにリフレッシュをして、次のワールドカップに向けてオールブラックスを目指すかもしれません。
「今はあまり先のことは考えていません。目の前の数年を見据えています。ですが、何事にも絶対は無いように、将来はニュージーランドに戻ってプレーしたり、日本でプレイを続けたり、もしくは他の国でプレーする事もあるかもしれません。」