中学のピッチャー時代のけがを機に、憧れたのは理学療法士。しかし周囲に野球を強く勧められ、言われるままに……。振り返ればいつも、「自分だけでは選べなかった道」に進んだという。そんな三上選手ならではの、子どもたちへのメッセージとは。ご自身の子ども時代や、ご家族との日常についてもお聞きしました。
DATA
- 群馬県出身
- 桐生第一高校:2年時には夏の甲子園に出場
- 上武大学:4年時の全日本大学野球選手権ではチームの主力として全国優勝に貢献
- パナソニック:9年目となる今シーズンもパナソニックの扇の要としてチームを牽引する
悔し涙の日々
中学まではピッチャーをしていました。負けず嫌いですごく泣き虫だったんです。「バットに当たらない球を投げたい!」と思っていたので、打たれる度に悔しくてマウンドで涙を流していました。少年野球はそんな思い出ばかり。週刊少年ジャンプで「Mr.FULLSWING」という漫画があって、すごい魔球を投げたりするんです。小学校3、4年生のころは、そんな球を投げたかったんですよね(笑)。懐かしい。家では、キャッチボールの相手は隣に住むおばあちゃん。あとはネット相手に時間も忘れて練習していましたね。
今を大切に
僕は今プレーヤーの道を歩んでいますが、一時は理学療法士に憧れていました。「それは野球を究めてからだ」と、高校時代の監督たちに野球を勧められたのでここまで野球1本で来ました。僕は、キッズスクールなどで出会う子どもたちに「夢や目標を細かく決めんでもいい。今一生懸命にやっていることを必ず誰かが見ているから」と伝えています。もちろんプロになるなら早いうちにするべきことはある。けれど、将来を明確に描いてその通りに進むよりも大切なのは、今何をやるかだと思います。人や運が導いてくれて、自分が想像する以上の未来が開けることがある。僕の野球人生がそれを証明しています!
“女子”に囲まれて
子どもは娘が2人。もうすぐ4歳の長女はめちゃくちゃおしゃべりで社交的。僕は休日に外へ出掛けたいタイプなので、子どもを連れて車で少し遠くの公園へ行ったりします。すると長女が周りの人たちとすぐ友達になって遊び出す。頼もしくもあるのですが、「大丈夫かな~」と心配で。わが子にはこれからも心配ばかりしているかもしれません。子どもの「好き」な気持ちってすごいですよね。神戸アンパンマンこどもミュージアムに行くと、1時間ごとにあるショーを3回ぐらい見ます。同じ内容なんだけどな……、と(笑)。家ではひたすら女子たちのパワーを受け止める係、ですね。
自分を高めるルール
- ① メリハリをつける
- ② 日々勉強
- ③ オフの日は家族と出掛ける
Editor's postscript
中学であの子がボーイズに誘ってくれなければ、あの時、あの人が「桐生第一に行け」「うちの大学に来い」と言わなければ……。常に違う選択肢を持っていた三上選手が、ここまでたどり着いたのは奇跡か必然か。マスクをかぶり、4番打席にも立ち、けん引してきた8年間。彼が「よい兆しがある」と見渡すシーズンに期待したい。
EPISODE1. 日々気づくことがあり、変われるチャンスがある
EPISODE2. 役立つこと間違いなし!三上選手のマニアックな野球メディアとは?