本展覧会では、20世紀初頭から今日までの陶芸の展開を中心に、同時代の絵画や現代美術も視野に入れながら、作家たちがいかに二次元と三次元の表現を往還してきたかを見つめました。個人陶芸の礎を築いたとされる富本憲吉やバーナード・リーチ、民藝運動を推進したことでも知られる河井寬次郎や濱田庄司に始まり、伝統的な技術を革新した陶芸家、前衛陶芸の旗手、茶陶の名手、イギリスやデンマークの作家、現役のアーティストまで、1880年代から1980年代生まれの約50名の作家による、総計約120作品を紹介しました。
本展覧会では、20世紀初頭から今日までの陶芸の展開を中心に、同時代の絵画や現代美術も視野に入れながら、作家たちがいかに二次元と三次元の表現を往還してきたかを見つめました。個人陶芸の礎を築いたとされる富本憲吉やバーナード・リーチ、民藝運動を推進したことでも知られる河井寬次郎や濱田庄司に始まり、伝統的な技術を革新した陶芸家、前衛陶芸の旗手、茶陶の名手、イギリスやデンマークの作家、現役のアーティストまで、1880年代から1980年代生まれの約50名の作家による、総計約120作品を紹介しました。
本展の導入として、日本で陶芸を始めたイギリス人アーティスト、バーナード・リーチ(1887~1979)の手がけた陶器とドローイングを手がかりに、陶芸と絵画的表現、異素材と異文化が交差する様相を見つめました。今日、リーチは20世紀イギリスを代表する陶芸家の一人とされていますが、その始まりは1910年代にさかのぼります。陶業と画業、東洋と西洋を行き来しながら、リーチは制作と執筆の両面から人々を啓蒙し、芸術としてのやきものの姿を問い続けました。ここでは、鑑賞される芸術作品としての性格が強いリーチの初期作品と、東西を往来した実践を示す作品を紹介しました。
本展の前半部である第1章から第4章では、近現代日本の作家たちの作品を中心に、陶芸における描線、色彩、質感、形態への取り組みに注目しました。
20世紀初頭、既存の図案の模倣ではなく、自身の美意識や感覚を意匠の礎とする、いわば個人主義の工芸家たちが登場し始めます。作り手としての個の自覚は、日本陶芸のアイデンティティの探求と重なり、時代のムーヴメントとして桃山復興や民藝運動への展開に結実していきます。中でも、工芸における意匠の様式化や量産の土台に、個人の趣味や感性をもたらした先駆である富本憲吉(1886~1963)は、身近な風景や植物のスケッチから自身の模様を創出することの重要性を説き、器面の構成に表現領域を見出しました。
1920年代半ばに始まる民藝運動で称揚された工芸の意匠は、伝統的な花鳥風月や文学的題材の範疇にとどまらない、無作為の美でした。飾らないおおらかさは健康的とも形容されますが、陶の表現という視点から捉えると、表面に図様を描くという次元から、色彩そのものの表象という性格をより強くしたと言えます。本展では、一つの試みとして、河井寬次郎(1890~1966)や濱田庄司(1894~1978)ら民藝の作家たちの作品と、彼らが目にしていたであろう、アンリ・マティス(1869~1954)やジョルジュ・ルオー(1871~1958)の絵画作品を共に展示し、本展のメインテーマである二次元と三次元の往還を視覚的に問いかけました。
陶磁器の鑑賞の世界では、梅花皮や石はぜなど、器の土肌に景色を見出す茶の湯のように、従来から質感は重要な美の構成要素と認識されています。そのことは、例えば釉薬の調子や、逆に釉薬の掛からない、土の表情が露わになる焼き締め陶への関心が物語っています。北大路魯山人(1883~1959)の器に着彩された銀や緑釉は、ざらつきや光沢などの質感と相まって色彩の体感以上の複合的な感触を喚起します。視覚を通じて伝わる触感は、時に土に宿る始原的な美しさへの憧憬をも引き起こします。ここでは、加守田章二(1933~1983)、森陶岳(1937~ )、内田鋼一(1969~ )の作品を見つめました。
陶芸において、かたちの良し悪しは作品の美を判断する上で不可欠な基準となっています。陶磁器の表現においてあるべきかたちとは何か、作家たちは時代に即してさまざまな仕方で模索しています。ここでは形態と模様の関係を独自に追求した加守田章二や栗木達介(1943~2013)らに焦点を当てました。一方で、戦後の陶芸界全体を見渡すと、来日したイサム・ノグチ(1904~1988)や、戦後美術に大きな旋風を起こしたルーチョ・フォンタナ(1899~1968)の存在が一つの契機となり、空間と対峙する新しい視点が育まれたとも考えられます。昨今は、形態を成立させることを意図しない、かたちを名状し難いやきものも散見されます。かたちはこうあるべきという倫理観は、時代とともに変化しています。
本展の中盤となる第5章では視点を変え、イギリスやデンマークの作家を中心に、陶芸において重要な位置を占めるうつわの表現と、そこに見出される陶芸と絵画をめぐる表現の展開について提起しました。
ヨーロッパ大陸からイギリスに渡り、新しい美意識をもたらしたルーシー・リー(1902~1995)やハンス・コパー(1920~1981)は、やきものを垂直方向に伸びる彫刻として空間に対峙させるのではなく、器と器を組み合わせるコンビネーションにより水平方向に空間へ広がる契機、つまり器によるインスタレーションの表現を可能にしました。こうした表現は現代イギリスに深く浸透し、器を場所の記憶と接合して集合的にみせるエドモンド・ドゥ・ヴァール(1964~ )らの作風につながります。器を並べてみせる美意識は、ジョルジョ・モランディの静物画に触発されて器を集合させたグイン・ハンセン・ピゴット(1935~2013)のように、器そのものを絵画的表現の支持体とするのではなく、器のある風景を絵画面と見立てるようなヴィジョンにも通じています。また本章では、自然の摂理を理念に、器物のフォルムと色調を探究したデンマークのアクセル・サルト(1889~1961)にも注目しました。前章までの、器面に広がる造形要素とは異なる静謐な美を、ここでは体感いただきました。
本展の後半部である第6章から第8章では、現代美術ともクロスしながら陶表現のアイデンティティにも迫る現代作家たちに注目しました。
陶の作家たちは、技術を駆使し、作品の造形的特徴を模索することに自己表現の領域を見出しています。一方で20世紀後半以降、土という素材の表象や、焼くという行為に哲学的意味を見出す作家が徐々に現れてきます。ここでは、器の制作を必然とする陶芸のあり方を脱構築しようとした中村錦平(1935~ )、色絵の装飾を西洋美術のモチーフに転用した松田百合子(1943~ )らにみられた、既存の価値観を転覆しようと試みた作品に焦点を当てました。
2000年代以降、美術大学など専門機関で陶芸教育を受けた作家とともに、素材の一つとして独学で陶に着手する現代作家が現れており、今日ではその傾向がより顕著になっています。ここでは、流行にとらわれず、自身が求める表現の必然からジャンルを越境することにも臨む作家たちを見つめました。九谷焼の五彩が釉薬の層を重ねることで発色することと、絵画が色層の重なりから成り立っていることとの響き合いを結び合わせた上出惠悟(1981~ )、益子の陶器文化に想を得て、創作に伴う身体の動作の痕跡を、陶を介して空間に現前させる増子博子(1982~ )、白磁を薪窯焼成する田淵太郎(19 77~ )とその作品を絵画のモチーフとする岡本尚子(1979~ )のように、それぞれの方法で二次元と三次元を行き来し、現代の表現に結実させていくさまを紹介しました。
最終章では、陶芸の核心である「土を焼いて完成させる」ということ、焼成について考えました。陶芸はしばしば土と炎の芸術と言われますが、陶の芸術的表現としての展開と成熟は、作家たちがいかに焼成に取り組んだかの足跡ということもできます。鯉江良二の《土に還る》(1938~2020)はシェルベンと呼ばれる衛生陶器を粉砕したもので形作られ、当初は「焼かないやきもの」として発表されました。鯉江の哲学的な姿勢にも影響を受け、古典を咀嚼しながら現代のカルチャーを取り合わせていく豪快な作風を築き上げた桑田卓郎(1981~ )、そしてフランスで採取した土砂を焼成して材料にし、陶と絵画が融合した幾何学的な形態を浮かび上がらせる尹煕倉(1963 ~ )の作品により、本展を締めくくりました。
陶芸の表現は多義的です。本展では、陶芸と絵画をめぐる表現の変遷を辿ることで、陶の現代における意味と越境可能性を探り、今後の探究に向けて問いかけをしました。
本展にあわせ、特集展示として「ジョルジュ・ルオーの手仕事」を併催しました。当館のコレクションを中心に、陶磁器と関わりのあるルオー作品20点を展示しました。