パナソニック汐留美術館発行の展覧会図録を紹介します。お求めの方法は「図録のお申込み方法」をご覧ください。
販売を終了いたしました
「キース・ヴァン・ドンゲン展 フォーヴィスムからレザネフォル」
3,000円(税込)
会期:22022年7月9日(土)~9月25日(日)
発行年:2022年
発行:NHKプロモーション
A4変型 縦300×横215㎜、128ページ

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キース・ヴァン・ドンゲン(1877―1968)はオランダに生まれ、ロッテルダムの美術アカデミーに学びながら、20歳の頃に初めてパリに数か月滞在します。その2年後にモンマルトルに移り住み、アトリエを構えました。オランダ時代から力強い筆致の作品を描いていたヴァン・ドンゲンは、すぐに新印象派に関心を抱き、やがて濃密で表情豊かな強烈ともいえる色彩でフォーヴィスムの画家たちの一員となります。華麗な色調でありながら、内的な表情を感じさせる色を用い、なかでも女性を描く場合の身体の優美さや官能性を訴える画面は、ヴァン・ドンゲンの代名詞になっていきます。
本展は、この稀有な芸術家がフォーヴィスムの画家へと成長する過程を紹介し、その後の第一次世界大戦までの時期に取り組んだ色彩と形態の研究に加え、人物表現というテーマ、そして大戦終結後の狂騒の20年代(レザネフォル)における画家の歩みに焦点をあてるものです。
1920年代に入ると社交界との交流から、肖像画家として多数の注文を受けるようになります。ヴァン・ドンゲンならではのスタイルである、華奢で細長くデフォルメされたしなやかな人物像は、きわめて洗練された色彩で表現され、当時の上流階級の人々から絶大な人気を博しました。
日本の美術館においては44年ぶりの開催となる、ヴァン・ドンゲンの個展である本展では、巧みな人物デッサンと官能的表現という全時代を通じて見られる画家生来の資質と、各時代に特徴的な色彩、形、そしてそれらが調和する姿を、新印象派からフォーヴィスムの時代、フォーヴィスムの余波の時代、そしてレザネフォルの時代と3章に分け、国内外の優れたコレクションを通じてご覧いただきます。
※日本語字幕 宇都宮彰子氏
8月6日(土)、8月26日(金)
いずれも午後3時〜午後3時30分、先着50名、予約不要、聴講無料(本展観覧券が必要です)
会場:パナソニック東京汐留ビル5階ホール
パナソニック汐留美術館発行の展覧会図録を紹介します。お求めの方法は「図録のお申込み方法」をご覧ください。
販売を終了いたしました
3,000円(税込)
会期:22022年7月9日(土)~9月25日(日)
発行年:2022年
発行:NHKプロモーション
A4変型 縦300×横215㎜、128ページ
ロートレックの影響が顕著な20世紀初頭の作品から、新印象派的筆致で光の表現に秀でた油彩、そしてフォーヴィスム時代の鮮烈で強いコントラストの色彩による絵画によって、画家がたどった急成長の歩みをご紹介します。
ヴァン・ドンゲンの代名詞的ともいえるファッショナブルでモダンな女性肖像画のみならず、初期の即興的な水彩画や、旅先やリゾート地で制作した現地の人々を闊達な描写でとらえたチャーミングな人物像など、ヴァン・ドンゲン芸術の魅力の中心である人物表現の作品が多数出品されます。
ファッション・デザイナー、ポール・ポワレ(1879-1944)の本文による挿絵本『ドーヴィル』をはじめ、無類の洒脱さが際立つ版画集やポスター、挿絵などをお目にかけます。
1899年10月にパリに移住したヴァン・ドンゲンは、その後数年間のうちに、風刺雑誌や新聞の挿絵によって、世間にその名を知られることになります。それらは路上や貧困から題材を取った社会批判的な作品でした。
やがて、絵画がヴァン・ドンゲンの制作の中心となっていきます。1903年頃の作品は彼の新印象派への関心を明確に伝えてくれます。筆触の分割が探究され、フォーヴィスムを予告する基調色へと色調の幅が急速に広げられ、さらに、抑制されたモチーフの解釈においては完全な自由を手に入れました。それは1905年のアンデパンダン展やサロン・ドートンヌに参加した際に、批評家によって最終的に注目された大胆さと同様のものです。同じ場に展示した若い画家たちの大胆さに狼狽したある批評家は、彼らを「フォーヴ(野獣)たち」と嘲笑を込めて命名しました。
1905年を過ぎても、ヴァン・ドンゲンはフォーヴィスムの仲間たちとは対照的に、印象的なコントラストを重視しつつ、強烈な色彩を断念しませんでした。大きな色面が筆触の分割主義に取って代わり、主題は肖像や裸婦などの女性像が頻繁に登場します。さらに妻グースと娘ドリーの、ひときわ親密な表現もそこに加わりました。
ヴァン・ドンゲンは、第一次世界大戦以前の数年の間に、パリでの展覧会の成功を受けて、フランスで名を馳せます。その名声は国外にも広がり、1909年と12年には、より大きなアパルトマンに移り住み、パリの社交集団「トゥ=パリ」の面々と親交を深めるようになりました。
女性というテーマは、この画家の作品の中で一層重要な位置を占めることとなりました。身近な人々や足繁く通っていた夜の社交の場、あるいは優雅なブルジョワジーの中から無名のモデルを繰り返し描き、もはや社会の犠牲者という範疇では括ることのできないような、新しく、自由な姿を彼女たちに与えたのです。優美な着こなしの、あるいは一糸纏わぬ女性の身体や、化粧した顔を構図の中心に据え、明るい電灯の光に照らし出されている女性。1910年から1913年にかけての、スペインや北アフリカへの旅においても、ヴァン・ドンゲンは、女性像を忘れることはありません。特徴のある衣服に身を包む姿で、周りを取り巻く景観の中に捉えられた地中海沿岸に住む女性たちが画題となりました。もちろんパリやその庭園、森の描写も繰り返し描かれ、この画家が生きる場として自ら選んだフランスの首都への愛着を物語ります。
第一次世界大戦後、フランスでは幸福感と自由の風が吹き、パリ、とりわけモンパルナス地区においては、文化と祝祭の激しい興奮が広がりました。1929年にアメリカを襲い、1931年にはヨーロッパにも及んだ経済危機で幕を閉じた「レザネフォル(狂騒の時代)」と呼ばれるこの時期に、ヴァン・ドンゲンの名声は頂点に達します。彼の制作の大部分を占めていたのは、パリの新しいエリートたちの肖像画、そして上流社会が好んだ保養地であるドーヴィルやカンヌそして、首都パリとその周辺の街の情景でした。
1921年に訪れたヴェネツィアへの旅からは、画家は街の象徴的な建造物、優雅な社交界の人々が行き交う広場やカフェの描写などに焦点を当てた一連の作品を持ち帰りました。
この時期に受けた挿絵の依頼のなかには、とりわけ、この画家が心惹かれるオリエンタリスムの周辺へと想像力を奔放にめぐらせた、1920年の『キプリングの最も美しい物語』の挿絵や、祝宴、カフェ、水着姿の人々のいる海岸や競馬が主な舞台となる1931年の『ドーヴィル』の挿絵が上げられます。
ヴァン・ドンゲンが扱うテーマは多様であっても、女性の存在は不変です。風景の中に組み込まれ、生活空間や祝祭の場面を占める女性は、作品の唯一の主題として、優雅ですらりとしたシルエットを展開しながら、姿勢や衣服、宝飾品や髪型により、現代的で自由な女性のイメージを体現しています。画家が描いた女性たちの奥深く強い視線は、その人物たちの虚構のイメージを打ち消すものといえるでしょう。
※作品は全てキース・ヴァン・ドンゲン作