Panasonic Sports

ピックアップフェイス

吉川 峻平

先発マウンドに立つ、新人の吉川峻平。そのピッチングに一番驚くのは旧知の仲間だという。社会人となってわずか数カ月、「お前、何があったんや! 大学の時にその球を投げろや、って突っ込まれます。衝撃的だったみたいで」。大舞台を経験し、成長を続ける右腕は、春に見せたピッチングさえも置き去りにしようとしている。「もっと変わりたい。見ている人がこいつ、どんどん良くなってるなと感じてもらえるように」。

独特のシンカー

吉川と対戦するバッターが、まず警戒するのはシンカーだろう。「昔から僕にとっては特別なボール。他の投手とは握りや投げ方が違っていて」と言うように、そのシンカーは独特。初めて打席に立つ者の多くが軌道に戸惑うという。大学時代に日本代表のメンバーに選ばれた時も「選抜合宿の試合で、決め球にシンカーを投げて抑えました。その時、周りはプロ注目の選手ばかりで、無名の僕はこの一球だけでメンバーに残ったようなもの」と、その価値は十分に自覚している。自信のウイニングショットがあれば、後はどう追い込むかだけ。吉川は大学の頃から、一つ確立された投球スタイルを持っていた。

パナソニックの練習に合流したのは2016年の12月から。吉川はオープン戦で頭角を現し、3月のJABA大会からは先発陣の一角を任される。初先発にして鮮烈なデビュー、被安打2の完封劇だ。しかし、この試合で特筆すべきは得意のシンカーではなかった。「はっきりと変わったのがストレート。『148km/h』って表示されました。それまでは出ても143ぐらいでしたし、みんなびっくりしていたんですが、僕自身も今まで投げてきた感覚と全く違って。キャッチャーの三上さんのサインどおりに投げるばかりで、抑えている実感もなかったんですが、何かフワフワした気分で最後まで行きました」。ストレートの威力が増し、シンカーをはじめ他の変化球にキレがあれば投球テンポは自然と良くなってくる。「昨年の暮れからやってきたことは、間違いじゃなかった」と手応えを感じた。

「本当に変わろうと思って、ここに来ました。大学の3年までは社会人レベルでできれば、ぐらいの気持ちでしたが、パナソニックに声をかけてもらって4年でやっと本気になったというか」。自分なりの“理想の投球”はおぼろげに浮かんでも、そこに結びつける行動が伴わなかった。「練習が嫌いで。勝ちきれなくてエースを後輩に譲ったり、でも練習はそこそこ。それで済ませてしまうような選手でした。この1年はずっと意識して考えながら練習するくせがつきましたし、先輩にアドバイスももらいながら。その積み重ねが試合の投球に表れると思っています」。いきいきとした目で話す。

中学までは小粒な内野手

野球を始めたきっかけは、仲の良かった近所の三兄弟。年上の彼らを追って吹田市の佐竹台ストロングアローに加入した。練習は週末だけの緩いスタート。高学年で投手・捕手を経験したが、思い出は地区のオールスター戦に出場したぐらいのもの。主だった戦績はと聞いても「ないです!」と即答する。中学も仲間に連れられて地元の千里山ボーイズへ。「ポジションはセカンド。左打ちでしたが、打つほうは非力でバントがメインでした」。地味な選手ではあったが、チームが大阪大会で準優勝を何度も重ねて、野球が『進路』と結びついていく。「高校選びは真剣でした。甲子園に行きたいと、過去3年の大阪府ベスト16をリストアップして目星をつけて。親が関大北陽高校に好印象を持っていたのも後押しになって、監督に相談して決めました」。

「バッティングピッチャーはたまにやっていましたが、中学時代はピッチャーを断っていたんです。だから高校の監督・コーチは僕の投球を知らないはずなんですけど、関大北陽に入ると1年目からコーチが『ピッチャーをやらせる』と言いだして」。吉川の野球が急展開する。最初は冗談っぽい話だったが、2年の夏になると逃げ場のないコンバートが待っていた。「監督から言われました。僕をピッチャーで取ったんだと。絶対に嫌ですと言ったんですが監督も本気でした。ノックに入らんでええとか言うんです。悪いことにある日ブルペンで遊びに投げていたのを見つかって、やっとやる気になったかと(笑)。全然そんな気ないのに」と、渋々ピッチャーになった。

2年の秋、投手・吉川は新チームで迎えた初戦でどん底を味わうことに。相手は公立の大冠高校。「ホームランを2、3本打たれてコールドに近い負け方。コーチがはっきり言いました『お前らは弱い』って」。練習は厳しさを増し、監督・コーチの激が飛ぶ。「ノックで誰かがミスをしたらすぐ全員が走る。練習が進まないんですよ。全体練習の後にトレーニングして最後もまた走る。一応10本って設定なんですが、一人でもタイムが切れないと追加になるから15本、20本みたいな」。速い組が遅い組を引っ張って押して、無理やりタイムに入れようと――、必死の姿が目に浮かぶ。「絶対に見返したるって思っていましたね」。先頭に立っていたのはキャプテンの吉川だった。

ピッチャーとして、キャプテンとして

そもそも主将になったのも、監督に指名されたからだという。「その頃になると甲子園どころか、考えるのは1日をどう乗り切るかだけ。嫌われるとかは気にしない性格なので、同期にも後輩にも遠慮なく怒鳴っていました。たぶん僕を嫌いだったメンバーが半分ぐらいはおったかも」。日々の猛練習で次第に仲良しチームはレベルアップ、エースでキャプテンの吉川自身も成長していく。「自分の野球の基準、基礎は高校時代。ピッチャーもキャプテンも、やらされて、やらされての連続でしたけど、思えば関大北陽の経験が今につながっています」。

奇遇にも大冠高校とは公式戦で何度も顔を合わせる。3年春の大会で対戦し、勝って借りは返したのだが、さらに夏のトーナメント表を見て驚いた。「また同じ山におる(2戦目)」。初戦を完封で勝ちあがって迎えた次戦、相手はやはり大冠高校だ。その日、吉川は借り物の帽子、ストッキング、アンダーシャツを身に付けていた。「同期の投手が3人いて、彼らはベンチにも入れなかったんです。2年から急にピッチャーになった僕が投げる時、ずっと頑張ってきた3人の何かをと思って」。結果は圧巻の無四球完封勝利。「皆で強い気持ちを持って臨んだ夏でしたし、関大北陽にきて良かったなと」。次の試合に敗れたが、宿敵との対戦を胸に刻んで吉川は高校野球を終えた。

関西大学進学はたまたまの幸運だという。指定校推薦の枠はなく、志願して練習参加した吉川だったが、当時の監督は乗り気でなかったという。「居合わせた日本生命元監督、早瀬万豊さんが、絶対獲っとけって推してくれたみたいで。その後、僕が2回生の時に早瀬さんが関大の監督になって。縁を感じますし、感謝しています」。大学のデビュー戦は記憶に残っている。「1回生春のリーグ戦。けがをした投手の枠でベンチに入れて、ブルペンで適当に肩をつくりながら『大学はレベル高いなあと』感心していたらいきなり行けと。すごく緊張してビビッてましたね」。対戦した打者は二人だけ。四球、送りバントを決められて苦いデビューになった。

思いもしない「ジャパン選出」

初先発は3年の春。初戦の京都大学は完封するも、続く近畿大学戦で大崩れ。初回5失点のKO、アウト一つでマウンドを降りた。「小雨の試合だったんですが散々で。社会人になって雨の試合に好投できて払しょくできましたが、しばらくトラウマだったぐらい。その頃の僕ってなかなかのチキンで(笑)。監督の信頼をなくして登板間隔があく。次のチャンスは関関戦(関西学院大学との伝統戦)で、6-7回まで無失点で抑えられたり」。波が大きな2番手投手。当時の吉川はそんなイメージだ。けがや不調で誰かが抜けると、その1枠に収まるのがパターン。体は丈夫でいつでもOKなのだが。「悔しかったけども、4回生春のリーグ戦も後輩がエースでした」。

しかし、吉川はこのリーグ戦でブレーク。「シーズンを投げ抜いたのが初めてで、初対戦の打者も多かったし」と謙遜するが、防御率1.3の数字が物語るように安定感抜群。特に近畿大学の2回戦は、延長13回を投げ抜き1-0の勝利。「15回ドローの再試合が延長で、最後もサヨナラボーク。近大戦は印象に残っています」。さらに、この完封がきっかけで思ってもみなかった大学生ジャパンに招集される。「合宿初日、リーダー格の選手がいて『あれは誰』と聞いたら、柳 裕也を知らんのかと驚かれて(同年秋に中日が1位指名)。調べたら、僕以外は全員がドラフト候補。すごいとこに来てしまったなと。実際に日米野球の初登板は3戦目の最後、一人だけの場面などごくわずか」。ベンチの特等席でアメリカのすごさを見たと笑う。「あんなスイングでホームランを打つ。野球観を変えさせられたというか。またそれを相手にして投げる仲間も、よう抑えるなあと」。

最後の秋、関大はリーグ優勝し、吉川は明治神宮をかけた代表決定戦に先発した。大阪体育大学を相手に2安打、15奪三振の完封勝利。「4年間で一番良かった試合です。エースの調整遅れで、秋のリーグ戦は僕が1番手だったんですが、大した活躍ができなくて、二つ下の後輩が5勝をあげてMVP。代表決定戦でやっと一つ役に立てた」。また、その試合には特別な意味も。先に出場を決めていた明治大学が対戦相手を偵察にきていた。「関西に来るからと連絡はもらっていたんですが冗談だろうと。で、スタンドを見たら明大の監督と、ジャパンで一緒だった柳ら4人がいて。うわぁ、ほんまにおる」。その目の前で、吉川は最高のピッチングを見せた。「その後、神宮ではホームランも打たれたし、チームも負けました。でも、プロに行く彼らと一緒にやりたいなと思っていたし、初戦で明治とできてすごく楽しかったですね」。

ファンの思いに応える投手に

あれからちょうど1年、吉川はパナソニックのユニホームを着て日本選手権を迎えようとしている。初めての大舞台、都市対抗の東京ドームは「観客が多いのに驚きましたが、あの雰囲気は楽しかったですね。また、こんなやつがおったんかとか、驚いてくれる反応が結構好きなんで。だから僕自身がこれから少しずつ変わっていって、都市対抗で僕のピッチングを見てくれた人にも『こいつ前より良くなってるな』って感じてもらえたらと。そこを目指してずっと練習をしていますし、やっているからには上のレベルを目指す。最後までマウンドに立って、試合に勝ちたい」。

2017シーズンのここまで、吉川は「自分の悪いところ」を振り返る。マウンドを降りる場合にも、リリーフの先輩投手に悪い形で渡してしまったり……、それでは先発の役目を果たしていないと痛感している。「荒れ球が良かったと言われる試合もありますが、僕的にはそのイメージはうれしくなくて。極論を言うと、思っているところに投げて、描いたとおりに100%抑える完全試合でないと、納得はできないと思う。完封しても納得はできないし、あの1球はアカンかったというのが残るほう」。スポーツ紙が書きたてた、都市対抗初戦の3回9奪三振も同じくで「連続三振が取れて、絶対何かあるなと思っていたらホームランを打たれて。後から振り返ると、油断した部分があった」。

一方で、新たな目標もある。「もっと粘っていける投手に。得点圏にランナーをおいても粘れるように。例えば打撃陣が5点取ってくれたら、4点までに抑える。相手が0に抑えるなら、自分も0に抑える。根気よく投げていくスタイルをつくりたいですね」。目指すのは、勝てるピッチャーだ。吉川は理想とする姿を、ファンの思いそのままに語る。「大事な試合、大事な場面でピンチになってもこいつは抑えてくれる! と皆さんに思ってもらえる選手になりたい」。

(取材日:2017年10月3日)

「スイスイと完封する投手」「武器はシンカー」
紋切り型のイメージは、もう古いのかもしれない。
一戦一戦を積み重ねながら、
2017-2018へ、吉川は進化を続ける。

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