豪快なフルスイング、スタンドに突き刺さる打球――。片山勢三の名がスタジアムにコールされると、誰もが一つのイメージを抱く。片山=ホームラン。若き長距離砲は自信に満ちた表情で語る、「対戦投手のVTRは何度も見る。徹底的に研究して試合に臨みます。ランナーなしからも点が取れる、ホームランが自分の持ち味です」。
打てる、そう思えるまでリプレイ
「下から相手を見上げるような気持ちで、打席に立ちたくない。だから、自信が持てるまで対戦するチームの動画を見続けます。この投手は打てる、そうイメージが固まるまで」。胸のすくような片山のフルスイングは、その自信から生まれる。いざ、打席に立ったら難しくは考えないという。「内角、外角はあまり気にしない。スライダー、フォークなどの球種も細かには考えない。真っすぐか、変化球かで考えていれば確率は50%です。毎打席、バッテリーとの駆け引きを楽しんでいます」。真剣勝負に心を躍らせる。
ものおじしない性格で、根っからの野球好き。入社2年目の片山が、知るはずのない数年前のゲームを振り返って、先輩に質問を浴びせることがある。「見ましたよ! あの都市対抗のホームラン、どんな感触でした?」。まるで記者のように、印象に残った試合、勝負を決めた一打に片山が鋭く切り込む。時には監督・コーチも取材対象だ。「あの打席は鳥肌もんやった! とか教えてもらって。自分もそんなホームランを打ちたいし、目標になります。少しでも時間があったら野球の動画を見ています。プロの試合も、パナソニックのずっと昔の試合も」。
自らの打撃にはさらに念入りなチェックを繰り返す。片山のスマホには、これまでの打席を撮影したムービーが、細かにファイル整理されている。「他の人が見ても分からないでしょうけど、ちょっとしたフォームの違いやチェックポイントがある。体が開いた、無理に変化球に手を出した・・・、振り返りながらチェックします」。そのストックをさかのぼると、打席全集は高校生に始まる。撮影は両親、雨の日も傘の下から録画を続けてくれた。実戦の結果を置きざりにせず、リプレイ映像で振り返って次につなげる。片山の打撃は、そうして進化を続けてきた。
ソフトに始まり、小さな野球部へ
少年時代の片山を育てた指導者、その人は野球経験のある祖父だ。「キャッチボールをしてもらうのが楽しみでした。JR九州の元選手で、高校の監督経験もあるので、聞いたことには何でも答えてくれる。バッティングセンターに行くと、自分がゲージに入ってポンポンと打ち返す。格好良かったですね。そんな祖父を見て、自然と野球チームに入りたいと思うようになりました」。小学3年生で、地元のソフトボールチーム貫小WINSに入り、1年後には4番ピッチャーの中心選手になった。
バッテリーを組んだ捕手は、俊足のトップバッター。「実質彼と2人だけのチーム。試合より練習をしてうまくなることが目標だったかもしれません」。毎朝2人は家の裏庭に集まり、ひとしきり練習をして一緒に登校。家に帰るとすぐにグラブを持った。裏庭には、バッテリーのためにと父が畑を耕して作ってくれたマウンドも。「チーム練習は週末だけでしたが、毎日そいつと一緒。あんなに仲がよかったのに・・・、中学受験することを黙っていました。一声もかけなかったことを今も後悔しています」。片山は中高一貫の公立進学校、門司学園に入学する。
同校は創立5年目で、野球部もできたばかり。「グラウンドが狭くて、ショートの真後ろにラグビー部が、塁間に砲丸の選手がいる状態。これじゃ強くならないですよね」。片山自身も中学2年で肘の故障から手術をし、3年夏まで野球ができなかった。潮目が変わったのは、高等部から。「先輩キャッチャーと並んで3番、4番を打ちました。その方は後に大学日本代表にも選ばれ、今は社会人で同じ舞台に立っている人」。20人に満たない野球部だったが、チームに軸ができると意識も変わる。片山は持ち前の長打力に磨きをかけようと、意図的に体重増に取り組んだ。
パワーヒッター片山の誕生
朝からご飯2合を平らげ、昼は大きな弁当箱にいっぱいの肉。1日5食が日常になった。「食べるのは苦じゃなくて、すぐに体重も増えました。金属バットだから詰まっても入るし、飛ぶなあ! って。ホームランの数も比例して増えました」。元は78キロ、50mを6秒前半で走ったスリムな体形。その体重は95キロにまでアップして、見る間にパワーヒッターの体格に。2年で主将となり、ポジションは捕手に変わった。迎えた秋の福岡県大会、チームは快進撃を続け決勝に駒を進める。「野球人生で初の決勝、結果は負けてしまいましたが、本当にチームが強くなったんだと実感しました」。
テレビで見てきた私立の強豪を倒して、福岡県大会準優勝。九州大会でも長崎日大と延長13回を戦って僅差で敗れた。「有名校を相手にしても、全然やれると自信がつきました。全国には行けなかったけど、上のレベルが分かった。ここからだ、夏を目指そうと」。片山は不動の4番、「あいつに回せと、みんなが信頼してくれて『片山が打たなかったら負け、打ったら勝ち』と割り切っていたというか。プレッシャーもありましたが、人一倍練習もしたし、自分が決めるんだと自信もありました」。その夏、片山は県大会でアーチをかけ続けて期待に応えた。
まず、2回戦で2ランを一発、4回戦は逆転満塁弾、次戦ではサヨナラ弾。「打った瞬間、頭をよぎったのが、野球の神様は本当に見ているんだなと。監督から教わってきたのが『徳を積む』という考え。少しでもスリッパが乱れていたら直す、ごみを見たら拾う。そういう小さなことが、全て野球につながっているんです。周りから見るとコイツ何してんだ?って思われるようなささいなことも気になるようになった。監督のおかげです。野球は全部につながっているんです」。チームの最終成績は県ベスト4。全国の舞台は踏めなかったが、片山は高校通算32本の本塁打を放った。
トップレベルとの出会い
あのとき合格していたら、今ごろ野球は・・・。「九州共立大から誘いはもらっていたんですが、断って国公立大学を受験しました。でも、落ちちゃって九州共立大学を一般入試で受け直し。今は落ちてよかったと思います」(笑)。ここで片山の進路が定まった。名門野球部は200人規模の大所帯だったが、入部2日目から1軍のAメンバー入りを果たして、リーグ戦に出場した。同年秋には一塁手で五番打者に定着、2年になると4番に座った。ブレークしたのは3年春のリーグ戦、47打数17安打の好打率をマーク(うち、ホームラン4本で本塁打王)、いよいよ本領を発揮し始めた。
舞台は頂点へ。4年秋の明治神宮大会、片山は初戦で2本のホームランを放った。「この大会が大学時代で一番印象に残っています。初戦は名城大学、相手は日本代表クラスの好投手でした。そこから打って試合にも勝った。自分のバッティングが通用すると確信できました」。しかし、続く日体大戦は1-1でタイブレークにもつれこみ惜敗。片山はノーヒットに終わった。「このときの投手2人は、その後プロに進んだ選手。本当のトップレベル、その壁を感じました。録画を振り返るたびに、どうすれば攻略できるだろうか、もう一度勝負がしたい! と思います」。
大学時代を振り返り、片山はあるシーンを思い出す。「4年の神宮大会よりも前のこと。一つ上の先輩が『全国制覇』の方針を掲げると聞いて、それは違うだろうと同意ができなかった。『まだ、その舞台に立っていないのに、言えるんですか』と。相談をして先輩のところへ一緒に行ってくれたのが、同期の望月です。初めて自分よりレベルが上だと思ったのが彼で、今も社会人野球の選手ですし大親友です。先輩は話を聞き入れてくれて、1試合1試合を勝っていくという目標に変わりました。その先輩は卒業されるときに、僕をキャプテンに推してくれた方。お前なら大丈夫だと背中を押してもらいました」。大学生の片山を支えた盟友2人だ。4年秋にはチームを率いて、明治神宮でベスト8に。「これで胸を張って社会人野球にいける」。
ドームで、みんなの目の前で打ちたい
片山は、練習生としてパナソニック野球場にやってきたその日をよく覚えている。「大学2年のときです。ある程度自信を持っていましたが、初めて社会人と練習させてもらってよく分かりました。全くレベルが違うと。その瞬間にパナソニックに入りたいと決めていました」。今やブルーのユニホーム#8が似合う主軸打者となり、持ち前の明るい性格で先輩と若手をつなぐ役割に。「こう言っては失礼ですが、気を使う先輩はいませんし、今年入った後輩にも、チームに入りやすいように積極的に声を掛けています」。
ちょうど1年前、ルーキーイヤー最初の公式戦、スポニチ大会で3本のホームランを放ち、スタートダッシュを決めた。「レフトへ2本、右中間に1本、その3本は自分でも納得ができる完璧な当たりでした。だけど、2本打った第二戦は逆転負けの悔しさも残っています。やっぱり、4番は大事な場面で打ってこそ。都市対抗は代打出場で本塁打でしたが、あの舞台の4番というのは“外してはいけない場所”だと思っています」。2018年春から4番打者を務め、社会人野球ベストナイン(指名打者部門)に選ばれた。「もう一つの目標、本塁打王を逃しました。自分は4番で、長打を期待される立場。結果を残して勝利に貢献したい」と、もう一段上の目標を掲げる。
会社の所属部署には熱烈な片山ファンがいる。「職場のフロア全員で応援してくれます。飲み会で集まっても、ほとんどが野球の話。チームが勝っても、お前が打たんと納得せん! とか、すごく厳しいんですよ。まず一番は、その人たちのために」。もう一人、その一撃を楽しみにしているのが祖父だ。「テレビ中継は必ず見てくれていますし、シーズンオフには動画を送れ! と九州から連絡も。ここが良くないとか、分析を始めると話が止まらない。車いすの生活で、都市対抗は遠くて来られないのですが、昨年の京セラドームではベンチの真上に陣取って、応援してくれました。今年こそ、両親とおじいちゃんの目の前で打ちたい」。
試合を決する一打、勝利を目指して
ホームラン打者の定番といえばバット投げ。片山のそれもプロ顔負けの豪快さだ。「昔から中村紀洋選手のマネが好きで、大学から投げはじめた。今は、お前やりすぎだって、先輩に突っ込まれます。動画を見直すと、確かに・・・」。気迫を込めた打席でパフォーマンスを発揮できたとき、体は自然と動く。こんなシーンもある。2018年の日本選手権初戦、片山は序盤に4球を選んだ瞬間に、バットを置きながらガッツポーズを見せた。「基本、勝負がしたいですしオープン戦なら違ったと思う。でも、あの場面はどうしても出塁したいノーアウトで、無意識に出たんだと思います」。
豪快な一打から“九州共立のおかわり君”と称された片山、今の目標もその人だ。「軽々ホームランを打つ長距離砲、中村剛也さん。小さな頃はプロ選手の名前で漢字を覚えたし、今も欠かさず選手名鑑を買っています」と語る笑顔は野球少年のまま。「自分は九州出身なのでプロ野球のキャンプで見た清原さんや松井さんが好きで。やっぱり、憧れはホームランバッターです」。応援をくださる皆さんへメッセージを問うと、片山は一発即答。「自分の一打で勝利に貢献する姿を見せたい」。1本のホームランに酔いしれることはない。チームの勝利に向け、何本でも打つ。
春季キャンプから、スイングを重ねた――。
2年目の進化、4番の責任、守備のレベルアップ、
全てグラウンドで答えを出す。