ふっと力を抜いたフォームから、スムーズに、しなやかに左腕を振り抜く。柔軟性を生かして投げる直球には、急速以上の威力が宿る――。落ち着いた空気をまとい、ルーキーイヤーから存在感を放つ小倉投手。なぜパナソニックのマウンドに立ち、何を見据えているのかと聞けば、その目には想像以上の景色が広がっていました。
DATA
- 京都府出身
- 小学3年生からアメリカで野球をはじめ、中学2年生時に帰国。
- 中学2~3年生時にはバスケ部に所属するも
同志社国際高校に入学後、野球に再熱。
2年生からは背番号「1」を背負いエースとして登板する。 - 同志社大学に進学後、4年生秋には
関西学生リーグで最優秀投手に選出される。 - 今シーズンからは、ルーキーとして躍動感あるフォームと
ノビのあるストレートを武器に先発投手陣の一角を目指す。
オレのバックグラウンド
小学3年から、米テキサス州ヒューストンで暮らしました。英語がまったく話せなかったので、周囲とのコミュニケーションのきっかけにと始めたのが、野球だったんです。父は東山高校で甲子園出場経験もあるので、僕も自然と野球は好きになっていましたね。でもアメリカではバスケ人気が高く、休み時間はいつもバスケをしていました。なので、中学2年で日本に帰った時は、バスケットボール部に入りました。野球との違いは、コートに立てば常にスポットライトを浴びること。相手を抜いたり、めちゃくちゃ点数が入ったり、試合がどんどん動いていくのが楽しいんです。今も観るのはバスケが好きだったりします(笑)。
オレが輝く瞬間
一度離れて気が付いたのは「自分の軸は野球」という思い。再び高校からは野球部に入りました。日本では野球の注目度が高いですしね。バッティングも好きですが、ピッチャーマウンドでの研ぎ澄まされた感覚と緊張感は、他に換えられない魅力があります。プレッシャーに打ち勝って、0点で抑える、結果を出すことが投手としての醍醐味です。あと、成長に大きく関わったのは反骨精神かもしれません。テキサスに移った時や、大学に内部進学した時に、度々偏見や考え方のギャップに直面してきました。そこで「絶対に実力で見返すぞ」と思っていた。地道な練習や、けがからのリハビリはその気持ちで乗り越えたのかもしれません。
就職、じゃない道へ
大学時代は、筋力や体幹を鍛えるとどんどん球速が上がり、3年生の時に150キロに乗りました。当時プロ入りを視野に捉えたのですが、その後けがが重なりチャンスをつかめませんでした。だから野球に決別して就職を考えたんです。職業適性診断の結果は「1位、商社」。父と兄のように商社でいつかは海外赴任をという将来も浮かびました。でも、それでは完全にプロへの扉は閉ざされます。そこで、パナソニックが「社会人野球」という新たな選択肢を示してくれました。社会人野球からプロ入りの門は狭い。けれど「小さくとも可能性にかける人生のほうが絶対に面白い!」と思いました。そして今、チャレンジングな日々を楽しんでいます。
野球選手としての掟
- ① 昨日より半歩でも前進
- ② 根拠がなくても自信を持ち続ける
- ③ メンタルを常に一定にする