マウンド上で静かに打者を見据え、その緊張感をもコントロールする城間投手。「皆で戦う強い投手集団に」と、さらに制球力を磨いてスタンバイ。実は強豪ひしめく94年世代、12年春・夏の甲子園で準優勝し、日本代表でもしのぎを削った実力者。貴重な当時の経験から聞きました。
DATA
- 大阪府出身
- 光星学院高校:2~3年時には春夏、3季連続で甲子園準優勝
U-18日本代表選手にも選出され、世界大会のマウンドに立つ - 東北福祉大学:1年春のリーグ戦からマウンドに立ち、リーグ戦通算成績は18勝2敗
- パナソニック:3年目の都市対抗3回戦、日本製鉄鹿島戦では先発として、4回1/3を無失点に抑える好投で勝利に貢献
6年目の今年も先発投手陣の柱として活躍中
超人との出会い
高3の8月、大谷翔平君や藤浪晋太郎君と共にU-18日本代表に選出されました。それまで大谷選手は同じ東北地区のライバル、藤浪選手は甲子園で春・夏と決勝で戦った相手でしたが、同じチームになり改めてすごさを思い知りました。まず、190cm超の2人に挟まれてのピッチング。威力が桁違いで、プロと並んでいる感覚でした。「すごいなあ」「チームメートにいたらなんて頼もしいだろう」と(笑)。大谷選手は、試合でボールカウントが増えてストライクを取りにいった球が155キロでしたからね。練習のストイックさや試合の入り方も違いました。
自信の作り方
遠征先で2人部屋になった大谷選手は、四番で出場する前夜に「俺は絶対打てる、俺は絶対打てる」と唱えていました。「俺はこうしたら打てるんだ」と。当時の僕はそれを聞いても「何してるんやろう」という感覚でした。メンバーには同じ高校の同級生もいましたが、北條史也や田村龍弘らプロ入りした面々で、周りを見ると自分は自信を持てなかった。けれどAAA世界野球選手権大会の初戦で先発させてもらったり、超ハイレベルな練習やチームメートの野球への取り組み方を学べたことが、その後の自信につながりました。
最大の後悔
社会人3年目の都市対抗予選で苦い思い出が。点差を保った中で登板し、連打を浴びて大量失点。そこで負けてからズルズルと第6代表決定戦までいきました。「自分のせいだ」。チームに迷惑をかけて悔しくて吹っ切れなかった。本戦は1回戦、2回戦を榎本さんが完璧に抑えて勝ち進みました。すると監督に「次どうや」と声をかけられて……、投げさせてくれるのかと驚きました。うれしいけれど、敗戦の残像もよぎる。ここで負けたらと思うと怖かった。けれど監督は挽回のチャンスをくれた――。
直後のリベンジ戦で
マウンドに立った時はめちゃくちゃ緊張していましたね。先頭バッターのちょっと詰まった当たりがセンターに落ちそうに……。それを藤井健さんがスライディングキャッチしてくれました。それで落ち着けたのを覚えています。その後はピンチを背負いながらなんとかしのいでいていると、5回の途中で監督がマウンドに来て「キツイやろう」って。「大丈夫です」と返事をしましたが、同級生の鈴木にリレー。しっかり三振を取ってくれて、正直ほっとしました。これは、野球人生の中で特に度胸を試された試合です。一発勝負の厳しい世界、もう自分のせいで負けるわけにはいかなかった。チャンスをくれた監督に感謝しています。
野球選手としての掟
- ① 日々成長
- ② 探求心を常に持つ
- ③ 弱気にならない