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第二次世界大戦で広島に原爆が投下された際(1945年8月)ガラスの破片が刺さった、高橋昭博の右手人さし指のつめ。
その後、つめの組織に異状をきたし、黒色硬化、約3年ごとに抜け落ちる。
元広島県産業奨励館の残がい。
この建物は、イタリア(後にチェコスロバキア)の建築学者Jan Letzelの設計。
1915年8月5日に広島県物産陳列館として開館したもので、30年後の1945年8月6日、この建物の真上で、原子爆弾がさく裂した。
原爆被災の象徴として、戦後25年、広島市の復興完全になった今日も、なおその形をそのまま残している。
※本ページの内容は、タイム・カプセルEXPO'70記録書(1975年3月発行)を引用して掲載しています。社名や組織名など現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。
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