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パナソニック株式会社の企業美術館、パナソニック 汐留ミュージアムは「フランス印象派の陶磁器 1866-1886 −ジャポニスムの成熟−」展を
2014年4月5日(土)から6月22日(日)まで開催いたします。
《バルボティーヌ 草花燕(つばめ)図水注》
アビランド社 オートゥイユ工房
レオン・パリゾ 1876-1883年
テラコッタ Y. &L. ダルビス蔵
1874年4月、近代絵画史上最も画期的と見なされるグループ展、第1回印象派展がパリで開催されました。その出品作品のひとつであるモネの《印象、日の出》は、刻々と変化する水面の煌めきなどありのままの自然の情景が、大胆な筆致でキャンヴァスに表現されました。しかしこの絵画は精細さを欠いているとして多くの批判を浴び、皮肉をこめてこのグループは「印象派」と名づけられました。同じ頃、陶芸の世界においても新しい技術やジャポニスムからの発想を生かすなど、近代性を取り入れた革新的な陶磁器が作られていました。
第1回印象派展の出品作家で銅版画家のフェリックス・ブラックモンも、日本美術の影響を受けた一人です。彼は、リモージュ磁器で知られるアビランド社の経営者で日本美術の蒐集でも知られるシャルル・アビランドと出会い、同社の美術監督として迎え入れられると、ジャポニスムのモチーフなどを生かした伝統に捉われないデザインで才能を発揮しました。1880年代初頭には焼締陶器や銅紅釉を使用するなど新しい素材への挑戦を続け、アビランド社はフランスを代表する陶磁器メーカーとして発展しました。
そして、第1回印象派展から100年を経た1974年、「セラミック・インプレッショニスト(Céramique Impressionniste)」という展覧会がパリで開催されました。ここでは印象派絵画のような筆致で装飾された陶磁器と印象派絵画との関連が改めて注目を浴び、作品群は「印象派の陶磁器」と称され、その芸術性の高さが認知されることとなりました。
本展は、アビランド家コレクションを中心に、印象派時代の陶磁器が日本で系統的に紹介される初めての機会です。印象派スタイルの絵付けをした陶磁器をはじめとして、19世紀後半のフランスが憧れた東洋や日本の美術が色濃く反映されたテーブルウエアや陶芸作品に加え、モネやルノワールといった印象派の絵画も含め合計155点展示いたします。
名称: | 「フランス印象派の陶磁器 1866-1886 −ジャポニスムの成熟−」展 |
会場: | パナソニック 汐留ミュージアム 東京都港区東新橋1-5-1パナソニック東京汐留ビル4F JR 「新橋」駅より徒歩約8分、東京メトロ銀座線・都営浅草線・ゆりかもめ「新橋」駅より徒歩約6分、 都営大江戸線「汐留」駅より徒歩約5分 |
会期: | 2014年4月5日(土)〜2014年6月22日(日) |
主催: | パナソニック 汐留ミュージアム、朝日新聞社 |
後援: | 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、港区教育委員会 |
協力: | エールフランス航空 |
企画協力: | アートインプレッション |
休館日: | 毎週水曜日 |
開館時間: | 午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで) |
入館料: | 一般:800円 大学生:600円 中・高校生:200円 小学生以下:無料 65歳以上の方:700円(年齢のわかるものをご提示ください) 20名以上の団体:各100円引(65歳以上の方は除く) 障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで:無料 |
担当学芸員: | 岩井美恵子 |
《ルソー》シリーズは、フランス陶器における最初のジャポニスムの作品です。パリで食器製造販売業を営んでいたフランソワ=ウジェーヌ・ルソーは、1866年に銅版画家のフェリックス・ブラックモンにディナーセットの装飾デザインを依頼しました。それは《ルソー》シリーズと呼ばれ、翌年のパリ万国博覧会で好評を得、それ以来1930年代後半まで製作されロングセラーとなりました。ブラックモンは、葛飾北斎による版画『北斎漫画』や、自身のオリジナルの図柄をモチーフとして様々な図案を描きとり、それらを銅版に食刻したのち、黒インクで紙に印刷しました。その後職人たちが印刷されたシートを図案ごとに裁断し、器に配置しました。この食器の色彩は、それぞれ異なっているので、絵付けの配色は職人たちに委ねられていたことがわかります。当時の食器の常識は、中心と縁取りに模様が施されているというものでしたが、《ルソー》シリーズはまさに「革命的」でした。つまりこのシリーズでは、黒く太い輪郭線で囲われた動植物の絵柄の色彩が、余白を強調するほどに鮮やかなのです。さらに食器の縁取りを梳毛(すきげ)様で彩り、伝統的な高級感と斬新さを合わせ持ったこの食器は、驚きをもって迎えられたのでした。さらに1870年代に入るとフランスのボルドーで、ジュール・ヴィエイヤールが『北斎漫画』や『富嶽百景』のモチーフを組み合わせるなど、独特の食器装飾を生み出しました。
《「ルソー」シリーズ
雄鶏に熊蜂(くまんばち)図皿》
クレイユ・エ・モントロー陶器工場
フェリックス・ブラックモン
1867年、Y. &L. ダルビス蔵
1842年の春、アメリカ人のダヴィッド・アビランド一家が、フランスの磁器産地、リモージュにやって来ました。この旅の目的は、アメリカの顧客が気に入りそうな食器の買い付けでしたが、商才に長けたダヴィッドはすぐこの地に装飾工房を設立し、さらに数年後には独自の磁器工場を建てました。1879年に二人の息子がダヴィッドの跡を相続した時には、ヨーロッパで最大の磁器製作所となっていました。普仏戦争を終えたフランスには新しい中流階級が生み出されていたので、近代的で手ごろな価格の製品開発の必要性を感じていたシャルル・アビランドは新しいデザイン・コンセプトを探るため、国立セーヴル磁器製作所を訪れました。そこで、フェリックス・ブラックモンと出会います。その後ブラックモンは、1872年7月に、パリの西部郊外にあるオートゥイユ工房の芸術監督となりました。ブラックモンは、磁器の装飾に多色石版印刷術を用いることによって、輪郭線の転写と絵付けを同時に行いコスト削減と斬新なデザインの開発に成功しました。ブラックモンは、《ルソー》シリーズで見せたモチーフを散りばめる手法を磁器に応用するなど、伝統やルールに捉われない、新しいデザインを生み出していったのです。
《「散る薔薇」シリーズ コンポート》
アビランド社(リモージュ)
フェリックス・ブラックモン
1876年、Y. &L. ダルビス蔵
食器デザインで革命を起こしたアビランド社は業界のトップに躍り出ましたが、南北戦争から続いているアメリカの好景気にもかかわらず、シャルル・アビランドは、近く市場が下降傾向になると予測しました。そして製品の多様化を開始し、1872年中頃には、軟質磁器を再導入し、また洗面用具や花瓶などの製作に乗り出しましたが、売り上げは伸び悩みました。一方、1870年から71年の普仏戦争の頃、ブラックモンは陶芸家エルネスト・シャプレと出会います。シャルルが求めていたヨーロッパとアメリカ市場に注目される新しい技術を持っていたシャプレは、1876年にはオートゥイユ工房で、新しい技術「バルボティーヌ」による作品製作を開始しました。
「バルボティーヌ」とは、テラコッタの上から泥しょう(スリップ)を掛け、まるで画家がキャンヴァスに描くように絵付が施されるという技法です。装飾図案を担当する芸術家たちは、素材や光、日本の版画や前衛的な印象派絵画にみられる新しい構図や絵の具の扱い方にインスピレーションを受けて描きました。例えば花瓶に描かれた花は、静物画の花ではなく、まさに自然の中で生き生きと咲き乱れる風景の中の花でした。このように製作された風景画の作品の多くが、バルビゾン派の絵画様式を取り入れたものでした。
《彫文青山秋景図大皿》
アビランド社 オートゥイユ工房
フェリックス・ブラックモン 1874年、
ファイアンス陶器 Y. &L. ダルビス蔵
《バルボティーヌ 草花燕(つばめ)図水注》
アビランド社 オートゥイユ工房
レオン・パリゾ 1876-1883年
テラコッタ Y. &L. ダルビス蔵
「私は1881年に深刻な病気になり…アビランド社を退き、(ノルマンディにいるとき)b器の窯元をいくつか訪ね、何点か見本を作りました。それをシャルルとテオドールのアビランド両氏に見せたのですが、…ヴォジラールのブロメ通り153番地に小さな工房を作ることを許可してくださいました。」
(1901年5月7日付エルネスト・シャプレからロジェ・マルクスへの自叙伝的手紙より)
b器といえば、農場で日常的な道具として使われていたものでした。そのような平凡なやきものがブルジョワ階級のリビングを飾るデザインになるとは、誰にも思いもよらない大胆な発想でしたが、さらにシャプレは、細かくふるいにかけた酸化鉄の豊富な土を選び、作品を型に入れてからろくろで回すことにより厚みを薄くする技法を取り入れたうえ、釉薬を使わず土の色を生かそうとしました。この原材料の色を生かしたことは、ひとつのジャポニスムといえるかもしれないと、本展監修者のロラン・ダルビスは述べています。
これらの焼締陶器は、1884年のなかば、ボストンとパリの展覧会で批評家から高い評価を受けました。また、1885年初めにはこれらの型を使い、リモージュの磁器工場で絵付けされた磁器の花瓶がつくられました。
《日本風花文ティーポット》
アビランド社 ブロメ通り工房
1883-1885年 b器、Y. &L. ダルビス蔵
フランス語で「牛の血の色」と呼ばれている銅紅釉は、18世紀初めに中国で完成されました。1883年に、シャルル・アビランドは、自ら所蔵する中国の陶磁器の複製を依頼するために、化学に詳しいル・ブラン・ド・ラボを雇い入れました。銅紅釉は、ナトリウムやカリウムのようなアルカリ度の高い酸化物と少量の酸化銅と酸化アルミニウムの混合物です。高温で酸素が豊富な酸化状態では、釉薬は緑色に発色し、その反対の還元状態では、赤くなり、また、酸化アルミニウムをこの化合物に加え窯で焼くと液状に溶けて流れやすくなります。このように釉薬と焼成の調整が極めて難しい研究に取り組んだシャプレは、1885年の3月にようやく「コツを見つけた」と記しています。1885年半ばには、アビランドの兄弟らは、パリのオートゥイユ工房とブロメ通り工房の実績に落胆していました。オートゥイユ工房は、多色石版印刷術の業務に限定され、ブロメ通り工房は、1886年初頭にはシャプレが買い取り、そこでチャイニーズ・レッドの銅紅釉の研究に没頭しました。シャプレは、ブラックモンが1886年の印象派展で 知り合ったゴーギャンを紹介され、ゴーギャンに陶芸の仕事を勧め、この年、彼は、シャプレのもとで陶芸制作を行いました。そこでその後のポンタヴェンで制作する絵画をさらに発展させるクロワゾネ手法を見出し、シャプレもまた、ゴーギャンから芸術としての陶芸を学ぶのでした。
《銅紅釉梅瓶形壺》
アビランド社 ブロメ通り工房
エルネスト・シャプレ
1885年後半 磁器、Y. &L. ダルビス蔵
本会場では関連を比較鑑賞していただくために、10点の印象派絵画も展示いたします。
《赤い服の女》 |
・講演:千足 伸行氏 (海の見える杜美術館顧問、成城大学名誉教授)
・2014年4月12日(土)
・14:00〜16:00 (開場:13:30)
・会場:パナソニック東京汐留ビル5階 ホール
※要予約(定員150名)
◎2014年2月3日(月)より申し込みの受付を開始します。
名窯アビランドの器で紅茶を召しあがりながら本展監修者による展覧会解説を楽しみませんか。
・解説:三浦 弘子氏(滋賀県立陶芸の森主任学芸員)
・2014年5月17日(土)
・13:30〜15:00 (開場:13:00)
・会場:パナソニック東京汐留ビル5階 ホール
※要予約(定員50名)
◎2014年3月17日(月)より申し込みの受付を開始します。◎アビランド製カップ&ソーサーは先着15名様のみご使用いただけます。
ハローダイヤル(03-5777-8600)でお申し込みください。
@希望イベント名A氏名B住所C電話番号を承るほか、簡単なアンケートにご協力いただきます。
受付は先着順、定員になり次第締め切りとさせていただきます。
※お申し込みにあたってご記入頂いた個人情報は、本イベントの受講目的のみで使用します。
なお、おあずかりした個人情報は、上述の目的での使用に同意いただいたものとさせていただきます。
※定員に達しなかった場合、当日受付をする場合があります。
当館学芸員が展示内容を解説します。
・2014年5月10日(土)、6月7日(土)
・各14:00〜
・参加費無料 (入館には本展の入館券が必要です) ※予約不要
・会場:パナソニック東京汐留ビル4階 パナソニック 汐留ミュージアム
展示室 |
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面積:450m² 天井高さ:3.7m |
ルオーギャラリー |
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フランスの画家ジョルジュ・ルオーの作品を常設展示。 |
ミュージアムショップ |
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パナソニック 汐留ミュージアムオリジナルグッズをはじめ、各展覧会に |
会期 |
展覧会名称 |
内容 |
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2014年7月26日(土)〜10月13日(月・祝) |
建築家ピエール・シャローとガラスの家 |
近代建築の黎明期に実現された珠玉の住宅作品「ガラスの家」(Maison de Verre)を中心に、建築家として、インテリアデザイナーとして、家具デザイナーとして、比類のない造形を生み出したピエール・シャロー(1883-1950)の活動を、ポンピドゥー・センター国立美術館の収蔵作品で紹介します。 |
報道関係者様:エコソリューションズ社 東京広報チーム 岡本 電話:03-6218-1166(直通)
お客様:ハローダイヤル 03-5777-8600
関連サイト: http://panasonic.co.jp/ew/museum/