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パナソニック株式会社の企業美術館、パナソニック 汐留ミュージアムは「モローとルオー −聖なるものの継承と変容−」展を
2013年9月7日(土)から12月10日(火)まで開催いたします。
フランス象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826-1898)と彼の愛弟子で後に20世紀最大の宗教画家と呼ばれるジョルジュ・ルオー(1871-1958)。本展は二人の芸術世界と心の交流を紹介する世界で初めての展覧会です。モローは、パリの国立美術学校の名教授としてマティスなど著名な画家を育てました。中でも彼に最も愛された生徒がルオーでした。モローは熱心にこの優秀な弟子を指導し、マティエールと色彩、そして内的ヴィジョンへの関心を目覚めさせます。ルオーは師の教えを確実に受け継ぎ、やがて作品の中で我がものとしていきます。
「親愛なる我が子」「偉大なる父」と彼らの往復書簡の中で呼び合う二人には、師弟を超えた特別な絆がありました。モローは遺言によりルオーをモロー美術館初代館長に任命し、自分亡き後も愛弟子を導き続けます。ルオーは師への感謝と崇敬の念を生涯忘れず、精神的な父としてのその存在は、ルオーの芸術と人生に深い影響を及ぼしたのです。
本展は、二人の交流の軌跡を辿りながら、モロー晩年の未公開作品や、ルオーの美術学校時代の作品など日本初公開を多く含む油彩画やデッサン(モロー29点、ルオー35点)、往復書簡など約70件により、モローの芸術性がどのようにルオーへと継承され変容したかを検証する画期的展覧会です。
名称: | 「モローとルオー −聖なるものの継承と変容−」展 Gustave Moreau et Georges Rouault : Filiation |
会場: | パナソニック 汐留ミュージアム 東京都港区東新橋1-5-1パナソニック東京汐留ビル4F JR・東京メトロ銀座線・都営浅草線・ゆりかもめ「新橋」駅より徒歩6〜8分、 都営大江戸線「汐留」駅より徒歩5分 |
会期: | 2013年9月7日(土)〜2013年12月10日(火) |
主催: | パナソニック 汐留ミュージアム、NHK、 NHKプロモーション、東京新聞 |
後援: | 外務省、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、 港区教育委員会、公益財団法人日仏会館、日仏会館フランス事務所 |
協賛: | 大日本印刷協力 |
協力: | エールフランス航空 |
特別協力: | ギュスターヴ・モロー美術館、 ジョルジュ・ルオー財団 |
休館日: | 毎週水曜日 |
開館時間: | 午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで) |
入館料: | 一般:1,000円 大学生:700円 中・高校生:500円 小学生以下:無料 65歳以上の方で年齢のわかるもの提示:900円 20名以上の団体:各100円引(65歳以上は除く) 障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで:無料 |
※本展は松本市美術館に巡回いたします。[2013年12月20日(金)〜2014年3月23日(日)]
永きに渡って話題にのぼりながら実現することのなかった、フランス19世紀と20世紀を代表する二人の巨匠の展覧会が世界に先駆けて汐留で開催。
2015年にはパリのギュスターヴ・モロー美術館へと巡回します。
監修はパリのギュスターヴ・モロー美術館館長マリー=セシル・フォレスト氏。二人の交流を物語る油彩、水彩、デッサン、書簡など
合わせて約70件で構成。フォレスト館長曰く、「1点たりとも変更のきかない渾身の作品セレクション」。
モローは36歳の時、すでに自分のアトリエを保存することを夢みていました。自分の作品や研究が散逸したり、破棄されたりするのを避けたいと思ったのです。晩年、2年かけて自宅を増改装し、螺旋階段や特注のキャビネットを設え、自分の考える理想の美術館を作り上げます。その結果、モロー美術館は画家が生涯をかけて描いた約15,000点の作品のみならず、コレクションした骨董、愛した人たちの想い出の品々で埋め尽くされた類稀な芸術空間となりました。これらの作品やコレクションは、初代館長であるルオーの他、モローを慕う後進たちの芸術上の大きな糧となったのです。
3階と4階の大きなアトリエは美しい螺旋階段によって結ばれる。
©RMN-GP/Stephane Marechalle/distributed by AMF
フランスから出品される56点の半数以上が日本初公開。モロー晩年の抽象画的作品やルオーの美術学校時代の大作など、国内では目にすることの出来ない作品が揃う貴重な機会です。ルオーの風景画の傑作、《夜の風景または作業場での乱闘》(オルセー美術館蔵)と《キリスト教的夜景》(ポンピドゥーセンター国立近代美術館蔵)も日本初上陸。
ステンドグラス職人の徒弟だったジョルジュ・ルオーが、国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学したのは1890年のことです。当初、教えを受けた歴史画家ドローネーの死去に伴い、92年に後任としてやってきたのがギュスターヴ・モローでした。モローといえば魅惑的な女性像を連想しますが、当時は優れた教師としても有名でした。色彩の想像力を伝え、生徒一人一人の内なる資質を開発しようとした革新的な教えで、教室からはマティス、マルケなど多くのフォーヴ(野獣派)の画家たちが輩出されました。モローが一番愛した弟子はルオーでした。父親的とも言える愛情を注ぎ、絵画指導のほかに健康上の助言や画家が直面する苦悩についても注意を与えます。また、マティエールへの関心を目覚めさせ、流行や他からの様々な影響、一過性のものから身を守るよう助言しました。学生時代、「レンブラントの再来」と賞賛されたルオーは、暗く神秘的な画風で宗教から題材を得た作品を次々にサロンに出品します。しかし、1895年ローマ賞に再度応募した《死せるキリストを悼む聖女達》が落選すると、審査結果に不満を抱いたモローの勧めに従い、美術学校を退学、翌年の1898年モローは死去し、遺言によりアトリエと作品は国家に遺贈されます。師を失った絶望と孤独で、ルオーは生涯のうちで最もつらい時期を送ります。しかし 5年後、モロー美術館が開館すると、師の遺言によりモロー美術館の館長に就任することとなりました。モローは 愛弟子の経済状況を気にかけていたのです。以後、ルオーは師の家に移り住み、師の残した膨大な作品や書籍から着想を得、独自の芸術世界を展開していきます。一見、違って見える二人の作品ですが、ルオーはモロー芸術の正統的な伝承者であり、最後の象徴派とも言えるかもしれません。
美術学校のモローのアトリエの学生たち。
最前列中央(×印)がルオー。
二人の間で交わされた往復書簡
モロー ⇒ ルオー 11通
ルオー ⇒ モロー 11通
現在、22通が分かっています。
貴君は心底努力すべきことがらを見出しました。しかしこれには大変な困難が伴います。
とくに選び取るべき方法や様式のことを考えるとそのことが言えます。そこが少々気になります。
なぜなら、貴君はまだこの点に関してあまりにも経験が浅いからです。
要するに、貴君がこれから頼るべきは、自らの優れた資質であり、生まれながらにして備わった貴君自身の才能なのです。そうすればきっとうまくいくはずです。・・・
さようなら愛し子よ、コンクールでの成功を祈ります。(モローからルオーへ 1893年8月28日)
先生は、私にとって最高の指導者でありまた偉大なる父のような存在です。
私の感謝の念を表すのに他の言葉は思いつきません。
先生のおっしゃることは常に正しく、揺るぎない私の指針です(ルオーからモローへ 1896年8月26日)
フランス象徴主義の画家。パリで建築家の父と音楽家の母のもとに生まれ、18歳で画家に弟子入り、20歳で国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。在学中に2度ローマ賞に応募するも落選。それを機に退学したが政府からの発注やサロン、パリ万博への出品など制作と発表の機会は多かった。31歳の時に私費でイタリアに滞在して、各地を移動しながら名作を模写して研鑽を積む。帰国後はイタリアで身に付けた様式を自作に反映させ、サロンへの出品を続ける。1888年美術アカデミー会員となり、1892年にかつて学んだ美術学校の教授に就任し、ルオーやマティスらを指導した。
ギュスターヴ・モロー 《自画像》
墨/カンヴァス 41×32cm
ギュスターヴ・モロー美術館
©RMN-GP/Rene-Gabriel Ojeda/distributed by AMF
フランス20世紀を代表する画家。パリの下町ベルヴィルで生まれ育つ。幼少期に落書きを見た祖父が将来画家となることを予言。14歳でステンドグラス修復職人に徒弟奉公に出る。19歳で国立美術学校に入学。21歳の時からギュスターヴ・モローに師事。美術学校では特に優れた生徒として、在学中2度に渡りローマ賞に挑戦するが受賞を逃す。27歳の時にモローが死去し、ボザールを退学する。1902年モローの自宅は美術館となり、ルオーは初代館長に就任。1917年に画商ヴォラールと専属契約を締結。ヴォラールのもとでは絵画だけでなく、多数の版画集を制作、出版する。1940年代以降は欧州各地、アメリカで回顧展が多数開催される。死去に際しては政府による国葬が執り行われた。
ジョルジュ・ルオー 《自画像》
1895年
木炭、黒チョーク/紙(カンヴァスで裏打ち)73×53.7cm
ジョルジュ・ルオー財団
国立美術学校時代の作品を紹介します。在学中「レンブラントの再来」といわれていたルオーの卓越した技法が伺える絵画と習作、及びその師であるモローの作品を展示します。中でもルオーの油彩画をモローがデッサンした習作は、師弟関係を超え、芸術家同士として向き合った両名の心のつながりが感じられます。
モデルのデッサンは美術学校で最も重要な課題として学生たちは常に取り組んでいました。歴史画を描くための必須テーマである裸体はルオーにおいてはより近代的なテーマへと変化していきます。師モローとその教えを受けたルオーの裸体表現を比較します。
モローとルオーは宗教的主題でも多くの作品を残しました。モローは聖書から題材を得た神秘的な作品を残し、ルオーはキリストを象徴として表した深い宗教性を帯びた作品を残しました。二人の作品が共通にもつ精神性を探ります。
国立美術学校の教えでモローが最も強調したのは「色彩の解放」と「美しい材質感」でした。その教えを忠実に 追求したルオーは複雑な混合技法を用い、これまでにない光り輝く絵画を描きました。モローは晩年マティエールの追求から形態が溶解し、抽象画の領域に到達していきます。
日本展の特別コーナーとして、ここでは、ルオーも初代館長を務め、居住したモロー美術館を紹介。モローの代表的テーマに関する油彩や水彩に加え、モローの周辺を偲ばせる資料等を展示します。あわせて、パナソニック汐留ミュージアムが所蔵するルオーの優品を展示します。
運命を司る三人の女神パルクの中で最も恐ろしいアトロポスが死の天使の軍馬の手綱をつかみ、荒涼とした風景を歩み進んでいる。パレットナイフを用いた非常に厚塗りの作品で、絵の具のマティエールは後のフォーヴィスム作品のような大胆さをみせ、ルオーの後年のフォルムと色彩と結びつく。 M-1 ギュスターヴ・モロー 《パルクと死の天使》 |
メッサリーナはローマ帝国第4代皇帝の妻。夜の顔を持ち淫欲の象徴として扱われる。モローは彼女をテーマとした水彩と油彩の大作をのこしている。本作は油彩画のヴァリアント。この主題を道徳的に扱ったモローは「ここにあるのは、死に至らしめる淫欲という概念だ」と語る。 M-2 ギュスターヴ・モロー 《メッサリーナ》 日本初公開 |
ギリシア神話の英雄ヘラクレスが沼地にすむ多頭の水蛇ヒュドラを退治する場面を描いたもの。本作は1876年のサロンに出品した油彩画の習作であるが、画面の大きさや描き込みの完成度など、非常に充実した作品である。 M-3 ギュスターヴ・モロー 《ヘラクレスとレルネのヒュドラ》 |
1895年に制作された晩年の大作《ユピテルとセメレ》の構想の過程で描かれたもの。神話によると、ユピテルの子を孕んだセメレは、ユピテルの妻ユノにそそのかされ、ユピテルの神性を示すよう懇願する。やむなくその願いに応えたユピテルは、自らの雷光の力でセメレを焼き尽くしてしまう。正面性の強いユピテルは全能の神としての荘厳さをみせ、最後の審判のキリストを想起させる。モロー晩年の諸神混交の神秘的ヴィジョンを表す作品。
M-4 ギュスターヴ・モロー 《ユピテルとセメレ》 |
一角獣は女性の「純潔」を象徴する想像上の動物。1882年に一般公開されたパリのクリュニー中世美術館のタピスリー《貴婦人と一角獣》にモローは刺激を受け、この主題に取り組み始めたとされる。片足を曲げ女性にもたれかかる一角獣のポーズはルネサンス期の画家マンテーニャの作品を参考にしている。 M-5 ギュスターヴ・モロー 《一角獣》 |
1880年のサロン出品作のための油彩習作。色彩の中にものの形が溶解したような極めて自由奔放な作品である。モローはこのような抽象画風の習作を数多く残しており、「何に結びつくのかわからない内なる輝き」について語っている。19世紀末の「抽象」画家だったのだろうか。 M-6 ギュスターヴ・モロー 《ヘレネ》 日本初公開 |
モローの指導を受けてから1年、ルオーはローマ賞に挑戦し、最終選考で、鎖につながれた盲目のサムソンと彼を罵倒する守衛や群衆、というテーマで生涯最初の大作を描きます。
ルオーはトラヤヌス帝の石膏レプリカと人体標本模型を受験者用個室に持ち込んでこの大作に挑みました。結果的にルオーは受賞を逃しますが、モローは愛弟子に自分なら同テーマをどのように扱ったかを示しました。師匠が弟子の作品を模写することは極めて稀なことで、方眼線が引かれたデッサンはルオーの作品の全体像を再現しています。本作のための二人による習作の数々も初公開されます。
M-7 ギュスターヴ・モロー 《石臼をまわすサムソン》 (ジョルジュ・ルオー作品に基づく) |
R-1 ジョルジュ・ルオー 《石臼をまわすサムソン》 |
個人蔵、パリ馬に跨がり軍旗を高々と掲げる人物はフランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクである。厚く塗り重ねられた色彩により、聖女は月光のような厳かな光に浮かび上がる。真横から捉えた安定した構図、輝くマティエールなど全てが主題の高貴さを演出し、作品はモニュメンタルな性質を帯びる。 R-2 ジョルジュ・ルオー 《我らがジャンヌ》 |
アカデミックな「理想的風景」とはかけ離れた暗く荒廃した風景が描かれる。それはルオーが生まれたパリ郊外の工場地帯を彷彿とさせる。前景左では二人の男が棒を持って殴り合っている。労働者の生活の惨めさを告発するかのような本作は、画家のその後の主要なテーマ「神なき人間の悲惨」を予兆する。 R-3 ジョルジュ・ルオー 《夜の風景または作業場での乱闘》 日本初公開 |
筋骨隆々とした身体と場面の劇的効果を高める明暗表現。古代ローマの将軍コリオラヌスを描いたこの歴史画は、美術 学校時代のルオーの古典的画風を代表する作品である。ルオーは本作で着彩エスキースのコンクールであるフォルタン・ディヴリ・コンクール二等賞を獲得した。 R-4 ジョルジュ・ルオー 《トゥリウスの家におけるコリオラヌス》 日本初公開 |
ルオーの重要な宗教的画題「聖顔」を扱った最高傑作と言ってよい。十字架を背負うキリストの苦悩と贖罪が大きく見開かれた眼を通して問いかけられる。空中に浮かび奇妙に生き生きとした救世主の顔は、モローの《出現》(1876年)の斬首されたヨハネの頭部と時に比較される。
R-5 ジョルジュ・ルオー 《聖顔》 |
1945年から52年にかけてルオーは上半身が画面全体を占める女性像を多く描いた。その中で本作は大作と位置づけられる。キリスト到来を告げる巫女の姿を、ヴェールをまとった横顔で、神秘的な青緑色の支配する色調の中にとらえている。 R-6 ジョルジュ・ルオー 《クマエの巫女》 |
ルオーは聖書の場面を想起させる叙情的風景画を生涯に多く制作したが、本作はその晩年の代表作である。大地と空と水面は溶け合い黄金の輝きにきらめく。平穏と喜びに達したルオーによる色彩と光と自然への讃歌である。 R-7 ジョルジュ・ルオー 《キリスト教的夜景》 日本初公開 |
当館は、2003年4月に当時の松下電工の社会貢献事業の一環で、20世紀フランス美術を代表する画家ジョルジュ・ルオーの作品を収蔵し公開するミュージアムとして開設しました。ジョルジュ・ルオー財団の承認のもと、館名に“ルオーギャラリー”を掲げて作品を常設展示しています。オープンより10年間、総計47展、累計57万人を越えるお客様にご来館いただきました。おかげ様で、どの展覧会も一般のお客様はもとより、美術、建築、工芸、デザインなど各界の専門家の方々からも高い評価をいただいております。これもひとえに、皆様のご支援、ご協力の賜物と心から感謝いたします。
10周年記念サイト http://panasonic.co.jp/ew/museum/10th/index.html
10周年シンボルロゴマーク |
展示室 |
: |
面積:450m² 天井高さ:3.7m |
ルオーギャラリー |
: |
フランスの画家ジョルジュ・ルオーの作品を常設展示。 |
ミュージアムショップ |
: |
パナソニック 汐留ミュージアムオリジナルグッズをはじめ、各展覧会に
|
パナソニック 汐留ミュージアム
ハローダイヤル 03-5777-8600
関連サイト: http://panasonic.co.jp/ew/museum/