ヨーロッパの中央に位置するハンガリーの首都、ブダペストの国立工芸美術館が所蔵する名品を日本の皆さまへご紹介する展覧会として企画された本展は、1900年前後のヨーロッパの工芸や装飾美術に日本美術が与えた影響という観点から作品が選定されました。創設は1872年、その後1896年に開館したブダペスト国立工芸美術館は、創設以来館長の指揮のもと、作品の収集を積極的に行いました。なかでも、今回の出品作品にみられたような、国際的に名高いアール・ヌーヴォーのコレクションは、2代目館長のラディシッチが当時の現代作家や工房から直接購入した作品を中心に成り立っています。本レビューでは、展覧会を章立てごとに振り返り、ブダペスト国立工芸美術館の優れたコレクションの魅力を今一度堪能してみたいと思います。
ブダペスト国立工芸美術館名品展ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ
展覧会レビュー
展覧会第1章では、「自然への回帰」と称して、日本からの影響の色濃いジャポニスムの作品が並びました。冒頭ではミントン社による《濃紫地金彩昆虫文蓋付飾壺》を紹介しました。本作品は1873年に開催のウィーン万国博覧会にて購入されています。江戸時代末の日本の開国以来、西洋では日本の工芸品が熱烈に迎えられ、やがてジャポニスムと呼ばれる現象が現れますが、本作品にも日本の工芸作品からの影響が伺われます。しっとりとした濃い紫の器に金彩で立体的に描かれた蝶やカミキリムシの文様は、有田焼や薩摩焼の金彩の影響も感じられ、さらに漆に施された高蒔絵を模倣している印象が強く残る作品でした。
エミール・ガレによる、ガラス作品《菊花紋花器》にはジャポニスムの典型のような表現が見られました。口縁部に様々なエゾギクの花の装飾モチーフで縁取られ、胴部分には大菊や小菊など形の様々な八重咲の菊と霞がたなびく様子が左右非対称に描かれています。文様はエナメル彩で仕上げられ、花弁の周りを金彩が縁取ります。当時菊の花というモチーフは日本趣味を表すモチーフであり、左右非対称な配置という点にも日本美術からの影響が表れています。
また、ハンガリーで制作されたジャポニスムの作品、《滝に植物蝶文スツール》は本展でも注目すべき逸品でした。本作品は、ハンガリーを代表する陶磁器工房であるジョルナイ陶磁器製造所によるもので、創業者の弟の娘であるユーリア・ジョルナイによってデザインされた図案が興味深いものでした。この図案は日本の布地を見本にデザインされ、黄金色の滝の手前に、絢爛な蝶、菊などの植物が配されたものでした。フランスの美術商ジークフリード・ビングが編集した定期刊行物『芸術の日本』に掲載された図版を流用して考案されたとされています。鮮やかな色使いは独自のもので、部分的にきらめくエオシン彩のタマムシ色も印象的でした。
第2章「日本工芸を源泉として」では、日本の陶磁器作品の表面に見られる釉薬の効果を研究し、生み出された作品をご紹介いたしました。
本章でご注目いただいた作品に「結晶釉」の作品がありました。結晶釉とは、釉薬に亜鉛やチタン、マンガンなどを含ませ、一定の時間慎重に焼成したのち、時間をかけて徐冷作業を行うことによって、表面に結晶が析出しはっきりと目視できるものを指します。ジョルナイ陶磁器製造所の《結晶釉花器》では、青い結晶釉がしだれ桜のようにも見え、流れる釉のなかに無数の花々が咲き乱れているような様は迫力があり、他方、左右の作品ではまた違った色、よりデリケートな結晶の姿も見る事ができました。
さらには、北欧、ハンガリー、チェコ、アメリカなど、19世紀から20世紀への転換期に西洋の国々で釉薬の研究が盛んにおこなわれたことを示す、各国の美しい窯変の陶磁器も並びました。ジョルナイと共にハンガリーの名窯といて名高いヘレンド製陶所による、高火度焼成によって偶発的に生み出される釉薬の味わい深い表情が魅力の作品《下蕪形花器》がその好例です。高火度の流し釉による、日本の丹波焼のようにも見える花器。ヘレンドの創始者の孫である、イェネー・ファルカシュハージ=フィシェルによる作です。意図的につくりだす装飾ではなく、「超自然的」な装飾効果への関心が、西洋の工芸作家のなかに起こり、流し釉や窯変などのような偶発性に基づく釉薬の表現への研究熱が、当時高まったと考えられます。
ところで、この展示室では、ブダペスト国立工芸美術館をご紹介するスライドショーも放映致しました。建築家、エデン・レヒネルによるハンガリアン・アール・ヌーヴォーのひときわ目をひく美術館外観や、ジョルナイ陶磁器製造所による屋根のタイル、ヘレンド製陶所のエントランスの天井デティール、美術館のエントランスを入ると現れる吹き抜けのホール「アトリウム」の様子などをお目にかけました。
さて、ここまでは、ジャポニスムの作品が主でしたが、展覧会の第3章「アール・ヌーヴォーの精華」からは、アール・ヌーヴォー様式の作品がならびます。
本展最大級の寸法の花器《葡萄新芽文花器》が異彩を放ちました。まるで金属で作られたかのような、独特の表面のきらめきは、エオシン彩という、ジョルナイだけで使用される ラスター彩によるものです。ヴィンツェ・ヴァルタとヴィルモンシュ・ジョルナイによって、開発され、最初の実験に成功した際の銅ラスター彩が、暁の太陽のように赤く輝いていたことから、ギリシャ神話の曙の女神「エオス」にちなんで、エオシン彩と名付けられました。
さて、アール・ヌーヴォーの陶磁器といえば、北欧の釉下彩を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
釉下彩とは、素焼きの器の表面に下絵付けで施された絵柄の上に、透明釉をかけて本焼きを行ったものです。本展では、ロイヤルコペンハーゲンの《庭の花文デザート皿》のシリーズにも顕著な、まるで水彩画の様に淡くみずみずしい、可憐な表現に注目が集まりました。
一方で、ガラス作品の花の表現もアール・ヌーヴォー様式ならではの美しさを堪能できるモチーフと言えるでしょう。ガレの名品《洋蘭文花器》は、ヴォリューム感のある大振りな器全体に、しなやかな洋蘭が表現されています。琥珀色の複数のガラス層を重ねることで器体が形づくられ、表面の蘭はグラビュールとエッチングにより丹念に葉脈が再現され、ガレの工房の傑出した造形力を語る逸品でありました。
第3章の2つ目の展示室の冒頭にて、ルイス・カンフォート・ティファニーのファブリルガラス作品を主とした繊細な表面の輝きが特徴的な小品をいくつか紹介しました。ルイス・カンフォート・ティファニーは、ニューヨークの有名な宝飾店の創業者である、チャールズ・ルイス・ティファニーの息子で、アメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者でした。宝飾デザインも行いましたが、ガラス工芸家としての存在でより知られた芸術家です。表面が見る角度によって虹色に変化するデリケートで金属的輝きのあるこのガラスは、1894年に特許を取得したファブリルガラスという技法でつくられ、奥ゆかしい輝きを引きたてるために作品への照明にも時間をかけました。
次なる第3章第3パートでは、「伝統的なモチーフ」と称して、日本の漆工芸作品にみるような、繊細な絵付けのジョルナイ陶磁器製造所の陶磁器作品をご紹介しました。細密な絵付けが印象的な小ぶりな作品からは、まるで、漆のなつめ等に施されている蒔絵に類似した表現が見られました。ステッキ握りや、傘柄などは、日本の帯留めと見紛う精緻で愛らしい装飾が特徴的でした。
展示室は第3章第4パート「鳥と動物」へと入り、ここでは本展覧会でもっともご注目いただきたい作品を展示致しました。それは、ルイス・カンフォート・ティファニーの《孔雀文花器》です。この特別なガラス作品は、見る角度によって、様々な表情、透け方を見せる逸品です。流麗な曲線を持つこの花器は、まさにアール・ヌーヴォーの造形の典型的とも言えるものでした。器形の曲線と調和して共鳴するように、表面のクロム・アヴェンチュリン(砂金石)による縞模様が孔雀の羽根を表現し、器の最も太い径の部分にマルケトリという技法で羽根の眼状紋があしらわれ、羽根模様、ひいてはこの花器そのものの存在感を増す効果があったようでした。
本作品の魅力を伝えるため、当館では作品への照明に最善を尽くしました。まず、作品の真上から花器の中に光を狭い角度に絞って落とし、器の内側から外へ光が漏れるような仕組みを施しました。さらに、照明器具で、器の後ろの壁面にやはり狭い角度に絞った強い光をあて、その反射光で作品の真後ろに光源を発生させ、ガラスの透け感を実感いだけるように仕込みました。その結果、上からのぞき込むと、青いガラスと緑のアヴェンチュリンの混ざり合ったグラデーションを見る事が出来、下から見上げても、奥深い透け感が味わえ、花器の果てしない魅力を伝えることが出来たのです。
長い第3章に続く、本展の第4章では「建築のなかの装飾陶板」というタイトルのもと、ヨーロッパの建築物の外壁を飾る、大振りの陶板や、連続模様のレリーフをご紹介しました。展示室に登場した陶板のほとんどは、フランスのビゴ社製で、1900年のパリ万国博覧のビゴ・パヴィリンで紹介された作品群です。万博でグランプリを受賞した後、当時の工芸美術館館長が買い上げ、ブダペストまで輸送しました。これらの建築陶板シリーズは、ブダペスト国立工芸美術館外で展示されたことはほぼなく、一部を除いて、初めて工芸美術館の外部に搬出された作品群でした。
第5章は「もうひとつのアール・ヌーヴォー、ユーゲントシュテール」と題されて、点数は少なめですが、静謐な印象で抑制された装飾の作品が出品されました。ドイツ語圏のアール・ヌーヴォーのことを、ユーゲントシュテールと言い、フランスを中心に発展したアール・ヌーヴォーと比較して、幾何学的なデティールが特徴的でより理性的な表現を見る事ができました。シンメトリーに様式化された植物モチーフがしばしば使用され、ベルリン王立磁器製作所による《植物文花器》にも、左右対称の枝が寄り添うような植物文が半透明のエナメル彩で絵付けされ象徴的でした。
展覧会の最後の章立て、第6章「アール・デコとジャポニスム」にも同様に、少数ながら選りすぐりの名品が出品されました。趣旨は、アール・ヌーヴォーに続く様式とされるアール・デコの作品にも、日本工芸からの装飾的な影響が息づいているさまを紹介する事でした。ドーム兄弟の《多層間金箔封入小鉢》は本章を象徴する作品だったと言えるでしょう。ドーム兄弟はエミール・ガレと並んでアール・ヌーヴォーのガラス工芸作家を代表する存在ですが、流行がアール・デコに移っても、時代に合った美しい作品を生み出しました。アール・デコ期の作品に特徴的な、シンプルな形と、思わず触りたくなるような触覚的な表面を備えるのみならず、偶発的な装飾性をも、持つ点がこの作品の大きな魅力でありした。艶めくガラスの小鉢には、アンテルカーレルという技法で、色ガラスのペーストが挟み込まれています。挟み込まれたガラスのペーストや、封入された金箔の不規則にほぐれて広がる様相は、日本のやきものにおける、作り手のコントロールを超えた素材そのものの装飾効果という影響が未だ反映されていたことを伝えていました。
イベントレポート
オンライン講演会
テーマ:日本工芸とジャポニスムおよびアール・ヌーヴォー
- 公開期間
- 2021年11月3日(水・祝)14:00 ~11月6日(土)14:00まで
- 講師
- 木田拓也 氏(武蔵野美術大学教授、本展日本側監修者)
- 司会
- 宮内真理子(当館学芸員)
オンラインギャラリートーク「展覧会のツボ」
- 配信日
- 10月31日(日)午後3時~午後4時
11月2日(火)昼12時30分~午後1時30分
11月4日(木)午後7時~午後8時 - 講師
- 宮内真理子(当館学芸員)