ジュヌヴィエーヴの記憶は正しかったのか?
-ルオー作《老兵(アンリ・リュップの思い出)》を読み解く-

森 直義
森絵画保存修復工房代表

絵を隅々まで観察して考える。
それが、修復家としての最も重要な仕事だと私は思っています。

fig.1《老兵(アンリ・リュップの思い出)》
1946年頃、油彩/板に貼られた紙、パナソニック汐留美術館

今回の調査対象は、汐留美術館が新たにコレクションに加えたジョルジュ・ルオー(1871-1958)の《老兵(アンリ・リュップの思い出)》1946 年(ルオー75 歳)頃の作品(fig.1)。
この作品の下層に隠された絵の存在を確かめること、それが、私に与えられたミッションでした。

fig.2 アンリ・リュップ氏の肖像写真
Photo © RMN-Grand Palais / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF

アンリ・リュップは、ギュスターヴ・モローの死後、モロー美術館の立ち上げに尽力した人物で、初代館長を務めたルオーは、リュップと親しく手紙を交わす仲であり続けました。

実在する人物を描くことが少なかったルオーですが、若かりし頃、この友人の肖像画を描きます。そして、長らく、この作品はルオーの長女ジュヌヴィエーヴ(1908年生まれ)の寝室の枕元に掛けられていたそうです。ところが、彼女が残した逸話によれば、この絵は、ある晩、壁から外されることになります。
―ある晩、眠りについていた私は物音で目を覚ましました。父のルオーが、作品を手にしていて、壁に掛けようとしていたのです。その時は父にうながされて眠りにつきましたが、夜明けに目を覚ますと、肖像画は全く別の顔に変わっていました。-
この逸話を信じるならば、一晩のうちに、ルオーはもともとあった肖像画に手を入れて描き変え、また元の場所に戻した、ということになります。
この夢の中での出来事のような逸話は、本当にあった出来事なのでしょうか?

描き変える前の肖像画とされている写真が存在していて、その画像をルオー財団から提供していただきました(fig.3)。これが、1900-01年頃に描かれたとされている本作の下層にあると推定される肖像画です。写真は白黒で、色彩は分かりませんが、表層の肖像より細身で写実的に描かれています。

fig.3《アンリ・リュップ氏》(1900年頃)の写真
写真提供:ジョルジュ・ルオー財団

まず、Ⅹ線写真を撮ってみよう、ということになりました。
下層に描かれている肖像画が見えるかもしれない、と思ったからです。

fig.4 赤外線写真
fig.5 紫外線写真
fig.6 X線写真

Ⅹ線透過写真撮影が西洋絵画の科学調査として有効なのは、古典技法で使われている白の顔料「鉛白」が質量の重い元素(pb)だからです。Ⅹ線を透過させない鉛白があることで、下層と上層の像が写し出されるわけです。ところが、ルオーが制作した時代には、鉛白が使われることが少なくなり、亜鉛華や酸化チタンなどにとって代わられるようになりました。この作品の下層にも鉛白が使われていないと思われ、くっきりとした画像は見えなかったのです(fig.6)。しかも、表層の方が厚塗りなので、下層の情報は得られないのも道理でした。実作品とⅩ線写真、下層にあるかもしれない肖像画の写真(fig.3)、紫外線写真(fig.5)、赤外線写真(fig.4)、顕微鏡写真を見比べながら長い時間を費やしました。でも、いくら観察しても、与えられたミッションの答えは見えてきませんでした。

fig.7 アトリエのルオー
アトリエにはイーゼルがなく、絵を積み重ねたまま制作している。
Photo © Yvonne Chevalier

ルオーは、専ら紙に描いた画家でした。紙に描かれた作品は、テーブル上に他の作品と重ねられ、麻布で裏打ちされたり板に貼られたりして、さらに描き続けられます。時には、額縁に入れられた後も重ねられ、描き続けられることもありました。だから、裏側には重ねられた時の絵の具が付着し、表側の絵の具はつぶれたり、剥がれたりしています。これまでの汐留美術館のコレクションの調査を通して、まさにこの写真(fig.7)のように、ルオーがきわめて特異な技法で描き続けた画家であることを解明してきました。

今回の作品も紙に描かれていると思われ、紙の直線的な輪郭を周辺部に見ることができますが、確証は得られていません。クレードル(格子状の桟)付きの板に貼り付けられていて、紙そのものは見ることができないからです。

fig.8《老兵(アンリ・リュップの思い出)》裏面

裏側には、青みがかったグレーでクレ-ドルとその隙間が塗られて、直筆で「Le Vétéran en souvenir d'Henri Rupp」と、とぎれとぎれに書かれています(fig.8)。その謎に満ちた様相を合理的に説明することは難しく、最初は、でたらめに塗りたくったようにしか見えませんでした。

ふと見ると、左上の角の板がぶつかったように少し丸くなっています。そして、《アンリ・リュップ氏》の写真に目をやると、そのカーブの形が実物と一致していることに気づきました(fig.9)。角の形がたまたま一致することは、ほぼあり得ないことです。実に単純なことから、実作品と写真の肖像画は同じ板材上に存在している、つまり、ジュヌヴィエーヴの逸話は確かに事実と関連している、と分かったのです。

fig.9《アンリ・リュップ氏》(左)と、《老兵(アンリ・リュップの思い出)》(右)の左上角部分の比較写真

そう分かると、謎めいた裏側の意味も、すっと、読めてきました。

fig.10 裏面ディテール
付着した絵具の上にグレーの絵の具が塗布されている

《アンリ・リュップ氏》写真の裏側の1900-01年頃というイザベル・ルオーの記載が正しいとすれば、29歳でピガール広場に最初のアトリエを構えてほどなく、下層の肖像画が描かれたことになります。おそらく既に独自のスタイルで制作を始めていたのでしょう。紙に描いて板に貼り付け、テーブル上で他の作品と重ねられたと思われます。その証左に、裏側のグレーの塗装の下層には様々な色の絵の具が付着しているのが透けて見えます(fig.10)。その後、ジュヌヴィエーヴの寝室に掛けられ肖像画は、およそ45年後、ルオー75歳頃の円熟期の様式で描き変えられたことになるわけです。
新たな肖像画を完成したルオーは、仕上げに、おそらくパレットに残った絵の具で裏面に付着した絵の具を覆うように色を塗ります。新たな作品であることを示すために。そして、その上に黒い絵の具で「Le Vétéran en souvenir d'Henri Rupp」と、若き日に描いた肖像画を「古き友人、アンリ・リュップの思い出に捧げる」ために描き変えた記録として書いたのだと思います。

ジュヌヴィエーヴの記憶は、裏側とつながっているのです。

この作品の調査のミッションは完遂されていません。表裏の絵の具が同じかどうか科学的に分析し、さらに、側面に下層から垂れている絵の具を分析して、見えない下層の色を解き明かしていく計画を練っています。


資料提供:ジョルジュ・ルオー財団、パナソニック汐留美術館
X線写真撮影:東海大学イメージング研究センター
撮影協力:田口かおり(東海大学教養学部芸術学科/情報技術センター)
光学調査:森絵画保存修復工房