Panasonic Sports

ピックアップフェイス

枩田優介

2009-2010シーズンは、史上初の3冠達成に沸いたパンサーズ。
「バレーボールは、ぼくの人生の全て。得たものは、かけがえのないものばかり。」と枩田は語る。
チーム目標“世界で勝てるパンサーズ”を自身の目標とし、自らを厳しく律してこれからの躍進を誓う。

たゆまぬ向上心の芽生え

「もっとうまくなりたいんです。」

1時間を超えるインタビューの間、その言葉を繰り返し口にした枩田。中学以降、地元 福井県選抜や全日本ジュニアなどの代表経験を重ね、パンサーズの主力選手としてキャリアを積む彼が、これほどピュアな向上心を抱き続けるのはなぜか?答えは、彼の少年時代にあるようだ。

「バレーは偶然はじめちゃったんです。」と開口一番に、枩田は言う。
「小学校6年まで野球をしていたのですが、中学の野球部員がたったの5人で。バレー部の顧問の先生に誘われたんです。身長が176cmあったからでしょうね。」

当時、郷里の福井県は中垣内祐一選手や荻野正二選手など、バレーボール界のスーパースターを輩出。両親も枩田がバレーを始めることに対して、背中を押してくれたというが、「地区大会で1回戦を勝つことが目標、というチームでした。ぼく自身も中学の3年間、バレーを続けられればいいな、くらいに思っていました。」と、ふり返る。

しかし、中学3年で193cmにまで成長していた枩田少年は、県代表の選抜合宿に強豪校の選手とともに参加することに。「ほんとうに何もできなくて。大きいから選ばれただけ。みんなができることが全然できなかった。このときからです、バレーボールに真剣に取り組み始めたのは。」この経験は、枩田を大きく成長させたようだ。

県代表に選ばれ、さわやか杯(現・JOCジュニアオリンピックカップ)に出場し、全国中学選抜代表にも選出された枩田。順風満帆に思えるが、「(身長があるので)将来を期待されていただけだったと思います。プレーはついていくのがやっと、打つのが精一杯。まだまだ上がいるなというのが実感でした。今もですけど(笑)。ただ、次の合宿までにうまくなりたいという一心でした。」と、謙虚さを漂わせ、遠慮がちに話す。

結果が出せない葛藤

在籍する福井高校は、3年間とも全国大会と無縁に終わったが、枩田自身はユース代表や全国高校選抜に選出され、次々と高いステージへ挑戦することになる。「代表や選抜の合宿で実業団のコーチに指導してもらったり、国際試合を経験する中で、少しずつ動けるようになっていくのが自分でも分かって。ああ、バレーボールって楽しいなと思えるようになってきました。」

東海大学に進学し、4年では自分の意思に反しキャプテンに就く。「東海大学の練習は監督の指示ではなく、メニューを4年生が考えるんです。下級生の意見も採り入れて、どうしたらうまくなるか、いい身体づくりができるかを考える日々でした。」バレーボールを追求する枩田の姿勢は加速していく。

大学3年でインカレ日本一。しかし、4年ではインカレ準優勝。充実した大学時代のように思えるが、「僕のような2m級の選手は、180cmの選手と同じことをしていてもうまくならないと思うんです。たとえば筋肉をつけるにしても、人より筋肉が長いぶん太くならないですし。このままではいけないと模索ばかりしていました。」と、そこでも結果が出せない現実に直面していた。

そんな枩田を熱心に勧誘したのが、当時のパンサーズの監督春田(現部長)だったが、「3年前、南部監督が就任して。始まった練習はきつくて、ついていけなくて、もう辞めたほうがいいんじゃないかとさえ考えたこともあります。そんなとき、チーム全員が力を貸してくれました。休みを返上してトレーニングに付き合ってくれたり。つらいときの『頑張れよ』は、本当に効きますね。みんなに支えられて今があることは忘れません。だからぼくも、苦しんでいる仲間がいれば声をかけます。それが力になるか分からないけれど。」パンサーズの一人ひとりがチームのことを考え、勝ちにつなげる。今、メンバーの絆は、確実に強くなっているようだ。

「南部監督は自分に、そしてチームに足りないことは何か、具体的にどうしたらいいかをアドバイスしてくれました。ぼくも、多くのことに気づくことが出来た。今、練習は厳しいけれど、目標があるから楽しい。」と枩田。パンサーズのメンバーとして、ようやく自分自身を掴みかけている。

“結果は積み重ね。自分の役割を全うし続ける-

「3冠を獲ることも通過点だという気持ちで頑張りたい。」と、枩田は真っ直ぐな目で語り始めた。

「昨シーズンは、後半にかけて自分もチームも上昇気流に乗っていたし、試合をしていてとても楽しかった。でも、アジアクラブ選手権は3位でしたし、ぼく自身、足首の手術で出られなくてチームに迷惑をかけました。次はリベンジ。ジュニア時代からの宿敵イランを破り、アジアのタイトルを獲って世界と闘いたい。」と先を見据える。枩田の左足首には人工靭帯が入っているが、厳しいトレーニングでその脚は以前より太くなったと言う。

「ブラジルからヌッチ(シジネイ ルシアーノ パップケ)コーチが来て、選手の腕は青アザだらけ。小糸キャプテンでさえ『こんなになったのは中学以来だよ』と言うほど、ものすごい量とスピードのボールを受けています。世界に勝つためには常識破りの練習をしなければいけないですから。」そう語る枩田は、口ぶりまで南部監督に似てきたように思える。2010-11シーズン、南部監督は“世界で勝てるパンサーズ”を目指し『変革・革新』をキーワードに取り組む。チームに、そして枩田に発破を掛ける監督の言葉が、深く刻み込まれているに違いない。

「監督から求められていることはわかります。でも、ぼくは完成した選手ではないし、自分に満足したこともない。その思いは中学時代から現在まで変わりません。だからこそ、もっとうまくなって自分の役割を全うできるプレーをしたいし、ぼくの動きでチームメンバーが活きるようになればと思う。パンサーズだからこそ、自分が成長している手ごたえを感じています。」と、世界を目指すチームで成長できる喜びを語る。そして、厳しくも枩田選手の内面からの変化と、更なる成長を望む南部監督の気持ちに応えようとしている。今、枩田自身、純粋な気持ちでバレーに向き合えることに心より感謝しているようだ。

奇しくも、このインタビューを終えた翌日、全日本男子がアジア競技大会で金メダルに輝いた。パナソニックから全日本メンバーに4人もの選手を送り込んで、どのような刺激を受けているのか。枩田の返答をもって、今回のピックアップフェイスを締めくくりたい。

「4人が帰ってきたとき、『自分の入る場所がない』と思わせるくらいのチームじゃないと強くならない。残った選手たちは、これがチャンスだという気持ちで練習してきましたから。」

パナソニックパンサーズ、今シーズンも期待できそうだ。

「ここ一番での勝負強さは、誰にも負けたくない」
力強い向上心と責任感が尽きない限り、
枩田も、そしてチームも、まだまだ進化するに違いない。

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