1960年に行われた第31回都市対抗野球大会において、準優勝した松下電器硬式野球部の健闘に対して、当時社長であった松下幸之助は社内報に以下の文章を寄せている。

善戦敢闘

二位になったということは
まだ先に目標が残されている

準優勝の健闘を讃える祝賀会。乾杯する松下幸之助ほか幹部、選手・役員。1960年8月10日。

準優勝の健闘を讃える祝賀会。
乾杯する松下幸之助ほか幹部、選手・役員。
1960年8月10日。

ことしの都市対抗野球では、みなさんもご承知のように、わが社のチームは実に粘り強く善戦敢闘した。
正直なところ、第一戦で勝利を得たあとでも、私はまだ果してこれからも勝ち進んでいけるかどうか、一抹の不安を抱いていた。
ところが、第二戦でも粘り強く勝って、優勝侯補と言われていた日本ビールと対戦するということになったとき、改めてわが社チームの実力を再認識したような思いであった。
それが第三戦でも、見事に勝利を得て、更に認識を新たにした。これはずいぶんよいところまで行けるゾ、しっかりしっかり、がんばれがんばれと、精一ぱいの声援を送る気持であった。
期待に応えて、準優勝戦でも、着実な勝利である。いよいよ優勝戦。このときには、もう私は、ここまできたからには、あとはただ恥ずかしくない立派な試合をしてほしいという、祈りに似たような気持になっていた。
結果はすでにご承知の通り、優勝を逸したとは言え、まことに立派な試合ぶりであった。
それはもちろん、優勝するに越したことはない。選手諸君も、ずいぶん残念だったことであろう。私も、従業員の人たちも、また近畿代表に期待を持たれていた多くの方々も、まことに残念に思われたにちがいない。
しかしまあこれでよかったのである。優勝するよりも、本当はこの方がよかったのである。決して負け惜しみではない。また単にいたわりのために言うのでもない。
二位になったということは、まだ先に目標があるということである。
何でもそうだけれど、先に高い目標があるということによって、お互いに気持も緊張するし、これからの精進にも張りが出てくる。二位の上には一位がある。これを目ざして、選手諸君も一層の精進をねがいたい。
一戦一戦と、文字通り勝利を積み重ねてきたことしの都市対抗野球では、わが社チームは近畿代表として恥ずかしくない試合をした。同時に、この勝利を積み重ねるには、補強選手諸君の大きな力があったことを忘れてはならない。よくチームにとけこんで、一心同体の活躍をされたこれら選手諸君には、私は心から感謝とねぎらいのことばをおくりたいと思う。

松下幸之助
松下電器社内報『松風』(1960年9月号)に掲載