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選手たちの礎を築いた野球人生での「忘れられない、あの試合」を紹介!
もはや伝説となったあの試合。劇的な幕切れを呼んだ会心の一打。

#8 片山勢三

とにかく俺に回せ
~第95回全国高等学校野球選手権大会 福岡県予選 「門司学園高」対「福岡工大城東高」~

2021年07月06日

画像:片山選手

私の出身校である福岡県立門司学園高校は、全校生徒500人ほどで各学年4クラスの小さな学校です。野球部員は各学年10人ほどで、総勢30人程度でした。毎日、17時10分までカリキュラムが組まれており、野球部はそれから練習となります。しかし校則で、19時30分には完全下校が徹底されていたため、練習時間は実質90分程度でした。

短時間で効率良く練習ができるようにと、当時の監督は毎昼休みに練習メニューを選手一人ひとりに配ってくれました。そのメニューが既に頭に入っている選手たちは、グラウンドに来ると直ぐに練習をスタートします。中には、部室で着替える時間がもったいないと、昼休みに制服の下にユニフォームを着込み、準備する選手もいました。

冬場は、練習始まる時間にはもう日が暮れており、直ぐに真っ暗。ナイター設備もないためグラウンドは使用できません。明かりのある場所を見つけて素振りをしたり、校舎内の階段でダッシュをしたり、黙々と基礎練習を行う毎日でした。

このように、決して恵まれた環境ではありませんでしたが、「甲子園で校歌を歌うこと」を目標に私たちは3年間、練習に取り組みました。

画像:片山選手

そして高校3年の夏、福岡県予選を迎えました。 1回戦8-6.2回戦4-1.3回戦6-5.4回戦5-4と勝利し準々決勝に進出。福岡工大城東高校と対戦することになりました。同校は優勝候補の筆頭で、相手ピッチャーはその試合まで防御率0.00と大会屈指の好投手でした。試合前のミーティングで監督は「相手チームは、今大会平均5点は取っている。だから6点取らないと勝てない!」と明言しました。

試合が始まると、監督の言っていた通り、簡単に5点を取られました。相手ピッチャーの鋭い変化球にわれわれの打線は沈黙。私自身も8回を終わって4打数ノーヒットと完全に抑えられていました。

画像:ホームランボール

そして5点ビハインドで迎えた最終回、打順は6番からでした。新チームになってからの1年間、「片山に回せ」が合言葉。私は攻撃前の円陣で、「俺が絶対打つから、とにかく俺に回してくれ」と言いました。「絶対につなぐ」との思いで打席に向かったチームメイトたち。ヒットを放ったのは同じ3年生の面々でした。彼らとは喧嘩もたくさんしましたし、意見がぶつかり合い、チームがギクシャクしたこともありました。それが思い出され、それでもここまで私を信じてついてきてくれた3年生はじめチームメイト全員に、感謝の気持ちで一杯になりました。だからこそ、自分が打って恩返しがしたい。その思いが自分の中でより大きく膨らんでいく感覚を抱きながら、私は仲間の攻撃を見守っていました。

画像:片山選手

執念の攻撃で3点を返し、3-5、2アウト2.3塁。ここでとうとう私に打席が回ってきました。「みんなが必死に回してくれた絶好のチャンス。何としてもモノにしたい!」。この一念で私はバットを握りました。

初球外角のスライダーをファール。2球目外角低めにスライダーが外れボール。この時から、「もうスライダーしか来ない、打つならスライダー」と思い、狙いを定めました。1ボール1ストライクから迎えた3球目、肩口に抜けてきたスライダーを引っ張りこみました。打った瞬間、ホームランを確信、球場中がシーンと静かになったのを感じました。今でもこの感覚は忘れません。皆が信頼してくれたことへの感謝を一打で返せた喜びで、私は野球人生で初めてうれし泣きをしました。

「なぜこの回で逆転できたのか?」と聞かれることが多いのですが、それは短期集中で練習をしてきたことで、ここぞの場面で集中力が途切れなかったこと、試合前に監督が言っていたことを全員が共通認識していたからだと思います。そして、何よりお互いが信じあっていたからです。

私の舞台は、社会人野球に移りましたが、ここも同じ。チーム一丸となり目標達成に向かうことが、勝利への一番の近道だと信じて、毎日練習に励んでいます。

画像:片山選手
画像:片山選手
片山 勢三
・所属:エナジー技術・製造担当 エナジー技術・モノづくり戦略室
・球歴:門司学園高-九州共立大
・プチ情報:今季はシーズンINまでに10㎏を超える減量を敢行。更にキレの増したスイングに注目!
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