私が1番心に残っている試合は、2008年夏の甲子園、1回戦新潟県央工高校との試合です。
兵庫県予選を勝ち抜きいよいよ迎えた甲子園ですが、私たち報徳学園高は2002年春に優勝して以来、甲子園の勝利から遠ざかっていました。私自身も2007年の春・夏ともに1回戦敗退しており「なんとしてもまずは一勝を!」と、臨んだ試合でした。
試合序盤、流れを掴めずに先制される展開に…。さらに追加点を取られて0-2。なんとか流れを変えたい状況の中、6回に味方の2ランホームランで同点に追いつきました。しかし、そこから両校の投手が踏ん張り、2-2のまま9回裏に突入することとなりました。
報徳学園は、県大会決勝戦をサヨナラ勝ちで甲子園を決めており、攻撃の前に「甲子園でもサヨナラ勝利しよう!」と円陣を組みました。
2アウトとなったところで、3番打者が3塁打を放ち出塁。サヨナラの絶好の場面で4番だった私に打席が回ってきました。しかし、私自身はというと、県予選で結果を出せずに苦しんでいました。それでも当時の監督は私のことをずっと4番で使ってくれていて、監督の思いに応えるためにもなんとか打ちたいという気持ちで一杯でした。
1ストライク2ボール、高めの抜けたスライダーを思い切り振り抜きました。その瞬間から、ダイヤモンドを一周してホームに帰ってくるまで、正直、全く記憶に残っていません。
――サヨナラ2ランホームラン
高校時代、公式戦でホームランを1本も打ったことのない4番打者の公式戦初ホームランでした。何よりチームの勝利に少しでも貢献できたことが一番うれしかった。しかも、そのホームランは大会通算1200号のメモリアルアーチだったことを当時の記者から聞き、驚いたのと同時に「これから、もっと注目される選手にならねば」と、気持ちが高まったことを覚えています。この勝利で勢いに乗ったチームはこの後、ベスト8まで勝ち進み、長く甲子園で勝ち進めなかった時期を打破できました。そのことも大変うれしいことでした。
「お前は4番じゃない。4番目に打つバッターだ」。当時のコーチに言われたこの言葉を今でも思い出します。
野球はあくまでもチームスポーツ。一人の力で点を取るのではなく、打線として攻めるもの。自分はその打線の中の一部として活躍できればそれでいい。チームが勝つための自分の立ち位置を、あの言葉を聞いた頃から、すごく考えるようになりました。あれから13年の時が経ちますが、どんな時でもチームが勝つためのバッターであるように頑張っています。
- 井上 貴晴
- ・所属:ライフソリューションズ社 人事総務部
・球歴:報徳学園高校-青山学院大学
・プチ情報:昨夏の前十字靭帯断裂の大ケガからの復帰を誓う。今月からは本格的な練習も再開し完全復活の日も近い。 - ⇒ 詳しいプロフィールはこちら