―――私には幼いころからの大きな夢がありました。
それはプロ野球選手になること――
愛知工業大学4年生だった私は、大学野球部が所属する愛知大学野球連盟での選抜チームのメンバーとして、中日ドラゴンズとの試合に出場しました。あの試合は私の大学野球生活最後の試合でしたが、実はそれだけではなく、夢の実現を左右する、重要な決意を胸に臨んだ試合だったのです。
大学卒業後は、直ぐにプロに行きたいと考えていた私は、4年生になり、複数の企業チームから入社のお誘いをいただいても、プロ野球選手という夢を捨てきれずお断りしていました。肘に問題を抱えていましたが、手術はしないと決めたのも、早くプロになるためでした。
ところが、こうした自分の考えが一変する試合に出会いました。
2014年の都市対抗野球大会。パナソニック対JFE東日本の試合を見たからです。この試合は1対0でパナソニックが勝利した試合でした。
「こんな世界があるのか…」
初めて社会人野球を目の当たりにした私は正直、度肝を抜かれました。
一球一球に響く地響きのような大歓声、選手一人ひとりのレベルの高さ、その全てに圧倒されました。自分の今の力では「こんな雰囲気は作れない」「例えこのままプロ野球選手になれたとしても、プロの世界で長生きはできない」と、思い知らされました。
大学に戻った私は直ぐに、お世話になっていたドクターに、肘の手術をお願いしに行きました。元から肘に不安を抱えており、大学4年生になってからはボールこそしっかり投げられる状態でしたが、常に痛みがありました。登板後は、右肘が曲がりにくくなり、右肩すら触れない状態。連投となれば痛み止めを使うことも多々ありました。
しかしドクターは、「今の肘は手術が必要な状態ではない」「メスを入れれば元に戻る保証もない」と言いました。
私は大学野球部での自分の状況や、「プロ野球選手になりたい」という夢のことなど、たくさん、たくさん悩みました。
そして最後に「手術をする」という決断を自分で下しました。
社会人野球を経て「プロ野球選手になる」という、明確な夢ができたからこそ出来た決意でした。
大学の野球部の監督には、手術を決めてから報告しました。突然のことに驚かれ、怒られもしました。しかし、「秋のリーグ戦で一部リーグ昇格させよう」、「最後までエースとして戦おう!」など、たくさんの温かい言葉をかけていただき、最終的には背中を押してくれました。
こうしたさまざまな葛藤と向き合い、投手生命に関わる決意を胸に、私は大学生活最後の試合となる選抜チームでの中日ドラゴンズ戦に臨んでいました。
試合では思うような結果は出せませんでしたが、おかげで今でも印象に残る試合になりました。
肘はその後、大学卒業前に手術し、私は夢と共にパナソニック野球に入部。今年、7年目を迎えます。もうプロ野球選手という夢を叶えることは厳しくなりました。手術をしていなければ夢を叶えられたかもしれませんし、手術をしなければここまで野球を続けることが出来なかったかもしれません。
当時の夢は叶えられませんでしたが、都市対抗、日本選手権で優勝し、あの時手術する決断ができて良かったと思えるよう、これからも頑張って行きたいと思います。
- 北出 浩喜
- ・所属:ブランド戦略本部 コーポレート広報部
・球歴:小松商業高-愛知工業大
・プチ情報:7年目の今季からは投手リーダーに就任。 投手陣を牽引する存在に! - ⇒ 詳しいプロフィールはこちら