Panasonic Sports

ピックアップフェイス

法兼 駿

一発長打の魅力とチーム屈指の俊足でアピールする内野手、法兼駿。2017年春のスポニチ大会で2試合連続のホームランを放つなど、鮮烈なデビューから1年。「決して自分はレギュラーだとは思っていません。バッティングの調子が悪い時でも、結果を残せる波のない選手になりたい」と、ハイレベルでの安定感を目標に掲げる。

振り込んで、答えを見つける

夏までは3番に座り、その後も多くの試合でスタメンに名を連ねたルーキーイヤー。しかし、満足のいくものでなかったと、法兼は2017シーズンに悔いを残す。「夏場に成績を落としてしまいました。ピッチャーとの勝負というよりも、自分の調子やバッティングフォームと戦っている、そんな状態になってしまいました」。新人にとっては、徐々に打者のデータがそろい始める夏以降に本当の戦いが始まる。「様子見のような直球中心の配球もなくなって、マークが厳しくなったとは感じていました。それでも、もっとやれたはずです」。

2018年春のキャンプから、法兼はバッターボックスに入る心構えを変えた。「ずっと実戦を意識する。特に左投手を相手にしたとき、1打ごとに意識を変えて相手に合わせたバッティングをと考えています」。1年目のキャンプでは「とにかく、思い切り振る力」を心掛けていたというが、2年目の法兼のまなざしは投手へ、実戦へと向いた。「打球の感触を大事にしたい」と、これから始まるシーズンに手応えを感じている。

目標とするプレーを描き、自らのスタイルが変わることを恐れない――。法兼らしさというものがあるとすれば、「こうありたい」とイメージを前向きに膨らませていく姿勢だろう。「もっと盗塁できる」「もっといい感覚があるはず」。これまで以上を意味する「もっと」を強調する。法兼のこれまで、球歴を聞くと端々に芯の強いキャラクターが浮かび上がる。他県への進学を決断した高校時代、とにかく出塁と特徴を大きく変えた大学時代。「結果を残すため、自分が生きる道はこれしかないと思って決めました」と振り返る。

尊敬する兄の背中を追って

少年時代、法兼が運動をしない日はなかった。小学校に入ってすぐに始めた野球は週3回、加えて2年生からは少林寺拳法を習いはじめた。さらに、50メートルを6秒フラットで駆ける俊足から陸上クラブに誘われ、その練習も週2回。「三つを掛け持ちしていたので、毎日必ず何かやっていましたね。陸上は4年生のときには香川県で2位だったんです。でも同じ地区に1位の選手がいて、上には上がおるなと諦めました。三つの競技からどれかを選ぶとなったとき、最初に始めた野球をとったのは、一番大きな夢が持てたから」と語る。

野球を始めたのは、三つ年上の兄と同じ飯山少年野球クラブ。「父がコーチをしていたのですが、特に僕には厳しかったですね。家でも練習でも『いつも見られている感』がすごかった」と苦笑する。自分から練習を欠かさない兄、一方でやらされないとできない弟。「タイプが違うんかな、みたいな(笑)。兄は中学校のときにキャプテンで、軟式野球の全国大会で準優勝もしましたし、ずっと尊敬していました」と、その存在は誇りでもあった。

そのチームが、初めて全国大会への切符をつかんだのは法兼が6年生のとき。香川県で1チームだけの狭き門を突破したが、全国大会では2回戦負け。「そのときは3番でショート。いいチームだと僕らも思っていたんですが、香川で勝ててちょっとテングになっていたかもしれません」。中学生の全国大会で準優勝した兄の存在が、ひときわ大きく感じた。兄を超えるには、全国優勝しかない。法兼は兄と入れ替わりで、同じ飯山中学校に進んだ。

四国予選が突破できない

「軟式野球の全国優勝」と、大きな目標を掲げた法兼だったが、それどころか全国大会の出場すらかなわない。2年生で四国代表の座をかけた一戦、「あと1勝、そこで負けてしまって。相手ピッチャーは、その後プロ入りした選手だったんですが、僕は1本もヒットが打てませんでした」。その後、リベンジを期した3年生最後の大会もワンサイドゲームであっさりと1回戦で負けてしまう。0-5の完封負け、対戦したのは高知中学校だった。「高知で2位か3位のチームだったんです。実は初戦の相手が決まったとき、僕らは『もらった』という雰囲気だったんです」。ところが……。

「何もできずに流れるように試合が終わりました。みんな泣いていましたが、自分は涙も出ない。キャプテンだったし、さあ道具を片付けて帰ろうと、てきぱきと動いていたのを覚えています。相手は四国大会を制して全国大会へ出場しました」。中学の野球仲間の多くは香川県内に多数ある野球の名門校へ。しかし、法兼の目は四国でトップに立った高知の選手に向いた。「あのメンバーと野球ができたら」。信を貫いて高知高校を選んだ。甲子園に出る。そのために高知へいく。

高知高校は甲子園出場の常連校。内野手だけで50人を超える中、法兼は1年生から出場のチャンスを得た。「初めての硬式球に違和感もなく、バッティングを認めてもらったんだと思います。当時はとにかく守備が嫌いでバッティング練習ばかりしていました。一つ上の先輩はいいメンバーがそろっていたし、甲子園のチャンスは何度もあるだろうなと。でも……」。1年生の夏に県の準決勝で惜しくも敗退、その秋も選抜出場まであと1勝で敗れ、甲子園の一歩手前で足踏みが続いた。そのまま頼りにしていた先輩が引退、自分たちが最上級生になった。

悲願の甲子園へ

「監督からキャプテンに指名されました。県外からの選手は30~40人に1人とわずかで、入学したときには出場も簡単ではないと言われました。さらに、キャプテンになるというのも前例がなくて。そこからの1年は思い出に残っています。めちゃくちゃ厳しい練習を課していましたし、熱くなるタイプなので、厳しいことも言いました。他の選手とぶつかりあうことも多かったですね」。ショートを守るキャプテンの自覚。試合中はピッチャーが舞い上がらないようマウンドに向けて声をかけ、打っては4番打者として大きな役割を背負った。

「ホームランの打ち損じがヒットでいいと、当時はそう考えていましたし、あの打席も同じです」。法兼がそう振り返るのは、翌春の甲子園出場をかけて戦った2年生秋の四国大会準決勝。明徳義塾と互いに一歩も譲らず、4-4で迎えた9回表、一死1・3塁。ヒットでいい、あるいは外野フライでも1点の場面だが、法兼は長打を意識して打席に入った。「思いっきり振り抜いて、打った瞬間に距離は十分。ただ、フェアかファウルか際どい打球で。カーン! とライトポールに当たった音がしました。後で、監督からも『あんな漫画みたいな展開、初めて見たわ』と笑われたんですよ」。

夢見た甲子園、春の選抜大会では横浜高校と初戦でぶつかった。「甲子園に出るだけのチームと、勝つことが目標のチームの差。体が宙に浮いたような感覚だったのを覚えています。1時間40分で淡々と終わってしまいました」。強豪に圧倒されて、初戦敗退した。最後のチャンスとなる夏の高知県予選、決勝の相手はまたも明徳義塾。法兼は徹底的にマークされ、敬遠を含む5四球と勝負をしてもらえなかった。「怒りなんかもなかったです。ある程度予想もしていたし、僕の後ろに調子のいい選手をおいていたのですが、それでも勝てなかったのは僕らの力です」。

長打でなくていい、とにかく塁に出る

さらに4年間、野球に打ち込める環境を――。亜細亜大に進学した法兼だったが、入学と同時にヘルニアで戦列を離脱。「早い時期だったので、まだ取り返せる、何とかなると手術を決めました。そこからは、監督やコーチが『焦るな。治せるときにきっちり治せ』とずっと声をかけてくれました。自分はつい目先のことを考えてしまいますし、周りがそうして環境を作ってくれたことがスピード回復につながったと思います。感覚のズレが怖いと思っていましたが、元と変わりない状態だったのがうれしくて」。半年ぶりに持ったバットの感覚が、今も忘れられないと法兼は言う。

2013年、亜細亜大は明治神宮大会を制覇。1年生だった法兼はその瞬間をスタンドから見た。「自分もあの輪の中に」。そう心を決めて練習に打ち込んだが、公式戦で結果が出ない。「特に2年生の時はバッティングスタイルに悩んでいました。ならば、四死球で塁に出たり、チームが勢いにのれる打席にしようと考えました」。3年生の春からバットを短く持ってボックスの内側に立った。まず、内野手の動きを観察し、セーフティ、プッシュバントで相手を揺さぶる。カウント次第では、フォアボールを狙いにいく。秋の東都リーグで法兼は打率4割7分1厘の首位打者、出塁率は6割を超えた。

3年生秋、出場のきっかけとなったのは、ランニングホームランを放った専修大とのリーグ戦。そこから安定した打撃を続け、明治神宮大会で全国一をかけた早稲田大との決勝では、2番セカンドでスタメン出場。「一番覚えているのは、スクイズを失敗した打席。外されたと思ったのが実はスローカーブで、バットに当たらなくて。ああ、やってしまったと思ったら、キャッチャーが後逸してパスボールで1点」。打席のラインぎりぎりでプレッシャーをかけた法兼がもたらしたか、あるいは長打のスタイルを捨ててチーム貢献に徹した姿を、「野球の神様」が見ていたのかもしれない。

攻守ともに、全力を尽くす

2015年明治神宮大会で全国一を達成、「この優勝で、やっと兄を超えられたと思いました」。3年生の秋、DHで出場した4年生の春と、法兼は2期連続でベストナインに輝いたが、大学で最も意識が変わったのは守備だという。「守備のスペシャリストのような先輩から、一番教わったのが『自分で考えながら受けること』。ノック1本に、目標を持てるようになりました。先輩は一緒に買い物に出掛けていても、気がつくと野球の動きをする。ボールがこう来て、捕球してスローイングって」。習うように、法兼は練習が終わり部屋に帰っても寝る前までずっとグローブを手放さなかったという。

現在のパナソニックの職場には、熱心な野球ファンが多い。「職場はスポーツ好きな方ばかりで、すごく野球部を応援してくれています。特に、守備の細かな動きまで見てくださる方もいます」。所属はエコソリューションズ社の経営企画部。横断幕まで作って法兼のプレーを支えてくれている。「ドーム球場など、見ていただける試合で打てたらいいですが、守備もしっかり見せたいと思っています。それと、いつも両親は試合観戦にきてくれるのですが、父は『バッティングがこうなってるぞ』とか、いろいろと口うるさいので、何も言われないぐらいに活躍したいですね」と笑う。

2017年度社会人ベストナイン
表彰式にて(二塁手部門)

パナソニック創業100周年の節目。法兼は今年一番の目標を口にする。「100周年は周囲からも自分たちからも自然と出てくるキーワードです。これまでやってきたことの集大成、『野球部の優勝』を最優先に考えています。それぞれの大会、目標は優勝です」。メモリアルイヤーにかける熱い魂がそこにある。起用される打順とポジション、置かれた場面で最適な打席を――。法兼のひたむきな思いが、グラウンドいっぱいに表現される。

(取材日:2018年3月1日)

トップスピードの足がある。
それでいて、大きな一発を秘める――。
法兼が見せるシュアな打撃、堅守が
パナソニックファンを魅了する。

ページの先頭へ