#04
「三方よし」の心を
日本全国へ。
- 小山 諒 Ryo Koyama
- 2012年入社/産業社会学部卒
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京都生まれ、滋賀育ち。2022年から新潟営業所勤務。内陸育ちのため、海のある街で初めて暮らしており、休日は子どもと海や砂浜を満喫。新潟のお米の美味しさに感動したと言う。
未知の場所で踏み出した
営業の第一歩。
就職活動時は、金融機関を志望していたという小山。パナソニックハウジングソリューションズに入ったのは、自分を売り込む営業という仕事、そして会社として面白いことができそうだと惹かれたことがきっかけだった。
「配属先の希望は特になく、全国どこにでも行くぞ!という気持ちもありましたが、関西で生まれ育ったこともあり、初任地として配属された山形は縁もゆかりもない土地。やはり最初は少し不安でした。ただ、当時は東日本大震災の直後ということもあり、東北という土地でくらしを支える住宅に関わる仕事ができるというのは、身が引き締まる思いでした」。
山形に配属されて数年は、知識もなく、言葉のちがいにも戸惑い、苦労したことも多いと言う。そんな小山を救ったのが上司のアドバイスだった。「お客様に可愛がってもらえとずっと言われていました。当時は、とにかく自分がしっかりしないと、と気負っていたのですが、わからないことは素直に教えてくださいと言えるくらい懐に飛び込んだ方が、より深い関係性を築けると教えてもらいました」。
そうしてお客様と真摯に向き合い、経験を重ねていくうちに小山は営業として一つの指針を見つけた。
「“三方よし”という言葉です。これは、地元である滋賀で受け継がれる商人の精神。お客様はもちろん、自分、そして広い目で見た第三者にも喜んでもらえる仕事がしたいと思うようになったんです。三方みんなが喜べる仕事こそ、事業の継続性もあるのではないかと。そう思えるようになってからは、お客様とも対等に会話でき、より良い提案をできるようになりました。仕事もどんどん楽しくなっていきましたね」。
営業で培ってきたすべてを、
新たな魅力に昇華させる。
入社以来10年過ごした山形から新潟へ転勤になったのは2022年。営業という仕事は変わらないが、環境はまったく違うそうだ。
「新潟は山形と比べると単純に広く、人口も倍ほどある。市場が大きくなった分、やれることがたくさんあると感じています。販売店への訪問活動はこれまで以上に計画性を求められますし、なにより、新潟は山形以上にパナソニックのシェアが低いので、パナソニックのファンになってくれる販売店を増やすことも必要。隣同士の県であっても課題や営業戦略は違うので、そういう意味でも、いろいろな地域で営業を経験できることは楽しいんじゃないでしょうか」。
営業の楽しさ、やりがいを日々感じている小山だが、将来的には別のポジションに挑戦してみたいと言う。
「最前線で営業活動をしているからこそ、お客様が求めている商品もわかる。せっかくメーカーにいるのだから、ものづくりをやってみたいという気持ちも出てきました。パナソニックは大きな会社です。だからこそ、他の職種に挑んでみたいですね。これまで培ってきた知識や、関わってきたお客様の思いを形にすることで、もっと多くの人に喜んでもらえる未来を築いていくことが、将来的な私の夢です」。
Question
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今後行ってみたい地域、
やってみたい仕事は?営業として、一度は地元である関西で仕事をしてみたいという気持ちはあります。やはり関西はパナソニックのシェアも高いので、求められるハードルも高いと思いますが挑戦してみたいです。
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PHSの魅力を教えてください。
仕事と家庭を両立できるように、会社や上司が配慮してくれるところです。私は山形で職場結婚をしたのですが、新潟に転勤になったとき、妻も仕事を続けながらともに暮らせるように上の方々が手を尽くしてくださって。自分も部下にそう言える上司になりたいと思っています。