ルオーと日本展響き合う芸術と魂 - 交流の百年

展覧会のみどころ

1. 日本ゆかりのルオーの作品が集結。また日本初公開作品を含む、ルオーの日本美術への関心を示す作品も出品!

日本に初めてもたらされたルオー作品《裸婦》(1908年)や、コレクター福島繁太郎が雑誌を通して日本に紹介した《ピエロ》(1925年)、1953年の大回顧展で愛でられた《クマエの巫女》(1947年)など、日本にゆかりのある名品の数々が集結。また、《日本の武士(武者絵)》(1928年頃)、《日本の版画に基づく習作》(1922年以降)など、初来日作品を含む、ルオーが日本の美術に関心を寄せていたことを示す作品も出品。さらに、日本人芸術家からルオーに宛てた書簡も世界で初めて紹介します。

2. 梅原龍三郎、松本竣介など日本近代洋画を代表する画家の作品を展示。彼らへのルオーの影響を紹介!

ルオーの作品と梅原龍三郎や松本竣介、三岸好太郎など近代洋画の巨匠の選りすぐりの作品を並置、比較しながら、ルオーが日本の洋画史に果たした役割を、作品を通して知っていただく貴重な機会です。

3. はくいんかくや富岡鉄斎の書画、そしてルオーの後の世代の作家や現代作家の作品とルオー作品との共鳴。

日本の書画や、舟越やすたけ、村上友晴、マコト フジムラといった、ルオーの後の世代の作家や現代作家の作品を出品。そうした作品とルオーの作品との共鳴に、時代や地域や芸術ジャンルを越えるルオー作品の普遍性を紹介します。

序章 響き合う線と精神

日本でルオーの作品は、「日本的なるもの」や「東洋的なるもの」を見出され、賛美されることがありました。ここでは、展覧会の導入として、しばしばルオーの作品との同質性が論じられてきた日本の書画をルオーの作品と並べて展示します。

白隠慧鶴 《達磨図》
制作年不詳 紙本墨画 早稲田大学會津八一記念博物館
白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685-1768)は、臨済宗を中興した禅僧。民衆教化に努め、6 0歳過ぎより布教のための書画を制作。技法にこだわらない大胆な筆致による作風が多くの芸術愛好家を魅了した。

I 出会い ルオーと日本の相互発見

1920年代、フランスに留学していた梅原龍三郎や里見勝蔵などの日本人芸術家、そして評論家でありコレクターの福島繁太郎らは、パリで出会ったルオーの作品に衝撃を受けます。彼らは作品を購入して帰国するなど、ルオーの作品が日本へ紹介される礎を築きました。この章では、フランスに滞在していた日本人芸術家らが称賛した、ルオーの1930年頃までの作品を展示します。さらに、ルオーによる錦絵の模写絵なども出品し、ルオーからの日本への歩み寄りも検証します。

ジョルジュ・ルオー 《日本の武士(武者絵)》
1928年頃 墨、パステル、精油で溶いた油彩/紙 個人蔵
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2019 E3556
軍馬の躍動感や、武士の気迫に満ちた表情が、素早いタッチによる黒い線で巧みに とらえられる。ルオーが福島繁太郎を訪問した際に持参した作品と考えられる。

師モローを継承 ールオーの日本美術への関心

ルオーは、錦絵に倣った絵を描き、また、1929年には、自身の絵を購入していた福島繁太郎のパリの家を自ら訪問するなど、日本と関りをもつことに積極的でした。こうしたルオーからの日本へのアプローチに光をあてるのも本展の見どころです。ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館はルオーが日本の版画を写した作品3点所蔵しています。ルオーの師ギュスターヴ・モローは、日本美術を熱心に研究した画家のひとりでした。モロー亡き後モロー美術館の初代館長となったルオーは、モローの日本美術研究が反映された作品や収集品を目にし、日本の美術に容易に触れられる環境にあったと言えます。

ギュスターヴ・モロー≪日本の歌舞伎役者≫
制作年不詳 水彩、黒鉛/紙 ギュスターヴ・モロー美術館
Photo © RMN- Grand Palais / Rene - Gabriel Ojeda / distributed by AMF
モローの日本美術研究を示す作品。1869年に パリ産業宮で開催された「東洋美術館」展 に展示された錦絵の模写とされる。

※本作品は展示されておりません。 会場ではパネルでのご紹介となります。

II 影響 近代日本の画家たちにおけるルオーの受容

我が国でルオーの作品が集中的に紹介されたのは、1929年から1934年でした。とりわけ1934年開催の「福島コレクション展観」では、ルオーの油彩画やグワッシュ作品10点が一堂に集まり、そこで実際のルオーの作品を目にした多くの若手画家たちは、ルオーの芸術に多くの倣う点を見い出しました。この章では、ルオーの作品を称賛し、一時期でも主題や技法やマティエールに変容をみせた近代日本を代表する画家—里見勝蔵、梅原龍三郎、松本竣介、三岸好太郎、難波田龍起、林重義—の選りすぐりの作品を紹介します。

三岸好太郎 ≪道化≫
1930-31年頃  油彩/キャンヴァス 北海道立三岸好太郎美術館
三岸好太郎(1903-1934)が1930年前後に描いた道化師や人物像には、ルオーの影響が色濃い。衣装の鮮やかな赤、暗い背景から人物を際立たせる太い輪郭線などは、ルオー作品と明らかに類似する。

III 所有 戦後の日本におけるルオー評価とコレクションの広がり

第二次世界大戦後の1953年、東京国立博物館でルオーの大回顧展が開催されます。ここに出展された晩年の傑作を含む数々の名作は、同時代の日本の芸術家だけでなく、多くの文学者やコレクターを魅了しました。この回顧展やルオーの死(1958年)を機に、雑誌は次々とルオーの特集を組み、関連書籍も発行されるなど、ルオーの芸術の安定した評価が確立します。この章では、戦後の日本で、特に愛好され、所蔵されてきた晩年の作品を、関連資料とともに紹介します。

ジョルジュ・ルオー 《クマエの巫女》
1947年 油彩/紙(格子状の桟の付いた板で裏打ち) 個人蔵、パリ
1953年の大回顧展の出品作。この回顧展では、本作のような、宗教的な人物を描いた晩年の絵画も多く紹介された。

※本作品は展示されておりません。 会場ではパネルでのご紹介となります。

終章 継承 – 普遍的なるもの

最後のセクションでは、ルオーとは時代も芸術ジャンルも表現技法も異なりながらも、祈るように制作し、作品に彼方の光のような深い精神性を表出する芸術家、舟越保武、村上友晴、マコト フジムラの作品を展示します。彼らの作品との親和性をみながら、ルオー作品の普遍性を提示し、現代にいたるまで、我が国で変わることなく愛好され、作品が所有され続けているルオーの今日的意義を考えます。

※会期中、一部展示替えがあります。

マコト フジムラ ≪二子玉川園≫ 
1989年 金、銀、墨、顔料/雲肌麻紙 東京藝術大学
ボストンに生まれたマコトフジムラ(1960-)は、1986年から1992年まで東京藝術大学で日本画を学び、日本画の伝統的技法・画材と現代的抽象表現を融合した作品を制作している。ルオー作品をオマージュした作品も発表している。
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