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肥料および農業の用語解説

プラストサイジンS

放線菌の培養によって生産されるプラストサイジンで、有効な農薬として実用化されているS成分。
塩基性無色針状結晶で、融点236°C、分子量300〜450で、分子構造はまだ明らかでない。水、酢酸に溶け、多くの有機溶剤には不溶。熱、紫外線に安定。
稲のいもち病防除薬剤に用いられ、稲いもち病菌の菌糸生育阻止力は、濃度で水銀剤の約100倍で、きわめて強力である。
魚毒性は低く、人体毒性も農薬としては高くないので水田散布に用いられる。

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カスガマイシン

1966年、梅沢浜夫が、Strept Kasugaensisから発見した殺菌用抗生物質。
人畜に対してきわめて低毒性で、稲に対する薬害もなく、いもち病にきわめて有効に働く抗生物質である。
カスガマイシンの塩酸塩は水に溶けやすく、分解点202〜204°Cの白色結晶である。

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スミチオン

1960年、住友化学(株)で発明された有機リン殺虫剤。
特に温血動物に対する毒性が低く、マウスのLD50870mg(経口)で安全なため、農業用のほか、家庭の衛生害虫駆除にも実用されている。
ニカメイチュウ、イエバエ、アブラムシ、イネクロカメムシ、モンシロチョウの幼虫、ウンカ類にすぐれた殺虫効果を示すが、薬剤がやや分解しやすく、残効性が低いので、効果を上げるために、散布回数を多くする必要がある。

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DDT

ジクロロジフェニルトリクロロエタン。1939年、スイスのミュラーによって発見された強力な殺虫剤。
第二次世界大戦(1939年〜1945年)中、戦時最優先産業の一つに取り上げられ、アメリカで開発された。
有機合成農薬時代の幕を開くとともに、安定しており、しかも安価なことにより、第二次世界大戦後、世界中に普及した。
農薬として果樹、野菜などに広く利用されたが、脂溶性が高いため、農作物から直接経口的に人体の皮下脂肪層に、また間接的にも牧草から家畜を経て、肉、乳に含まれて人体に移行蓄積し、慢性中毒を起こすことが知られるに及んで、1968〜1969年、世界各国でその使用制限、もしくは禁止措置がとられるようになった。
日本においても、1969年末、その製造が自粛されたので1970年代前半には、BHCとともに、その姿を消すものとみられる。
しかし全世界的 において、農作害虫をはじめ、マラリヤ撲滅を目的とする防疫害虫の駆除に果たしたDDTの功績は偉大で、1948年にはミュラーの業績に対してノーベル生理医学賞が授けられている。
酸に対しては安定であるがアルカリ条件下で脱塩酸される。空気中あるいは紫外線による分解はほどんどみられない。DDTはこん虫類、くも類、甲かく類などの節足動物と魚類、両生類などの冷血脊椎(せきつい)動物に接触剤および消化中毒剤として作用する。
収納品はpp'-DDT 99.8%upのものである。

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BHC

ベンゼンヘキサクロライド。1942年ごろに発見された強力な有機合成殺虫剤。
特に日本では、第二次世界大戦後、極度の食糧不足に見舞われ、米の増産に各種の施策が講じられたが、BHCが、水稲の重要害虫であるニカメイチュウに効力を有することおよび安価なことから大増産が行われ、食糧増産に大きく貢献した。
しかし1969年になってBHCは異性体中のβ体が特に安定で残量が多い点から、DDTとともに塩素系農薬による環境汚染、慢性中毒の危険が指摘され、世界各国とも、その製造、使用を全面的に禁止する傾向にあり、日本でも農薬、家庭用殺虫剤としての使用が厳重な規制を受けることになった。農薬としてはDDTとともに長い寿命を誇ったが1970年代前半にはその歴史を閉じるものと思われる。
酸に対しては安定であるが、アルカリには弱く、鉄イオンが存在すると分解する。
節足動物および魚類に接触剤、毒剤およびくん蒸剤として作用する。
収納品は、リンデン99.8%upのものである。

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※本ページの内容は、タイム・カプセルEXPO'70記録書(1975年3月発行)を引用して掲載しています。社名や組織名など現在とは異なる場合がありますのでご了承ください。


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