子どものための建築と空間展

展覧会のみどころ

子どものためにつくられた建築の美しい図面を展示

児童向けの出版社ほるぷの依頼により、菊竹清訓(1928-2011)が青森県黒石市に設計した小さな図書館「黒石ほるぷ子ども館」の貴重な手描きの設計図面をご覧いただきます。図面には、青森特産品のりんごをモチーフにした微笑ましいカーペット(デザイン:植松国臣)が描きこまれています。

黒石ほるぷ子ども館 室内詳細図1:20(部分) 1977年 菊竹清訓 株式会社情報建築蔵

彫刻家イサム・ノグチの遺作の初公開資料

彫刻家のイサム・ノグチ(1904-1988)が最晩年にたずさわったランドスケープの作品、札幌のモエレ沼公園。イサム・ノグチ直筆のマスタープランの図面が初めて展覧会に出品されます。ノグチは1930年代から、庭や子どものための遊び場を空間の彫刻としてたびたび計画しています。

子どもたちのヒーロー、ウルトラ怪獣のデザイン画を展示

美術家、特撮美術監督、デザイナーと幅広いジャンルで活躍した成田亨(1929-2002)は青森県ゆかりの作家です。青森県立美術館所蔵のコレクションから、高度成長期以降の子どもたちの心をつかんできた、ウルトラ怪獣のデザイン原画を出品します。

展覧会の特徴

こんなところで遊びたい、学びたい ―名作を一挙紹介

保育園・幼稚園、小学校、遊び場、公園遊具、児童館といった子どものためにつくられた、様々な用途の建築とランドスケープデザインの作品を、時代ごとの流れでご覧いただきます。

新しいユニバーサル玩具で遊べるコーナー

「ペタボー」(隈太一発案、クラレファスニング開発)を用いて遊んでいただけるコーナーを設けます。 子ども建築塾(代表:伊東豊雄)で学んだ子どもたちがさらに楽しむ方法を提案します。 (ペタボーは、デジタルライズの登録商標です。)

未来志向の建築展

子どものためにつくられたこれらの作品には各時代の反映だけではなく、子どもたちに向けられた豊かであたたかい大人のまなざしが感じられます。これからの子どもたちが育つ環境を考えるヒントを見つけていただけるでしょう。

第1章 子どもの場の夜明け 明治時代

1872年に発布された学制(日本初の体系的な教育法制)と、7年後の改正教育令によって、すべての子どもが小学校に通うことが定められました。ここでは文明開化を象徴する擬洋風建築の旧開智学校(1876年 立石清重)を紹介します。近代的な一斉授業で用いられた新しい教材・教具も展示します。小学校の開設は幼児教育が始まる契機ともなりました。博覧会には遊戯機械が新しい娯楽として登場しました。

旧開智学校(重要文化財) 1876年 立石清重 写真提供:旧開智学校

第2章 子どもの世界の発見 大正時代

大正デモクラシーを背景に大衆が文化を牽引した時代、より自由で生き生きとした教育体験を目指して設立された「自由学園」(1921年 フランク・ロイド・ライト+遠藤新)などの大正自由教育運動の学校を紹介します。また関東大震災後の耐震性と不燃化を追求した鉄筋コンクリート造の校舎もとりあげます。一方、商業・消費が発達したことにより商品、住まいやライフスタイルに子ども用の生活デザインが広まりました。その中で生まれた『赤い鳥』に代表される児童文学の原画も展示します。

インターミッション 戦争前夜に咲いた花

1930年代は重工業化が進み、西欧の影響を受けたモダンデザインの学校が現れる時代です。「慶應義塾幼稚舎」(1937年、谷口吉郎)、「橋本市立高野口小学校」(1937年、薮本芳一)他を紹介します。
また政治的に不安定なこの時代にも子どもたちを魅了した児童雑誌等を展示します。

自由学園明日館食堂  1921年 フランク・ロイド・ライト+遠藤新 写真提供:自由学園明日館
慶應義塾幼稚舎理科室内観 1937年 谷口吉郎 写真提供:慶應義塾福澤研究センター 撮影:渡辺義雄

第3章 新しい時代の到来、子どもたちの夢の世界を築く 1950−1970

戦後から復興、高度成長と劇的に変化していく時代、子どもたちをとりまく環境はどのように変わっていったのでしょうか。科学的な視点に基づく建築計画学の成果として実現された、「旧目黒区立八雲小学校分校(目黒区立宮前小学校旧校舎)」1955)他を紹介します。 また1950年代後半からはレジャーが流行し、遊園地の整備も行われました。 メタボリズムの建築家大谷幸夫と彫刻家のイサム・ノグチが「こどもの国」(1965)に実現した児童遊園も紹介します。

ゆかり文化幼稚園 1967年 丹下健三 写真提供:ゆかり文化幼稚園

第4章 おしゃべり、いたずら、探検−多様化と個性化の時代  1971−1985

子どもの個性を伸ばす教育を目指す「オープンスクール」の教育メソッドがアメリカから導入され、校舎にも学級や学年の枠をとりはらった自由な活動のためのオープンスペースを取り入れた新しい試みが注目されます。「加藤学園暁秀初等学校」(1972年、槇総合計画事務所)や「宮代町立笠原小学校」(1982年、象設計集団)他を紹介します。 一方、幼児が本来持っている力に注目して、生活に基づいて幼稚園・保育園の空間を合理的に創っていった女性建築家小川信子の活躍も紹介します。

宮代町立笠原小学校 1982年 象設計集団 撮影:北田英治

第5章 今、そしてこれからの子どもたちへ 1987−

子どもが輝ける場所とはどんな場所なのでしょうか。建築家の参画が求められるケースが増え始め、新しい学習に対応した空間や、生活の場としての空間の豊かさを目指す学校が増え始めた1985年以降から現代(昭和60年代から平成)までをここでは紹介します。「サレジオ小学校」(1993年、藤木隆男建築研究所)他をとりあげます。
「東松島市宮野森小学校」(2016年、盛総合設計+シーラカンスK&H)は学校を復興の地に開くことで、子どもたちと地域の希望の拠点となることを目指しています。 社会や都市のあり方が大きく変化する現在、子どもの遊び場と遊びの機会を取り戻そうとする試みも紹介します。

ふじようちえん 2007年 建築家:手塚貴晴+手塚由比(手塚建築研究所)トータルプロデュース:佐藤可士和 Photo©Katsuhisa Kida / FOTOTECA
東松島市立宮野森小学校 2017年 盛総合設計+シーラカンスK&H 撮影:浅川敏