ヘレンド展― 皇妃エリザベートが愛したハンガリーの名窯 ―

展覧会のみどころ

窯設立から今日に至るまで、ヘレンドおよそ190年のあゆみを概観

およそ150件、約230点※の出品による、国内で開催の過去2回のヘレンド展を凌ぐもっとも充実した内容です。 ブダペスト国立工芸美術館が誇る、ヘレンド磁器コレクションを中心にヘレンド磁器美術館、ハンガリー国立博物館などから日本初公開作品を含む、重要な作品が出品されます。

※会期中に一部作品の入替えを行います。

ヘレンド磁器最大の魅力、東洋の陶磁器の影響を受けたシノワズリーの作品を多数出品

ヨーロッパにおいて中国の造形に着想源を求めて作られた中国趣味の作品、シノワズリーがヘレンドのあゆみと共に、本展のもう一つのテーマとして、重点的に出品されます。

多彩な文様と繊細な絵付け、精巧な透彫りや彫塑飾りなどの最高峰の装飾技術による名品の夢の共演

「ウエールズ」文などヘレンドを代表する透彫りの装飾、可憐な草木や花々の塑像飾り、「ヴィクトリア」文ほか、東洋と欧州の様々な陶磁器から学んで独自の発展を遂げた多数の個性的な文様。これら最高の技術によって作られた名品が会場に並びます。

第1章

ヘレンド磁器製作所の黎明期 ―ヴィンツェ・シュティングルの製作所

ヘレンド磁器製作所の前身は、1826年にヴィンツェ・シュティングル(1796−1850)がヘレンド村に創設したクリームウェア製陶所でした。 クリームウェアとはヨーロッパで最初に大量生産された上質な陶器で、ハンガリーでは上流階級の家庭の食器として使われていました。しかしながら、クリームウェアは破損しやすく長持ちしないため、この時期の製品はほとんど後世に残されていません。第1章では、その貴重なクリームウェアをご紹介します。

第2章

〈1部〉モール・フィシェル時代 ―全盛期

1839年にヘレンドへ資本参加したのがモール・フィシェル(1799−1880)です。彼は非凡な芸術的才能とビジネスセンスで、今日まで続くヘレンドの名声の礎を築きました。貴族や裕福な市民が所有していた磁器セットの割れてしまった器の補充や、貴族の家に伝わる逸品の複製を担います。そして貴族からの注文にこたえる中で、飛躍的に技術を向上させました。 その一方で、国際的な博覧会に積極的に参加し、優れた製品の数々を出品することで大きな注目を浴びました。戦略的に行われたこの出展によって磁器の注文数は大きく伸びたのです。

《色絵金彩「ロスチャイルド」文透彫瓶》1869年
ブダペスト国立工芸美術館

〈2部〉モール・フィシェル時代 ―全盛期 ―東アジアから得た着想

モール・フィシェル時代の磁器においてとりわけ多彩で重要な作品群は、東洋の磁器を手本に制作されたものです。

19世紀半ばのヨーロッパにおいては、中国の磁器は最高品質を意味し、透明感や薄い質感、軽やかな筆遣いの絵付けなど賛美の的でした。 次いで日本の磁器も人気があり、欧州の名窯は、こうした東洋磁器の複製を作ることでその技術を徹底的に研究したのです。ヘレンドは日本と中国の陶磁器を複製するなかで、多種多様な東洋のモチーフを装飾のバリエーションとして獲得していきます。絵付けだけでなく、素地や器壁の厚み、釉薬や顔料の多彩な色合いなど、手本から技術を学び取り、忠実なコピーを作ることも、独自の造形を生み出すことも共に自在に行いました。

《色絵金彩「皇帝」文コーヒーセット》1860 年頃
ブダペスト国立工芸美術館

第3章

〈1部〉モール・フィシェルの息子たちの経営になるヘレンド磁器製作所

モール・フィシェル引退の後、ヘレンドは息子たちが経営を引き継ぎました。得意とする手作業の絵付けをいかした高い技術の磁器製作所を継続する一方で、新しい製品の開発も行います。

それは、セーヴル窯風の紺色の地に金彩を施したロココ趣味の装飾や、本物そっくりに繊細に成形された小花をあしらった置物、金彩技法やエナメル絵付けなどです。

《藍地金彩唐草文コーヒーセット》1890年頃
ブダペスト国立工芸美術館

〈2部〉モール・フィシェルの息子たちの経営になるヘレンド磁器製作所 −東アジアから得た着想

引き続き中国と日本の磁器を手本にした製品の制作を重視していたヘレンド。東洋風の製品のうち、透かし彫りの装飾で二重の器壁を持つ「ウエールズ」文はこの時代の代表で、技術面での実力の証ともいえます。きわめて精緻にくり貫かれた外壁と華麗な絵付けが施された内壁の組み合わせは豪奢そのものです。このほか、柿右衛門磁器に特徴的なモチーフを取り入れた「ゲデレー」文はハンガリー人の憧れの的となりました。このシリーズはオーストリア皇妃兼ハンガリー王妃エリザベートが愛したゲデレー宮殿用として彼女のために作られたものでした。

《金彩「ウエールズ」文龍飾りビアマグ》1881年
ブダペスト国立工芸美術館

第4章

イエネー・ファルカシュハージ・フィシェル時代 ―理想的な後継者

モール・フィシェルの孫の時代となった19世紀末、ハンガリーでは建国1000年祭を控えて民族意識を高揚する動きが高まっていました。その動きのなか、カーネーションやザクロ、チューリップの絵柄による民族的な装飾様式が確立されます。これは「ハンガリアン・ナショナル」文様としてヘレンド窯の重要なモチーフとなりました。

続く20世紀冒頭、パリ万博においてヘレンドは、これまでの作品とは一線を画す、当時の造形の潮流にそったアール・ヌーヴォー調の小規模なコレクションを発表します。高温で焼成され、流し釉で覆われたものがその代表例です。

第5章

イジュラ・グルデンの時代 ―ふたつの世界大戦の間のヘレンド

1920年代、ヘレンドは二つの大きな芸術方針を定めました。一つは古くからヘレンドが作り出してきた古典的モデルの制作。二つめが、アーティストを採用して新作モデルをデザインすることです。古典的モデルの製品により安定した収入を得て、新作により芸術的な名声を維持しつづけることができました。

グルデンによる最大の刷新は、磁器人形の制作があげられます。それまでヘレンドではほとんど小像の制作は行われてこなかったにも関わらず、カタ・ガーチェルがハンガリー彫刻の傑作を磁器で再現したほか、指導者イシュトバーン・レーリンツや優れた職人たちの成形技術や素地への深い造詣によって美しい作品が生み出されました。

第6章

国有化された磁器製作所(1948−1991年)

第二次世界大戦後、ハンガリーが共産圏に入ったことで、ヘレンドは国有化に至ります。新しい政治体制の中ではヘレンドでは贅沢品としての磁器ではなく、社会の成員みなに入手可能な普及品の製造が目指されました。しかし1960年代に入り芸術分野ではかつての独立性が取り戻されました。

第7章

新たな挑戦 ―世紀転換期のヘレンド窯

1990年代に、ヘレンドは再び民営化されます。華麗で豪奢な高級磁器の生産に適した環境を整える一方で、常設展示室や実演見学施設などが設けられ、窯の見学者に向けた設備が整えられました。さらに磁器デザインを専門とする工芸家が参加する社内アトリエ「ヘレンド・スタジオ」が開設されました。

更なる技術革新と改善をすすめ、外部から作家を招くことで、現在もヘレンドの作品の独創性と多様性は一層豊かなものへと発展を続けています。