ジョルジュ・ルオーコレクション

パナソニック汐留ミュージアムのコレクションの中核をなすのは、 20世紀を代表するフランスの画家ジョルジュ・ルオー(1871-1958)の作品です。 当館の収蔵作品約230点のなかから代表的な作品を、サーカス、キリスト、風景、版画などのテーマ別にご紹介します。

イラスト・題字 永沢まこと

風景

ルオーと風景について

  • 《ブルターニュの風景》
  • 《キリストと漁夫たち》
  • 《古きヴェルサイユ》
  • 《冬 人物のいる風景》
  • 《人物のいる風景》

風景画を生涯にわたって描き続けたルオー。古典に学んだ学生時代の理想的風景画から、パリ郊外やブルターニュなど実景を描いていた初期作品に加え、中期から晩年の想像上の聖地を描いた「聖書の風景」まで、制作時期によって画風はかわるものの、風景画はルオーの画業において欠かせない重要な主題でした。

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サーカス

ルオーとサーカスについて

  • 《マドレーヌ》
  • 《女曲馬師(人形の顔)》
  • 《踊り子と白い犬》
  • 《道化師》

ルオーが描くサーカスの世界は華やかなスペクタルと言うよりも、旅回り芸人の世界です。ルオーは子供のころからサーカスを楽しみ、流浪と自由という憧れを育んでいました。特に、悲しみを内側に秘めながら人を笑わせる道化師の勇気に、そして決して希望を失わずに自らの人生と向かい合う姿勢に、聖なる存在を重ねていました。また、過酷な道を歩む彼らの姿に自分自身を重ねて自画像とすることもあったのです。

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キリスト

ルオーとキリストについて

  • 《キリスト》
  • 《「古びた町外れにて」又は「台所」》
  • 《聖顔》

「人は誰しも担うべき十字架を持っている。私の十字架は私の芸術だ。」そう話すルオーが生涯わたって描き続けたのは、キリストを求める彼自身の内面であったのかも知れません。キリストや聖なる風景を繰り返し描くことで、大道芸人や職人など無名の民衆と共に芸術という十字架を担い続けたのです。

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版画

ルオーと版画について

  • 《小さな女曲馬師》 (『流れる星のサーカス6』より)
  • 《悩みの果てぬ古き場末で》 (『ミセレーレ10』より)
  • 《バンブーラ踊り》 (『ユビュおやじの再生11』より)
  • 《市門に立つキリスト》 (『受難1』より)

ルオーの幼い頃から身近にあり、美術との出会いに大きな役割を果たした版画。決して裕福とは言えない労働者街に生まれたルオーは、安くて手軽な複製版画に触れることで古典芸術を学びました。また、ルオー自身、版画制作に意欲的に取り組み、『ミセレーレ』『受難』など10冊以上の版画集と挿絵入りの書籍がルオーの 作品として現在に伝えられています。

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その他

ルオーとその他テーマについて

  • 《飾りの花》
  • 《避難する人たち(エクソドゥス)》
  • 《法廷》

法廷や裁判官、飾りの花など、ある時期に集中して描かれた主題があります。法廷をテーマに描かれた作品は、初期から1930年代までは多く制作されましたが、50年代にはいるとほとんど描かれていません。代わって≪飾りの花≫と題されるアーチの下に置かれた花瓶の花は、20年代から最晩年までほぼ同じ構図で繰り返しかかれている、モチーフです。また、ここで紹介している≪台所≫のように室内に現れるキリスト像は、頻繁ではありませんがルオーの画業を通じて度々描かれています。

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プロフィール

ジョルジュ・ルオー(1871‐1958)略歴

1871年5月27日、パリ・コミューンの崩壊前日、砲撃の中生まれる。父アレクサンドルは家具職人。
1885年父の勧めでステンドグラス職人のもとに徒弟奉公に出る。古いガラスの修復に従事しつつ、夜は装飾美術学校で素描を学ぶ。(〜90年)
1890年画家になる決心をし、国立美術学校に入学。エリー・ドローネの教室に入る。
1892年ドローネの後任にギュスターヴ・モローが就任。キリスト教主題の作品をレンブラント風に描く。
1894年「博士たちの間の幼きイエス」によりシュナヴァ−ル賞受賞。
1895年ローマ賞に再度応募するが落選し、師モローの勧めに従い美術学校を退学。
1898年モロー死去。
1903年パリにモロー美術館が開館し、モローの遺言により初代館長に任命。この頃から道化師や娼婦を描き始める。
1904年サロン・ドートンヌに作品を出品。観衆は一連の「黒い絵」を嘲笑。
1908年「法廷」の連作、貧しい農夫、労働者の絵を描く。人間の内面にまで踏み込んだ表現主義的な描写を試みる。
1913年ルオーの陶器に興味を抱いた画商ヴォラ−ルが、今後の全作品を購入するよう申し出る。
1917年画商ヴォラ−ルと専属契約を結ぶ。『ミセレ−レ』、『悪の華』などの版画集を計画。
1918年油彩画に専念。「キリストの受難」等宗教的主題が多くなり、色彩は鮮やかに、マティエールは豊かさを増し、表現はさらに凝縮されて重々しくなる。
1924年ドリュエ画廊で大回顧展開催。
1929年日本人実業家の福島繁太郎と最初に出会う。
1930年版画集『流れる星のサーカス』、『受難』を制作。30年代は道化師、裁判官、聖書風景、キリスト像など大型の油彩を輝く透明なマティエールで描く。
1937年パリ市プティ・パレ美術館で回顧展開催。
1941年アメリカ各地で巡回展。以後青を基調とする厚塗りで芳酵なマティエールの小型の作品を描く。
1951年黄色味を帯びたキリスト教的風景画が表れ、平和で神秘的な情景が多数描かれる。
1955年ローマ法皇ピウスよりグレゴリオ大勲章を授与される。
1958年2月13日死去。17日、サン・ジェルマン・デ・プレ教会で国葬。
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イラスト・題字 永沢まこと

© ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo 2012