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選手たちの礎を築いた野球人生での「忘れられない、あの試合」を紹介!
中学生ながらにして親元を離れての寮生活。辛く、厳しい練習の先にあったものとは?

#22 大坪直希

苦しんだ数だけ喜びはある
~全国中学野球選手権大会「神村学園中等部」対「青葉緑東シニア」~

2021年04月06日

僕の中学三年間は、これまでの野球人生の中で最も内容の濃いものとして、10年以上が経った今でも僕自身の心の中に留まっています。

僕は鹿児島の私立神村学園中等部へ入学しました。出身である佐賀から親元を離れ鹿児島での寮生活。それでも、入学を決意したのは当時の野球部監督に影響を受けてのことでした。初めてお会いした時から、とても素晴らしい方で野球人としても人としても尊敬できる方。「この人の下で野球がしたい!」と思ったのがきっかけでした。

身の周りの事は全て自分でする寮生活。中学生になったばかりの僕にはとても厳しく、馴染めずに、ホームシックになってしまいました。今では、少し恥ずかしい思い出ですが…(笑)。そんな苦しくて寂しい毎日を埋めてくれたのは、同じ志で親元を離れ入学してきた仲間でした。僕は佐賀から鹿児島へ行きましたが、中にはもっと遠く大阪などから入学した同級生もいました。

月日が経つにつれ、寮生活には慣れましたが、いざ野球の練習が始まると、キツい練習の日々が待っていました。「この人の下で野球したい!」と思った監督はとても厳しく怖い。グランドだけではなく学校生活や私生活の目配りも絶対に疎かにしない方だったので、気を抜くところがなく、正直、「早く三年間終わらないかな」と思っていました(笑)

そんな環境で全身全霊、野球に捧げた三年間。中でも、中学三年の夏に行なわれた全国大会での試合が強く心に残っています。

僕たちは最上級生となり「監督を日本一の監督にしよう」と思って、これまで以上に全力で取り組みました。監督も僕らのその思いに応えてくれ、今まで以上に練習はキツくなりました。グランド以外での監督の目も一層、厳しくなり「常に監視されているな」と思って生活をしていました。

画像:向かって一番左が大坪選手
向かって一番左が大坪選手

日増しに厳しくなる練習に、全力で喰らいついていった僕ら。そして、遂に創部以来初めてとなる全国大会への切符を手に入れたのです。全国大会では、厳しい試合が続きましたが、一回戦から勝ち上がり、遂に決勝戦にまで駒を進めました。

僕らのチームは「練習、厳しく。試合、楽しく」がモットーだったため、決勝戦前には、「とにかく目の前の試合を楽しもう!」「決勝までこられるのは幸せな事だよ!」と、皆で言いあいながら、監督、保護者を含めて三位一体で楽しもうと意気込んでいました。

相手は青葉緑東リトルシニア。現在、東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍をしている松井裕樹投手がエースでした。松井投手の中学生離れしたピッチングを前に、僕らは完封負けの0-2で負けてしまい惜しくも準優勝。監督を日本一の監督にする目標は叶いませんでした。試合後は本当に悔しくて、最後のミーティングでどのような言葉をかけてもらったかですら覚えていないくらい泣いていました。

試合には負けてしまいましたが、皆で一つの目標に向かって、苦労しながら色々な経験して、努力してきた三年間。小学六年生の僕が、「この監督の下で野球をしたい!」と決意したあの日から、仲間たちと共に過ごしてきた日々に間違いはありませんでした。(優勝していたら申し分なかったのですが…)。この試合を通じて、「苦しんだ分だけ後には喜びがある」と今でも思い出します。

パナソニックに入社をしてからはまだ、満足の出来る結果を残せず、心の底から喜べる瞬間を経験したことがありません。もがき、苦しみながらも、その後で、心の底から喜べる瞬間を今後味わいたいと思います!!

画像:大坪選手
画像:大坪選手
大坪 直希
・所属:コネクティッドソリューションズ社 人事センター
・球歴:神村学園高-亜細亜大
・プチ情報:パナソニックの元気印!今季からはファースト守備にも挑戦し、持ち前のバッティングセンスに磨きをかける。
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