戒厳下のオリンピック、スタッフ全員でつかんだ勝利
パナソニック 映像・音響チームスタッフ

多くの会場にパナソニックの機器が納入された
ソルトレークシティーのダウンタウンの外れ。人気もまばらなストリートの一角に、無粋に「PAW」とだけ書かれた看板が掲げられた、何の飾り気もない倉庫がある。入り口を鉄柵が囲み、一見、閉鎖された倉庫にしか見えないが、その実、内部ではオリンピックを影で支える男たちが日夜、熱い議論を交わし、寸暇を惜しんで現場との調整に奔走していた。テロに備えてカモフラージュされた秘密基地。パナソニックの映像・音響スタッフは、ここ「Panasonic Audio Warehouse」を主な拠点として、ソルトレークシティー大会を成功に導くべくサポートした。
21世紀初の冬季オリンピック、ソルトレークシティー大会で、パナソニックはシドニー大会に引き続き、大型映像システムであるアストロビジョン、音響システムのRAMSA、さらに数多くの放送機器を納入。そのシステム運営を担った。
ロッキー山脈に抱かれ、5つの国立公園が点在するユタ州。その州都であるソルトレークシティーの人口は18万人を越え、冬季オリンピックが開催された都市としては最大となる。美しく豊かな自然の中での大会は、同時に標高1300メートルを越す高地という、厳しい条件下での開催でもあった。

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PAWの松下通信工業映像・音響スタッフ 竹内松巳、大町亮一、後藤喜行
大町亮一システム担当参事は語る。
「冬季オリンピックは長野で経験しているが、ソルトレークは寒さのケタが違います。マイナス10℃から20℃という気温を考慮して、準備を一刻も早く進める必要がありました」
冬季オリンピックの場合、降雪が始まる前に機器の設置や工事の準備を済ませておかなければならない。地中深く埋め込むケーブル、山間の難所への機器の搬入、雪や寒さへの対策を万全にするためのテスト……山間部で降雪が始まる10月までに、これらの作業に取りかかることが必要だ。刻々と迫るタイムリミット。しかし、思うように動き出せない理由があった。
パナソニックと国際オリンピック委員会(IOC)とのスポンサー契約は、すでに2000年シドニー大会直前に締結されていた。しかし、ソルトレークオリンピック委員会(SLOC)との間で交わされる、大会運営の機器を納入するサプライヤー契約は、諸所の事情から、当初予定していた2001年夏から大きくずれこんでしまっていた。そして、いよいよ最終的な契約までこぎつけた9月、あの米同時多発テロが起きたのだ。
「せっかく合意しかけていた契約も、危機管理に対応するために内容の見直しを迫られました。白紙撤回と同じようなものです。お互いの行き来もできなくなって、メールだけではらちがあかないし、まもなくアメリカは軍事行動を起こしたため、オリンピック自体の開催も危ぶまれました。しかし、ここで準備を始めておかなければ大会には間に合いません」

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屋外の機器にとっては厳しい環境
両者の弁護士を交えての折衝が続くなか、まだ契約書にサインはされていなかったが、パナソニックは機材を船積みし、アメリカに届けることを決めた。工事開始予定は11月。長年オリンピックをサポートしてきた“読み”だった。きっとソルトレーク大会は開催される。この大会を成功に導くのはパナソニックの使命だ。
やがて12月、最終合意。日本に契約書が到着したのはクリスマスの直後だった。
限られた時間の中で、いつも以上のパフォーマンスを実現するため、急ピッチで工事を進めたいパナソニックにとって、テロの影響は計り知れなかった。
「工事現場へは、車両も限られたパスでしか入れません。会場ごとに一枚一枚パスを申請し、朝6時から夜11時までの作業が、その日のうちに終わらないとパスが切れてしまう。まさに分刻みのスケジュールでした」

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会場内は厳戒態勢が敷かれた
セキュリティ・チェックが済んでいる会場には、部品一つを持ち込むのも簡単にはいかない。たとえプラスチック一枚でも警備犬が匂いを嗅ぎ、テロ対策のため迷路のように組まれた通路を経由するなど、厳重なセキュリティーを経なければならなかった。
しかし、心強い援軍もいた。パナソニックが手を組んだ現地のパートナーは、ショービジネスの本場であるアメリカでも最大級の規模となるスポーツイベント、スーパーボウルの演出を手がけたこともあるチームだった。ビッグ・プロジェクトに慣れているスタッフとともにパナソニックは綱渡りのスケジュールを手際よくこなしていった。
オリンピックのシステム構築で最も重要なのは、バックアップを確保することだ。世界中が注目するライブの瞬間にアクシデントが起きても、映像、音響ともに、本線とは別回線がカバーし、大会の進行を滞らせない。今回のソルトレークでは、さらにもうひとつ、バックアップ体制を整える必要があった。何か起きた時のための、スタッフに対するバックアップである。
「やはり、みんなの命を預かっていますから。テロの目標とされかねないオリンピック会場では、警備やテロ対策は万全ですが、やはり家族も心配しています。戦時下にあるアメリカでの保険体制や領事館との連絡方法をはじめ、不測の事態に、誰が誰に連絡し、バックアップするか。現地のスタッフも含めた人的な危機管理のシステムを構築するのも大きな仕事でした」

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現場スタッフの協力のも工事は急ピッチで進んだ
60人を超える現地スタッフと日本から来たスタッフをどう繋げるか。同じフロアでコミュニケーションを取り、同じように危機管理意識を持ち、ひとつのチームとなってサポートしあう。こうして培ってきた信頼と人脈とが、1984年のロサンゼルス大会以降、パナソニックの大きな財産となっている。
「世界のトップブランドが揃い、最先端の技術が集うオリンピックの現場を、多くのスタッフが実際に体験することはとても重要なことです。商品と技術でオリンピックをサポートすることで、カタログでは表せない、普通のセールスマンでは語れないパナソニックの商品力を、こうした信頼できるパートナーとともに伝えていく、これが僕らの仕事です」
17日間にわたる熱戦の最後、かなたに見えるロッキー山脈の白銀が暗やみに包まれると、夜空を染める花火を合図に閉会式が始まった。パナソニックの映像、音響システムのスタッフも大会を華々しく締めくくるための最後の準備を整えていた。
閉会宣言では、ジャック・ロゲIOC会長が、大会運営を支えた人々に感謝の言葉をかけた。「米国、ユタ州、ソルトレークシティーの人々が、世界に飛び切りの大会を用意してくれた」
スタジアムに設置されたパナソニックのアストロビジョンが、次回開催地イタリアのトリノ市長に手渡された五輪旗を映し出すと、場内から地鳴りのような大歓声が沸き起こった。そして開会式のアトラクション“光の子”で少年が持っていた明かりが、トリノから来た10歳の少女の小さな手に。“祈り”の歌とともに聖火が静かに消えると、大会は無事に幕を閉じた。パナソニックのスタッフは誰からともなく、固く握手を交わし成功の喜びを噛みしめた。
スタジアムでの徹夜の撤去作業を終え、明けたばかりの空の下、秘密の“倉庫”に戻ったスタッフたちは、郵便受けに届けられた新聞の1面を目にし、深い感慨を抱いた。閉会式の写真とともに、そこには大きく、こう綴られていた。「WE DID IT!(われわれは、やった)」
2008年10月1日、“松下グループ” は “パナソニックグループ” に変わりました。
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