奇跡のジャンプを後押しした映像と観客
パナソニック アストロビジョン

メインスタジアムアストロビジョン
16日間にわたった長野大会は、20世紀最後の冬季オリンピックということもあり、日本だけではなく世界中から脚光を浴びた。
開会式で全世界30億人が見た映像のオープニングは、会場の“アストロビジョン”の大画面に映し出された「善光寺の鐘」だった。その映像は、くしくも世界初のテレビ実況中継が行われた1936年のベルリン大会を連想させた。この大会をとらえた伝説的映画『オリンピア』のオープニングで大会開幕を告げたのは「オリンピックの鐘」だったのだ。
この、スポーツが初めてメディアとして認識されたベルリン大会から62年。3度目のオリンピックを迎えた日本では、大会成功が義務づけられ、選手にはメダルのプレッシャーが大きくのしかかっていた。

アストロビジョン担当
松下通信工業 SP担当課長
後藤 喜行
その緊迫感は長野で映像・音響システムを担当していたパナソニック・チームも強く感じていた。
「各会場に設置したアストロビジョンが、長野の観客に認知され、選手と観客が一体となってきている。この最後のジャンプ団体でも、アストロビジョンを使って会場を盛り上げよう」
ジャンプ団体はここまでW杯個人総合のNO.1の座を原田雅彦と船木和喜が争い、斎藤浩哉を含めた3人は2度、表彰台を独占。チームそのものが「史上最強」と呼ばれ、金メダルが確実視されていた。しかし、1本目、期待された原田が、猛烈な吹雪の中、アプローチの姿勢を保つことさえ難しい状況で、失速。チームは1位から4位に転落してしまう。
誰もが4年前の悪夢を思い浮かべた。94年リレハンメルオリンピックの団体戦でも、最後に飛んだ原田が105mを飛べば、日本は金メダルを手にすることができた。ふだんの原田の実力を持ってすれば、その力の半分を出すだけでいい。しかし結果は97.5mの失敗ジャンプ。地上に降りた原田はうずくまり頭を抱えたまま、動かなかった。日本は手のひらに乗っていた金メダルを目前でこぼしたのだ。

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白馬ジャンプ台アストロビジョン
白馬の吹雪が強まる中、2本目の開始が遅れるアナウンスが流れた。2本目がキャンセルされれば、競技は終了、日本の4位が決定してしまう。日本のテストジャンパーは審判団へのアピールのために猛吹雪の中を必死に飛んだ。
長野では、こうした変わりやすい天候により、競技時間の延期が連日に及んだが、その間、観客の心を温めたのもアストロビジョンだった。白馬のスタンドでも、アストロの大画面がジャンプの再開を待つ人々にウェーブをうながした。「まだ2本目がある」。そんな会場の熱さも競技再開を後押ししたのだった。
運命の2本目。
最初のジャンパー岡部孝信が137mの大ジャンプで再び日本を1位に押し上げた。続く斎藤も不利な追い風の中、持ち前のテクニックで124mまで飛距離を伸ばした。そして原田。アストロビジョンには、スタート地点の原田の姿が映し出された。原田の視界を遮り横殴りに降る雪。吹雪の凄まじさは画面を見れば、一目瞭然だった。

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ここが感動の舞台となった
3万人の大観衆が固唾を飲んで見守る中、原田はアプローチからスピードに乗って勢いよく飛び出した。猛吹雪の中、まるでスローモーションのように飛行する原田。その身体はK点を飛び越え、その遥か先に着地した。137mのバッケンレコード!
最後は若きエース船木。大画面には「船木…船木…」とうわごとのように繰り返す原田の表情がクローズアップされる。船木は低く飛び出し、美しいフォームから125mのジャンプ。自身の記録を電光掲示板で確認すると、両手を突き上げて反り返るように倒れた。原田が抱きつき、岡部、斎藤が折り重なるように倒れこむ。日本にとって記念すべき100個目の金メダル獲得の瞬間だった。
船木のガッツポーズ、滞空時間の長い里谷のコザック、清水の弾丸スタート……閉会式の会場では、長野オリンピックのハイライトがアストロビジョンに放映された。思い出のシーンを振り返るメインスタジアムの大観衆。そしてラスト、画面に映し出されたのは、海のむこうのソルトレークシティ市民の笑顔だった。
2008年10月1日、“松下グループ” は “パナソニックグループ” に変わりました。
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