35億人に届いた感動のメッセージ
パナソニック デジタル放送システム

開会3ヶ月前のオリンピックスタジアム
アメリカ南部最大の都市アトランタ。この街の誇りは、1992年から10年連続の地区優勝を誇るメジャーリーグ球団、アトランタ・ブレーブスだ。ホーム球場のターナーフィールドは、かつてカール・ルイスやマイケル・ジョンソンといった陸上競技のスターたちがメダルを手にしたオリンピックスタジアムだった。今でもスタンドにそびえる巨大なアストロビジョンのスクリーンは、時に選手を鼓舞し、ファンの熱い声援をうながし、ゲームを盛り上げる。アトランタオリンピックの頃と変わらずに。

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IBC構築は日本企業初の挑戦
近代オリンピック100周年を記念するアトランタ大会で、パナソニックはアストロビジョンなどの映像・音響機器のサプライヤー(製品を供給する業者)として大会を支援した。また、公式放送機器にはパナソニックのデジタル放送システムが採用された。放送の世界でも本格的なデジタル時代が始まろうとしていた。オリンピック放送という巨大なプロジェクトが、その試金石とされる。責任は重大だった。
さらにパナソニックに課せられたのは、日本企業としては初の、放送システムの元請けという未知の大仕事だった。「世界最大の放送局」と呼ばれるIBC(国際放送センター)には、世界75カ国から170の放送局が集まる。IOC(国際オリンピック委員会)の命を受けて公式映像を撮影するオリンピック公式放送機構AOB(アトランタ・オリンピック・ブロードキャスティング)がここで素材となる映像を制作し、各国の放送局がそれぞれの編集をほどこし母国へ送信する。このIBCの設計から構築、メンテナンスまでをすべて担当しなければならないのだ。

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松下電器産業株式会社 AVC社
主席技師 山本 耕司
パナソニックのスタッフは、あらゆる事態でも高画質の映像を送ることが可能なシステム設計や現地で調達可能な機材選定を行うため、大会の2年前からアトランタで議論を重ねていた。
「放送システムをすべて任されたことの重さは想像以上でした。世界の放送業界がかつてデジタルでは構築したことのない規模のシステム、高度なクォリティを要求される映像レベル、何十億人もの視聴者、おまけに100%の確実性を要求されるんですから」
これまでのオリンピックでも、パナソニックは公式放送機器の納入やメンテナンスなどを幾度も経験していた。オリンピックでの実績が豊富なパナソニックのスタッフにとっても、今回のアトランタはチャレンジの連続だった。
「正直言って、体当たりでいろんなことを学びながらプロジェクトを進めていきました。たとえばオリンピックスタジアムでは、会場の設計段階から関わりました。デジタルカメラの映像を伝送する光ファイバーのケーブルをどのように張り巡らせたらいいのか、実際に工事中の地下にも潜って、現地の放送スタッフと交渉を続けたんです。万一、無数のケーブルの中のどこかひとつが切れても他から信号が届くような、完全なバックアップ方法を模索しながら作り上げました」
様々な交渉を重ね、提案を実現化していくうちに、パナソニックと現地の放送スタッフとの関係も深まっていった。特別のノウハウを要求されるオリンピックの放送スタッフはどの大会もたいていキャリアを持ったいつもの顔ぶれだ。次第に、パナソニックのスタッフは彼らから同じような話を聞くようになる。

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競技会場の設計段階から関わった
「みんなが共通して口にしたのが『オリンピックは開会式をこなせるかどうか』ということでした。開会式をこなせたら、50パーセントが終わったようなものだ、と」 期間中、競技は毎日どこかで行われている。万一ある競技の中継が途切れても、現場ではテープを収録してバックアップをかけているし、別の競技への差し替えもきく。しかし、大会の最初に放送される開会式はその瞬間に、その場所だけでしか行われていないからだ。
開会式当日、オリンピックスタジアムの巨大なアストロビジョンが記念すべき大会の始まりを鮮明に映し出す。パナソニックのスタッフにとっては、わずか数時間前に、放送システムの総合動作の確認が終了するという綱渡りで迎えた瞬間だった。
スタジアムに集まった8万3千人の大観衆、さらには世界214の国と地域でテレビを前にする35億人が見守る中、やがてイベントはクライマックスを迎えようとしていた。 薄明かりの中、9100人の人々がボードを掲げた白いスクリーンがスタジアムに浮かび上がる。そこに映し出されたのは、アトランタが生んだ黒人指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師による、リンカーン記念堂でのスピーチだった。キング氏の声は静かに、しかし明瞭に響き渡り、アメリカの歴史上もっとも有名なメッセージが場内に繰り返された。
“I have a dream(私には夢がある)”
人類の未来に向けたこのメッセージは、100周年の区切りを飾るオリンピックにふさわしく、また、大会に向けて様々なチャレンジを続けてきたパナソニックのスタッフの想いを表す言葉でもあった。
2008年10月1日、“松下グループ” は “パナソニックグループ” に変わりました。
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