オリンピックのすべてのシーンは永遠に輝き続ける
パナソニック デジタルVTRシステム

バルセロナ大会の映像は輝きを失わない
「数字」に残らない記録がある。
しかし、その「映像」は記録として永遠に残り続ける。
スイス・ローザンヌにある「オリンピック・ミュージアム」。
ここには、1896年の第1回アテネ大会から現在にいたるまで、すべてのオリンピックの映像が保管されている。
1992年バルセロナ。この大会では、初のデジタルシステムによる鮮明な映像が、数々のシーンを人々の記憶に焼き付けた。坂本龍一が指揮した開会式、アーチェリー選手による聖火の点灯、有森裕子がエゴロワに手渡した花束……その感動のシーンは、パナソニックのデジタルVTRによってオリンピック・ミュージアムに永久保存されている。
1989年、パナソニックは3年後に開催のバルセロナ大会で採用される公式放送機器のコンペに参加しようとしていた。
当時、パナソニックの放送機器はアナログ方式のVTR、MIIがメインだったが、放送業界に後発で参入したこともあり、思うような評価が得られずもどかしい状況にあった。放送機器においてもっとも重要視されるのが「実績」である。パナソニックのスタッフは英知を傾け、実績を最大限に積むことのできる千載一遇のチャンスに、思い切った提案をすることを決めた。「デジタルの高画質」を前面に押し出した、開発されたばかりの「D−3デジタルVTR」システムの提案である。
当時、放送業界にもデジタル化の波は押し寄せていたが、システムの大幅な入れ替えをともなう変革はたやすいことではなく、デジタルシステムはまだ試験的に使われているような状況だった。しかし、デジタル技術の分野でノウハウを持つパナソニックは、オリンピック放送こそ優位性をアピールする場にふさわしいと考えた。

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各国のスタッフが初めてデジタルにふれた
「デジタルシステムは実績がない。しかし編集や保存の際も画質が落ちず、データの加工もしやすい。保管もコンパクトだ。これからはオリンピック放送でも、必ずデジタルが要求される」 画質の美しさ、使い勝手の良さ、何より将来性を見込んでの提案であった。
コンペの結果は「YES」。オリンピック放送が見据える未来とパナソニックのビジョンは一致したのだ。こうして、世界で初めて商品化された、カメラとVTR一体型デジタルカメラレコーダーによる機動的な取材、光ケーブルによる伝送、一貫したデジタルフォーマットによる記録・編集から配信といった、オリンピック史上初のデジタルによる斬新な番組制作が実践されることになった。
しかし、現場では不慣れなシステムに対し、抵抗感もあった。
「まず、オペレーションの不安を払拭しようということで、開幕に先立ち、世界から集まる放送局のスタッフ2500人に使用方法を徹底して説明しました。ハードウェアについては、国際放送センターや競技場にある1000台のデジタルVTRに対し2台に1台の割合で、既存のアナログVTRをバックアップとして用意。VTRの目詰まりによるトラブルを防ぐため、念には念を入れて、競技が終わると毎日サービススタッフがVTRのヘッドを拭きました。総勢100名を超える24時間3交代の完全メンテナンス体制で、とにかく信頼を得るしかありませんでした」

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プレゼンテーションが幾度も行われた
オリンピックの放送機器は、競技中は収録や編集に、また競技終了後も番組の制作や世界の国への配信にと、24時間休みなしの過酷な使われ方をする。そんな中、パナソニックのスタッフによる苦労の甲斐もあって、大きなトラブルなく稼働するデジタルシステムの評判は日増しに上がっていった。作業の際の設定パターンを記憶できる点や、作動状態を随時モニターできる点など、これまでのアナログにはなかった機能が、各国放送局のスタッフに「ユーザーフレンドリー」だと高く評価された。
そして、彼らのだれもが口をそろえて絶賛したのが、デジタル画像の美しさだった。
バルセロナ大会の映像は「これまでのオリンピックと比べ、段違いに美しい」と評判になった。現地スペインでもテレビで競技を観た多くの視聴者から、映像の美しさについて問い合わせが殺到した。スペインの有力紙『ラ・バングアルディア』はその反響の大きさにこたえ、パナソニックのデジタル放送システムを取材し、8月3日付けの紙上で大きく紹介したほどだった。

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バルセロナ大会メインスタジアム
大会10日目。オリンピック・スタジアムでは、陸上男子400m準決勝が行われていた。この日もパナソニックのデジタルカメラが、選手たちの躍動の瞬間をとらえていた。
号砲一発。
ベストのタイミングで第1歩を踏み出したデレク・レドモンドに、突然、悪夢が降りかかった。予選1次、2次ともに1位通過でこのレースに臨んだ優勝候補はバックストレッチで突然失速し、背中を丸めてうずくまった。右足肉離れ。
かたわらを、日本人スプリンターとして60年ぶりのファイナリストを目指す高野進らほかの7人が走り去っていく。コースに取り残されたレドモンドは、やがて苦渋の表情を浮かべながらも立ち上がると、左足だけではねるように前進を始めた。
「死んだってレースを続ける。ただそれだけだった」
自分のコースをはみださないように、必死にゴールへと向かうレドモンド。
しかし、スタジアムのデジタルカメラは、傷ついた体が一歩ごとに悲鳴をあげている姿を鮮明に映し出した。その映像は、場内のアストロビジョンにクローズアップされ、その肉体のリアリティは大観衆と、全世界のテレビの前の視聴者に伝えられた。
ふと気付くと、レドモンドの側に父親の姿があった。声援を送っていたスタンドから一気に駆け下りてきたのだ。
「いつの間にか、父に支えられていた。コースに戻してくれ、そう叫んだ」
まもなくレドモンドは、嗚咽しながら顔を覆うと、並走する父の肩に手を回した。
スタジアムの観客が次々と立ち上がり始めた。なおも左足だけではねるレドモンドと支える父親に拍手は鳴り止まなかった。
ドラマはいつも突然にやってくる。デレク・レドモンドの400mの記録は数字には残らなかったが、パナソニックのデジタルVTRによって記録され、その映像を目撃した人々の心に刻まれた。
デジタル技術で「感動を未来へ伝える」パナソニックはバルセロナ大会でも多くの選手の喜びや涙をとらえた。そのすべてのシーンは、2500時間に及ぶデジタルテープに編集され、今は「オリンピック・ミュージアム」に永久保存されている。
これらの輝かしいシーンは、デジタルという決して色あせない「人類共有の財産」として、これからも多くの人々に永遠に感動を伝え続けるのだ。
* パナソニックは、スイス・ローザンヌにある、IOC(国際オリンピック委員会)オリンピックミュージアム内の総合的な映像音響装置、ビデオライブラリーシステム一式を開発寄贈しています。
