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1984年 ロサンゼルス エピソード1


近代オリンピックの新たな挑戦

パナソニック RAMSA音響システム

10万人が熱狂した開会式

10万人が熱狂した開会式

オリンピックの歴史は、常に新しいことへの挑戦だった。

1984年のロサンゼルス大会。そこにはさまざまな“初めての挑戦”があり、主役たちがいた。初めて正式種目となった競技に挑む選手たち、大会組織委員会の史上初の試み――そしてアストロビジョンやRAMSAを初めてオリンピックの舞台に送り出したパナソニックもその主役の一員だった。

カール・ルイスがジェシー・オーウェンス以来48年ぶりとなる陸上での4冠を達成、柔道・無差別級では山下泰裕が足を負傷しながらも金メダルを獲得するなど、数々のドラマや感動を残したこの大会では、女子マラソンが初めて正式種目に加わったことが大きな話題となった。

また、初めて民間資本だけで大会運営が行なわれたことも革新的だった。スポンサー企業からの協賛金や放送権料、聖火リレーへの参加費など、オリンピックというイベントを資金面で成功させるためのさまざまなアイデアにより、大会組織委員会は最終的に2億1500万ドルもの利益を計上した。これまでオリンピック開催国にのしかかっていた巨額の費用負担を魔法のように黒字に変えるビジネスモデルが確立されたのである。

競技者たちはスポーツの最高峰への挑戦を目指し、企業がサポートする。そして観客は、競技会場で、テレビの画面で繰り広げられる感動のドラマや驚異の記録を楽しむ。こうしてオリンピックには「観客」が欠かせない要素となった。競技者だけでなく、観客も意識したイベントや競技。それには、新しい発想による映像や音響を使った演出が不可欠だ。大会を前にパナソニックに白羽の矢が立った。

松下通信工業 システム事業推進部 大町 亮一

松下通信工業 システム事業推進部
大町 亮一

「1980年前後だったと思います。創業者の松下幸之助がロサンゼルスの名誉市民賞を授かったのを機に、リトルトウキョウ(ロサンゼルス中心部の日本人街)にある日米文化交流会館の劇場に音響設備を寄付しました。最新のアンプやスピーカーなどを組み合わせた先進的なシステムで、クリアな音や高い機能が現地でも話題になりました」

当時この音響設備のシステムエンジニアを務めた松下通信工業の大町亮一は振り返る。 「84年にロサンゼルスでオリンピックを開催するに当たり、大会の組織委員会は映像・音響設備などを一式そろえられるメーカーを探していたんだと思います。当時のアメリカは専門メーカーが多く、マイクロフォンやスピーカーなどを単品で扱っていました。きっと、この日米文化交流会館のこと知ってパナソニックに声を掛けたんでしょう」

パナソニックの業務用音響システムRAMSAは、1979年の夏、江ノ島を沸かせた伝説の野外コンサート“ジャパンジャム”での成功を皮切りに、イベント演出やホール音響の実績を国内で築き始めたところだった。オリンピックという巨大なスポーツイベント、前例のない音響演出、大規模な海外プロジェクト。何もかもが初めてへの挑戦だった。

「最初に話を聞いたときは、ほんとうにできるのか、という不安もありました。十分な会場図面もなく、とくに屋外会場については、上司の井上部長がヘリコプターから撮影してきた合成写真だけです。しかし、あれこれと提案を進めていくうちに、我々のプロオーディオのノウハウと技術をもってすれば、オリンピックの歴史を変えるすばらしい音響演出ができるんじゃないか、そんな熱気がスタッフに盛り上がってきたんです」

RAMSAのスタッフが最初に取り組んだのは、大会の開幕を彩る開会式の音響設計だった。会場は、メインスタジアムとなるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。52年前にもオリンピックの会場となった聖地がふたたびよみがえる。
コロシアム音響担当者の案内するスタジアムは、とてつもなく巨大だった。そびえ立つ聖火台の一角を除いてすべてが観客席。10万人の観客に音を伝えるスピーカーを設置する場所は、その聖火台の両サイドしかなかった。向かい側の客席までは300m。いったいどんなスピーカーを使えばこんな会場を音で満たせるのか。周辺住宅地域の騒音規制・気象条件・建設当時の建築図面・会場写真など屋外音響システムを設計するに必要な情報をともかく入手した。

コロシアムの音響シミュレーション

コロシアムの音響シミュレーション

こうして現場から持ち帰った情報をもとに、提案書づくりが始まった。当時、RAMSAはコンピューターシミュレーションを導入した音響設計を売りにしていた。いまでは、ノートパソコンでリアルタイムに演算できるシミュレーションも、当時は大型コンピューターで丸3日がかりだった。折しも5月のゴールデンウイーク、休暇を返上して作り上げたプランは、10万人のコロシアムをたった2ヶ所の集中音源でカバーするという一見シンプルな提案だった。しかしそれを実現するには従来のスピーカーでは不可能だ。

「スピーカーは、大きな音を出そうとするとそれだけ熱や振動を発生して、壊れてしまうことがあります。少ないスピーカーで大出力を実現するために、磁性流体という熱を発散しやすい素材をメカニズムにとりいれたドライバーを採用しました。また、遠くへ大きな音を伝えるには、音を広げずピンポイントで飛ばす必要がある。そのために、一定の方向だけに音が届く指向性の鋭いロングホーンも新たに開発したんです」

「また、音源を集中させたのは、メンテナンスを考慮した結果でした。ロサンゼルス大会は商業的な大会運営をおこなったと言われますが、それは出費を極力おさえた結果でもあるんです。つまり我々は限られた予算でやりくりする必要があった。スピーカーも、競技ごとにその会場に持ち運んで使い回したんですよ。あのときは競技が終われば設備を撤去して次の会場に移すという作業を朝3時に起きてやったものです。何もかも初めてのことだらけでしたが、オリンピックには挑戦する“熱”のようなものがありましたね」

1984年7月28日、当日までその内容が極秘にされていた開会式は、コロシアムを埋め尽くした観客と、世界中のテレビ視聴者の大きな期待を集めていた。かつてのオリンピックでこれほど注目された開会式はなかっただろう。日本では、NHKが生中継したこのイベントの視聴率は実に47.9%という驚異的な数字を記録した。

映画『スターウォーズ』や『ET』の作曲家として有名なジョン・ウイリアムス氏による壮大な音楽は、RAMSAスタッフのシミュレーション通り、スタンドをあますところなく包み込み、観衆を魅了した。聖火台の横には、160m2におよぶ巨大な画面のアストロビジョンが華やかなシーンを次々と映し出す。ショービジネス大国のアメリカらしく創意に満ちあふれ、淀みなく続く開会式という名の新しいイベント。コロシアムに突然、空中からロケット装置を背負った宇宙服の男が白煙を上げながら舞い降りたシーンは世界中を仰天させた。

磁性流体を採用したスピーカー

磁性流体を採用したスピーカー

入場する各国のアスリート、満場の観客、コロシアムではすべてが一体となって開会式を心から楽しんでいた。やがて地元アメリカの選手団が入場した時、その興奮は最高潮に達した。スタンドは地鳴りのような大歓声につつまれて揺れた。会場の音響オペレーターたちは、その声にかきけされまいと、思わずスピーカーのボリュームをいっぱいにあげたに違いなかった。

熱狂の祭典の翌日、スピーカーのチェックにコロシアムを訪れた大町たちRAMSAスタッフは愕然とした。あれほどシミュレーションを重ね、磁性流体を採用したスピーカーの、なんと半分以上が過剰な負荷のために壊れてしまっていたのだ。大町たちは、想像を超える、オリンピックという熱気のすさまじさをあらためて実感しながら、急きょ修復作業にとりかかった。大会3日目にはこの会場で陸上競技が開催される。
「またRAMSAの熱いサウンドで会場を沸かせてやろうじゃないか」

新しい時代の、スポーツイベントとしてのオリンピックはこうして幕をあけた。それはパナソニックRAMSA音響システムのオリンピックへの挑戦の歴史でもあるのだ。

2008年10月1日、“松下グループ” は “パナソニックグループ” に変わりました。
このページには、記事制作時のまま旧社名が表記されている部分があります。


エピソード

【納入情報】
ロサンゼルス大会を支えたパナソニック
メインスタジアムにRAMSA音響システムを納入
大会全会場にRAMSA音響システムを納入
ロサンゼルス大会委員会会議システムを納入
メインスタジアムに160m2のアストロビジョンを納入ほか
  • RAMSA音響システム26会場73システム
  • アストロビジョンほか