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※過去に掲載された記事になります。内容は公開時のものであり、最新の情報とは異なる場合がございます。

未来を照らすあかりを求めて 〜パルックボール・ヒストリー〜

あかりのこれから 2009→ およそ30年におよぶ電球形蛍光灯開発の道のりで、多くの人々が出会い、挑み、戦い、そして受け継がれてきました。いま、むかしの技術者と、経営トップが語るあかりの未来とは。

三軒正嗣vs.飯田史朗 進化し続けるモノづくりをリードする

1980年、松下初の電球形蛍光灯を開発して以来、約18年間一貫して電球形蛍光灯の開発に携わり、その進化を支え続けた三軒正嗣。そして、三軒のDNAを受け継ぎながら、ぶち当たった壁に真正面から挑み、やがて電球形蛍光灯のエポックメイキングとなるパルックボールスパイラルを生み出した飯田史朗。今回はふたりが、開発技術者と電球形蛍光灯というモノづくりについて、現場の息吹をそのままに存分に語った。

※この対談は2009年1月15日に行われたものです。

プロフィール

三軒正嗣さん
三軒正嗣
1961年入社、松下電子工業(株)蛍光灯工場 技術課配属。照明開発センター民生照明開発部部長を経て、2002年退職。1980年初代ライトカプセルから1999年までほぼ一貫して電球形蛍光灯の開発全般に携わる。
飯田史朗さん
飯田史朗
1991年年入社。照明開発センター民生照明開発部、照明システムR&Dセンター民生商品開発グループグループマネージャーを経て、現在、バックライト開発統括参事。

すべては自らの手を動かすことから始まる

飯田 
三軒さん、僕が入社した後も、部長自ら机の上で、鉛筆で図面描いてましたよね。
三軒 
私の時代はCADといった便利なものがなかったから、全部手書きでね。それにあの頃、発光管の設計ができる技術者が他にいなくて、すべて私が設計してましたから。飯田くんはよくわかるだろうけど、発光管を理解するには時間がかかるんですよ。発光管の設計ひとつでコストや性能、生産方法、それらすべてが大きく左右されるから、書いては消し書いては消し、試行錯誤の連続でした。
飯田 
開発技術者は組み立てや設計を担当して、発光管自体は基本的に工場の技術者がやっていた。開発で発光管がわかるのは三軒さんしかいなくて、パルックボールYOU(以下YOU)の時に三軒さんが移られて、開発に発光管がわかる人間がいなくなってしまった。YOUで採用されていた3U発光管は高槻工場にもノウハウがなかったから、工場の技術者にもわからないし、開発技術者もわからないという中で始まったんです。
三軒 
せめて今ある生産実証棟みたいなところでやっていればね。実証レベルの経験がないと、開発技術者は発光管のことは絶対にわからないんですよ。前々からそうした施設を作りたいというのはあったけど、予算の関係でできなかった。それが徐々に理解してもらえるようになってきて。
飯田 
94年くらいからぼちぼち開発で試作部門みたいなものができて。
三軒 
最初は試作機があっただけ。
飯田 
量産条件まで出せるものではなかった。最終的には、YOUの痛手がきっかけとなって、今の規模の施設を持てるようになったので。
三軒 
三軒正嗣さん 結局ね、モノづくりの技術が全くない状態でスタートしてますから、いざ設備を入れたってうまく立ち上がるわけがない。その根本のところからなんとかせな、ということをまわりもわかってきて、今やっと、開発できちっとそこまでやれるようになってきた。
私らの時代は、そういうことができなかったから、ひたすらお願いするしかなかったんですよ。もともと昔の製造技術者というのは、頑固者で個性の強い人たちばかりですから、一回ヘソを曲げるとダメなんです。でも、独自のノウハウを持ってる。それを活用しようとすると、お願いするしかないわけ。 ツイン蛍光灯をやった時、私はあれを今やらないとヨーロッパ勢に国内の市場を持っていかれると、非常に危機感を持って動いた。ところが高槻の工場では場所がないと言って作ってもらえない。それで岡山工場に行って、無理や言うのを自分でガラスくっつけて見せたりしながらお願いして、最後には内緒で設備を作ってもらったんです。 形は悪かったですよ。だけどものができるようになると、まわりの反応も違ってくる。開発の本当に最初のところというのは、まだおおっぴらにできない段階でしょう?
でも、予算も何もない中でなんとかやっていかないことには開発ができない。そこで、なんとかしてよとお願いして、暇を見て内緒で作ってもらう。全部そうです、スタートは。
飯田 
スパイラルも一緒ですね。最初はみんな無理や言うんです。そこで諦めないで、自分でやったら、だんだん協力してくれる人が集まってきた。
三軒 
それがひとつのライティング社の伝統かもわからない。普段は何だかんだ言ってても、いざやろうとなったときに一致団結する。
飯田 
特に工場はそうですね。工場は、今あるものをいかに安く作って利益を出すかというのが主目的ですから、売れるかどうかわからない新しいものを持って行っても、最初は、こんなんやってなんぼ売れんのや、という感じで。でもいざやるとなったら、ものすごい力を発揮しますね。
三軒 
結局ね、あきらめずに信頼関係を築いていくしかない。電球形蛍光灯が一番そういう苦労があるかもしれないな。ライトカプセル(80年)をやった時は、最初はパートの人が空いたスペースで組み立て作業していたんですよ。でもそのうち量産に入ろうと思ったら、それでは追いつかない。工場はそんな組み立てをやったことがないし、余分な人もいない。結局、岡山工場の隣の東洋電機にお願いして量産してもらったわけやけど、そうすると今度は生産管理もこちらの仕事になってくる。だから結局、開発が、生産から品質管理まで全部やってた。
飯田 
トラブルの度に走り回って(笑)。
三軒 
ほんまや(笑)。飯田くんにもよう対応してもろたな。工場が作っていたのは直管蛍光灯と丸形蛍光灯のみで、電球形蛍光灯の、ましてや組み立てとなるとノウハウなんて誰にもない。だから結局開発で全部やらなしゃあない。
飯田 
トラブルの時は、一番よく知っているところに話が来るんですよ。三軒さんは、あの頃電球形蛍光灯を一番よくご存知だったから、早くて確実やと。
三軒 
それに、あの時代はまだ数もそんなに出てなかったしな。そのために人を割けるかという思いもあったし。技術の積み重ねどころではなかったね。
飯田 
でも結果的には、それはそれでよかったと思うんです。自分のところが一番全体を把握していて、ある意味すべてを請け負えるというのは。
三軒 
我々からしたらそうですよ。すべてがわかったから。その面白さと辛さの両方を、たっぷりと味わったということかな。

好きなことをする中から突破口を見つけていく

飯田史朗さん
飯田 
人生どうなるかわからないと本当に思うのは、僕はもともと大学も留年しそうになって、仕方なく照明の専攻になって、ほんまにちゃらんぽらんな人間やったんですよ。最初からサラリーマン人生まっとうするのは無理やろうなと思ってたし、この会社に骨を埋めようという気もなかったんです。
でも三軒さんや当時課長だった松村武さんには、ずっと好きなようにやらせてもらって、自分の設計ミスで市場不良もいっぱい出して、一緒に頭下げてもらったりもして。だからほんまに、僕が今この会社にいて仕事ができているのはそのおかげやと。上司にも恵まれたし、仕事の内容にも恵まれた。すごいありがたいことやと思ってます。
三軒 
自覚して、自分で何か見つけてやり始められたら、それでやっていけるんですよ。要はその自覚と切り口を持てるかどうか。そのためには、ある程度好きにやらせて、いろんな経験をさせないとね。
飯田 
僕もある時やる気になりましたもんね。最近つくづく、学歴って関係ないなと思いますね。新入社員の要望スキルに、普通は電子回路技術とか書くんですけど、僕は、「体育会系のやる気のある人」しか書かない(笑)。
三軒 
(笑)。新入社員はコンスタントに入ってくるようになったの?
飯田 
一昨年、去年、今年と続けて入る予定です。
三軒 
それだけつながってくるとひと安心や。
飯田 
だからもう、とにかく好きなことをやってほしいと思うんです。上から与えられるんじゃなくて、自分からどんどんやってほしいなと。
三軒 
そこまでいくのがなかなか大変なんやけど。
飯田 
どうやってオリジナリティーを出すかだと思うんですよ。与えられた仕事に対しても、言われた通りにやるんじゃなくて、自分なりにやってみる。信頼を得るためにサプライズを起こすにはどうしたらいいかを考えるとか。たとえばスピードだっていいと思うんです。言われたことを言われた通りにやっているだけなら、やっぱり自分も周りも面白くないですよね、たぶん。
三軒 
そのためにもね、いろんなことを経験することなんですよ。でもこちらがそう思ってやらせても、本人がそれを自覚しないとどうしようもない。一見自分の仕事じゃなくても、与えられたら自分なりにやることで新しい発見が得られると思ってやれる人とそうでない人の差。そこが、伸びるか伸びないかなんじゃないかと思いますね。

妥協しないで手を動かし続ける

三軒正嗣さん
三軒 
開発技術者の仕事いうのは、まず時代の流れがあって、その中で今あるものを工夫して何ができるかな、というところから始まるわけやけど、絵はある程度描けても、技術がともなわないとできないでしょう。同じことが、すべての部品について言えるわけで、少しずつ、少しずつ押し上げていくしかない。
飯田 
そうなんです。周りからは、小出しや、最初からやれよって言われるけど、一気には無理なんですよ。
三軒 
それが開発技術者の一番苦しいとこや。
飯田 
93年の時点で、今作ってるプレミアの部品で手に入らないものって特にないですよね。部品そのものは良くなっていますが、延長線上にあるわけです。だからものすごい賢い人がいたら、93年にプレミアに限りなく近いものができていたかもしれない。でもそれは、後から振り返ったらの話で。93年の時点では、初代パルックボールがほんまに究極や思いましたし。
三軒 
世界的に見ても、そういうものはなかった時代でしたからね。それを端から見てると、小出しと思われたりするんでしょうが、開発技術者たちは必死の思いで悩んで、考えて、怒られながらやってきた。
飯田 
93年の時も、もっと小さくて電球と同じ形のを作れと言われて、電球形が電球と同じ大きさになんかなるかと、ほんまに思いましたよね。でも10年後にはそうなってしまった。消費電力も16Wだったのが今10Wですから。
三軒 
今の電球形蛍光灯としてはこれがひとつの究極やないかと思うね。LEDとなると話は別やけど、これ以上小型の発光管は、ちょっと思いつかない。しかし、営業はほんまに無理難題を言って来るわけやけど、それはそれでひとつの起爆剤。企業間競争もそういう意味では大事な起爆剤で、これがなければなかなか発展しない。
飯田 
絶対負けたくない言う気持ちは、開発技術者には必ずありますからね。
三軒 
私が常に飯田くんに言ってきたのは、「一番でないとダメ」いうことやね。私らはもうイヤというほど二番手三番手の苦しみを味わってきましたから。鼻の差でいいから、一番を走らなあかん。二番手はほんまに報われない。周囲からは責められるし、頑張って追いつこうとしても追いつくのが精一杯で常に先を越されてしまう。発売でもシェアでも何でもいい。何でもいいからとにかく一番を目指す。そのためには若干パーフェクトでなくてもとにかく出す、出し続けるのが絶対に大事なんです。
飯田 
言うてみたら、その時代時代で妥協しながらも精一杯やってきたことの積み重ねですよね。時間もコストも人も、あらゆる制約の中でものを作っていく。そして、作ったらまた次に行く。
飯田史朗さん 僕は今、プレミアが究極だと思ってるんです。この次ほんまにできるんかなと思いますけれど、でもそれは93年のパルックボールができた時と同じ感覚なんです。だから、ほんまに技術って無限なんちゃうかなと。今のミニクリプトン電球みたいな小さなものが、10年後にはできてしまうかもしれない。だったら今はその過程なわけやから、僕ら開発技術者は、妥協しないで手を動かし続けるしかない。
もうひとつ思うのが、目標は高く掲げなあかんのやな、ということです。僕がプレミアやった時は、スパイラルからいきなり2Wも下げて10Wというのはいくらなんでも無理やと、内心思ってたんです。でも11という数字はあまりに中途半端やし、どうせやるなら10W目指そうと、何の策もなく思ってやったわけですけど、それが出来てしまったんですよね、結果的に。ちょっとずつ、ちょっとずつ細かいところを作り込んで行ったら、もしかしたら行けるん違うかとみんなが思うような雰囲気になって。あの時は僕も驚きましたけど、でも僕が最初に11W言ってたら、10Wは絶対にないじゃないですか。だから、目標を高く掲げるってものすごい大事なことなんやなと。
三軒 
ある程度頭に絵を描いて、手を動かして作り込んで行く。手を動かしているうちに、要するに、それまで世の中に存在しなかったものが形になる瞬間があるわけや。
いずれにしても、常に一番手でやっていこうと思ったら、若いうちは寝食を忘れて没頭するくらいのことがないとダメなん違うかな。日頃から先見性を持って、新しいものを見て、チャレンジして、自分の技術を高めて、周辺の技術も高めて。それは、よっぽどの努力をしていないとできないですよ。でもそうやって、一度突破口を見つけてしまえば、その後は少し楽に行ける。
飯田 
どれだけ苦労しても、成功すればみんな次に行けると思うんです。いろんな制約の中である程度妥協したとしても、そのレベルまでは絶対にものにする。そういうことを繰り返していけば、絶対に充実感は味わえるし、成長できるはずやから。
三軒 
苦労して苦労してやっと作ったものを、店先でふと見かけたりするじゃない。やっぱりうれしいものですよ、これは。特に我々の扱っている製品はひとりの開発技術者がかなりの部分に携わりますから、達成感はあるよね。
飯田 
一機種だいたいひとりふたりでやってますから、純粋に自分がやったと言えますし、半導体とかと違って家でも使えますから、「これお父さんがやったんや」って言いやすいですし(笑)。
三軒 
昔から、「夜がある限りあかり事業は廃れない」と言われてきたけど、本当にそうやね。東京タワーみたいな高いところに上ると、街のあかりが一面に見渡せるでしょう。「ああ、このうちの何割はうちのランプかな」と思ったりして。それだけ愛着を持てるものが作れるのはありがたいことですよ。それに、点いてると単純にうれしいよね。
飯田 
そうですね。自分の作ったものが、こうやって実際に家々で使われて、結果的にCO2排出量削減にもつながって、様々なところで取り上げてもらって。自分たちがこの製品の効率を1Wよくすることが、社会的に大きな意義を持てるというのは、なかなかあることじゃないし、大きなやりがいにつながりますよね。
三軒 
世の中に貢献しているということは、素晴らしいことですからね。そういう製品に携われるということは、やっぱりありがたいことやね。
飯田 
ほんまにそうですね。

(2009年1月15日 談)

三軒正嗣さん 飯田史朗さん

ライティング社 社長インタビュー

パナソニック株式会社 ライティング社 社長 伊藤清文インタビュー

2005年にライティング社社長に就任して以来、電球形蛍光灯パルックボールプレミア、パルックボールプレミアQ(クイック)をはじめ、蛍光灯パルックプレミア、パルックプレミアLなど、ヒット商品を続々と世に送り出してきた伊藤清文。日本電球工業会会長としても、地球環境問題への取り組みを積極的にリードしてきた伊藤が、モノづくりの本質について、また、今後の地球環境保護への取り組みや経営戦略、そして、灯あかりのこれからについてじっくりと語った。

※このインタビューは2009年1月7日に行われたものです。

プロフィール

伊藤清文さん
伊藤清文
1951年広島県生まれ。早稲田大学法学部卒。1974年松下電器産業株式会社入社。電化調理事業部、クッキングシステム事業部、松下ホームアプライアンス社(当時)副社長、ライティング社社長を経て、現在、パナソニックエコシステムズ株式会社社長。日本電球工業会前会長。広島東洋カープと歴史書と、焼き鳥屋での社員との語らいをこよなく愛する。

優れたものは文化として生き残る

「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」。これは当社の綱領、つまり経営理念ですが、私は入社以来、創業者松下幸之助がなぜ「世界文明」ではなく「世界文化」と言ったのかがずっと引っかかっていたんです。文明と文化の違いとは、何なのでしょう?

おそらく専門的には明確な定義があるのでしょうが、私自身は、文明は滅びうるものであり、文化は生き残っていくものなんじゃないかと思っているんです。

たとえば、黄河文明は滅びたけれども稲作は残っているし、メソポタミア文明は滅びたけれどもパンは残っている。同様に、哲学や宗教の中でも優れたものは、少しずつ形を変えながらもずっと残っていますね。つまり、生活様式や思想、そうしたものの集合体が文明であり、その中で生き残っていくものが文化と言えるのではないでしょうか。ですから創業者は、「ずっと生き残っていく、文化たりうるモノづくりをしなさい」という意味合いを込めて、この綱領を作ったんじゃないかと、私は勝手に思っているんです。

灯りにも、「灯り文化」という言葉がありますね。そうした意味で、ライティング社の携わる灯り事業は、創業者が掲げた綱領を体現するのに非常に恵まれた分野であると言えるでしょう。

乾いた雑巾にも常に絞る余地がある

それでは、どうすれば文化の進展に寄与しうるモノづくりができるのか。これが非常に難しい。
私は以前、ホームアプライアンス社で副社長をしていましたが、担当のひとつだった炊飯器の新商品企画が、どう頑張っても出てこない年がありました。それで、懇意にしていただいていた戸田一雄(松下電器産業株式会社代表取締役副社長当時)さんに話を聞いてもらいに行ったんです。どうしても企画が出ません、雑巾を絞ってももう水が出ないんですと相談すると、戸田さんは「日本の湿度は何%ですか?」とお聞きになる。「だいたい5、60%でしょうか」と答えると、「だったらその乾いた雑巾も、まだ濡れてるやろ」とおっしゃるわけです。

なるほど、もう出てこないと思ってしまったら終わりだ、諦めるのはまだ早い、そう思って社に戻り、早速部下たちにその話をして、みんなでもう一度話し合いました。それまでもう何ヶ月も同じ議論をしているわけですから、そう簡単にアイディアは出てきません。ところが、カスタマーサービス(CS)をしていた部長がふと、最近あったクレームの話をし始めたんです。

東北地方の高齢のご夫婦から一升炊きの炊飯器がクレームで返品されてきたという話なんですが、そのご夫婦は普段ふたり暮らしなんだけれども、子どもや孫が帰省する時に備えて一升炊きを購入された。ところが普段は炊いてもせいぜい2合ほどですから、炊飯器のパワーがありすぎてお米が黄ばんでしまうことがあったようなんです。

そうか、それなら「小容量コース」という設定を設けて、一升炊きでも小容量で美味しく炊けるようにしよう、ということになり、翌年の新商品はそれで決まり。結果的にその商品は、お客様にも大変ご好評いただきました。

創業者も「物事を成し遂げるためには、成功するまで諦めないことである」という言葉を残していますが、どんなに苦しくても、諦めてしまいたくなっても、まだまだと思い直して知恵を絞る、こうした姿勢が非常に重要だということです。それからもうひとつは、いかにお客様のお困り事に耳を傾け、それを商品に反映させていくかということです。これは、会社の中にいるだけでは到底できることではありません。
自らがネットワークを持ち、積極的にお客様の中に入っていく姿勢を、産業人たる私たちひとりひとりが持ち続けていく必要があるでしょう。

誇りと自信を持って絶えず前進し続けたい

景気が大きく後退し、どの産業も苦しむ中、我々電機業界も大変厳しい状況にさらされています。しかし、だからと言って業績悪化を景気のせいにばかりしていては、物事は前に進みません。ものが売れなくなればなるほど、モノづくりに力を入れていかなければならない。しっかりとしたモノづくりをして前へ前へと進んでいけば、そのうちに必ずいい時がやってきますから。

私が常々思っているのは、私たち日本人は、製造業、モノづくりというものに対してもっと自信を持っていい、ということです。日本には、聖徳太子の昔から「和をもって貴しとなす」の精神が息づいています。和、つまり連携プレーを、日本人はそれだけ昔から大切にしてきた。そんな民族は、世界中探してもそうは見つかりません。

製造業は、開発、設計、製造、営業、そしてサービスと、まさに連携プレーの連続です。それぞれに役割は異なりながらも、そのどれもが充分な働きをしなければ、お客様にいい商品をお届けすることはできません。熱意を持って連携プレーができることは、日本人の非常に優れた特性であり、製造業がそうした日本人の強みを存分に活かせる産業であるということを、強調したいと思います。

さらに、日本人の特性としてあげられるのは、異文化を受け入れるけれどもそれを鵜呑みにはしない、ということではないでしょうか。

神様を信じていたところへ仏教が入ってきて、仏教は受け入れたけれども独自にたくさんの宗派を生み出した。すでにある素晴らしいものを活かして、よりよい商品を作る。これは、モノづくりの基本です。日本人は、そうした意味でもモノづくりに非常に向いていると言えるでしょう。

今はITや金融など、日本でも様々な業界が発展していますが、私自身、製造業に携わる者の自負として、日本の根幹を支えているのは製造業だと考えます。ですから、今の若い人たちにも、こうしたやりがいのある業界にぜひ興味を持っていただきたいと思いますし、何より製造業に携わる私たちが、自らに誇りと自信を持って、絶えず前進していきたいものです。

「人の和」が大きな流れを生んだ

先程申し上げましたように、お客様に喜んでいただける商品を開発するには、諦めずに粘り強く、小さな努力を積み重ねていくしかありません。少々手前味噌になりますが、開発者のそうした長年の努力が実った最たる商品として、電球形蛍光灯パルックボールがあげられるでしょう。これは、省エネ性能、寿命、立ち上がり、いずれの点においても、当社が世界に誇る商品です。しかし一方で、たとえ商品が素晴らしくても、それだけではこの商品がここまでお客様に受け入れられることはなかったでしょう。

「天地人」――孟子の言葉に、「天の時、地の利、人の和」というのがありますね。「天が与えたチャンスも優れた環境には敵かなわない。優れた環境も人の心の団結力には敵わない」という意味だそうです。実際のところ、事業がうまくいくためには、天も大事だし地も大事、人も大事で、全部大事なんです。
しかし、孟子が言うように最後はやはり「人の和」、人の力がものを言う。

それを実感させてくれた商品が、まさにこのパルックボールでした。世界的に地球環境を守ろうという天の時に、優れた商品という地の利があった。そして、人の和として、2007年来のあかり交換の働きかけがあり、また2008年5月に発足した省エネあかりフォーラムの存在があります。

伊藤清文さん省エネあかりフォーラムは、経済産業省および環境省の呼びかけにより発足した委員会で、京都議定書の目標であるCO2排出量6%削減の達成に向け、家庭部門の省エネ対策を一層推進するために設置され、家庭等で使用される一般的な白熱電球の生産・出荷に関し、2012年を目途に電球形蛍光灯などの省エネ性能の優れた製品への切り替えを目指しています。構成メンバーは多岐に渡り、製造メーカーだけでなく、販売事業者、消費者団体、および、関係団体の代表者も参加されています。

このように広い分野が一体となった取り組みを、私は他に知りません。省エネ実現に向け、メーカーももちろん努力をしてきたけれども、それだけでは国民のみなさまに声が届きにくかった。ところが今は、政府がその重要性を国民のみなさまに伝え、また、販売店さんが購入者にポイントをサービスするなど、普通では考えられない貢献をしてくださっている。本当にありがたいことです。

マイナス6%を真に実現するために

しかし、CO2排出量マイナス6%を真に実現するためには、一層の努力が必要です。日本国内における電球形蛍光灯の割合はまだまだ低く、白熱電球の半数以下に留まっています。中国では、国や地方自治体が購入補助金を拠出するなど、国をあげて電球形蛍光灯の普及促進に取り組んでいると聞きます。日本は日本なりの普及策をとるべきだとは思いますが、昨今の深刻化する地球温暖化問題を考えますと、官民一体となった更なる努力が求められていると言わざるを得ません。

さらに、日本では、電球形を含まない蛍光灯のうちの30%が、「一般型タイプ」あるいは「点灯管タイプ」と呼ばれる、旧来の低効率な蛍光灯となっており、効率の良い「インバータータイプ」と比べると、消費電力が3割ほど多くなっています。名前が同じ「蛍光灯」ですから、省エネに対する意識の高い方々の中にも、気づかずにお使いの方が多いのではないでしょうか。

日本の家庭における同タイプの器具は約1億5,000万台あると考えられていますから、それらをすべて「インバータータイプ」に切り替えることができれば、それだけで約300万トンのものCO2排出量を削減できる(※1)んです。これらの交換には器具の変更が必要ですから、すぐにすべてを換えるのは難しいと思いますが、可能なところから換えていくという流れを、出来る限り速やかに作っていくことが重要です。

こうして、身近なこと、ひとりひとりができることをひとつずつクリアしていけば、家庭の灯りだけでも大幅なCO2排出量の削減が期待できます。白熱電球の半分を電球形蛍光灯に換え、ハロゲンランプや蛍光灯等をより効率のよいものに換えるだけで、1990年比で実に7%ものCO2排出量が削減できるという試算もあります(※2)。

わが社も社会貢献を目指す一企業として、また、省エネあかりフォーラムのメンバーとして、地球環境保護にはこれまで以上に真摯に取り組んでいきたいと思っています。

(※1)『あかりの省エネ 提案 地球温暖化防止のために』社団法人 日本電球工業会
(※2)『照明における省エネ 提案〜地球温暖化防止のために〜』社団法人 日本電球工業会

海外に打って出る

当社における今後の経営戦略としては、まず、海外に打って出たいと考えています。

世界中様々な場所で、様々なランプが製造され使われていますが、日本のランプほど省エネ長寿命であり、また安全性が高いものは、他にありません。もちろん、現在のコスト力では、世界ではなかなか通用しないでしょう。普及させるためには、数多くの厳しいハードルをクリアしなければならないと思います。しかし、地球環境保護への貢献性の高さを考える時、当社の商品を世界規模で普及させることは、確実にお客様のメリットにも繋がりますし、余地は充分にあると考えています。

市場としては、中国・アジア・欧州、まずはこれらの地域を視野に入れ動き始めています。中国では2008年10月、北京市主催の北京国際省エネ環境展示会に出展し、パナソニック独自に省エネフォーラムも開催して、省エネ照明の提案も行いました。こうした取り組みの結果、当社のHf蛍光灯が中国政府による省エネ推奨品番に加えていただけることになり、中国における普及活動のひとつの足場を築くことができました。今年は、電球形蛍光灯も推奨品番として加えていただけるよう、積極的な商品開発をしていきたいと考えています。

昨今の世界的な地球環境問題への意識の高まり、そして、オーストラリアや欧州、日本などにおける白熱電球廃止の流れ、また、オバマ政権の発足による、世界のCO2総排出量のうち実に22%を占めるアメリカ(※3)の環境政策転換など、海外も今、日本同様、環境問題にフォローの風が吹いています。

わが社の世界進出は、まさに緒についたばかり。蛍光灯を製造する、海外を含めたすべての工場で鉛フリーガラスを使用するなど、当社の製品は、効率面以外でも地球環境保護に対し世界に先駆けた取り組みを行っています。これらの強みを武器に、「天の時」を充分に活かして、一層の飛躍を図りたいものです。

(※3)『エネルギー・経済統計要覧2008年版』EDMC

豊かな灯りのご提案を

国内に目を向けますと、まずは、パナソニック電工などの照明器具メーカーとのコラボレーションによる、省エネリニューアルのご提案に力を入れていきたいと考えています。

また、省エネ、長寿命といった効率化だけでなく、「家庭の灯りをどのようにデザインすればより豊かな灯り空間が得られるのか」をご提案することも重要になってくるでしょう。

豊かさイコール明るさだった時代は終わりました。リビングにはどんな灯りがあればくつろげるのか、ダイニングはどんな灯りにすると料理がおいしく見えるのか、洗面台ではどうすれば肌色が美しく見え、和室や寝室ではどうすれば落ち着くのかなど、日本の灯りがお客様に本質的なご満足をいただくにはまだまだ不充分であり、より成熟した灯りの提案が必要です。

豊かな灯り空間とは、豊かな心をも演出しうるものです。そして、豊かな灯り空間を演出するには、明るさ、色、配置、すべてが快適にデザインされる必要があります。

伊藤清文さん 当社も、灯りの未来を担うメーカーとして、家庭や店舗、事務所などにおける、豊かな灯り空間づくりのご提案を、パナソニック電工やパナホームとより一層の連携を図りながら、積極的に行っていきたいと考えています。

灯りは文化ですから、効率だけを追求しても本当の意味でお客様の暮らしに貢献することはできません。

豊かさを提供しうる、文化として受け入れていただけるようなぬくもりのある灯りをいかにして創っていくか。これは、商品の機能が充分に成熟した今こそ、積極的に取り組まなければならない課題であると言えるでしょう。

さらなる省エネとエコを実現しながら、お客様に灯りの豊かさをいかにご提供できるか。これをライティング社のこれからの使命ととらえ、より一層社会に貢献できるあり方を、社員一丸となって追求していきたいですね。

(2009年1月7日 談)

※このコンテンツは、2009年にパナソニック株式会社 ライティング社より刊行した書籍『未来を照らすあかりを求めて』(非売品)の内容を抜粋・再編集したものです。

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