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フェリチンと山下博士 タンパク質でつくる半導体 「もっと効率的に、もっともっと小さな部品をつくる方法はないものか…」 そこでパナソニックの研究者たちは、バイオの世界に乗り出した! 生体内で作り出されるわずか数ナノメートルのタンパク質「フェリチン」が、 大容量メモリーデバイス誕生のカギに!? バイオの世界で出会ったごくごく小さなモノの、大いなる秘密にせまります!

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2008年9月16日公開
もりやまかずみち氏 写真
ライター:
森山 和道
(もりやま かずみち)

電子デバイスの研究者、やわらかいフェリチンと出会う

「電子デバイスの世界の人が生物の世界をのぞいたら、使えそうなことがいっぱいありますよ。デバイスの人は生物なんか関係ないと思っている。でもそうじゃないんです。見方を変えれば、使えるネタはいっぱいあります。だから融合研究に意味があるんです」。

 常識に囚われていては見えないことがある―。そう語る山下一郎さんは笑顔が魅力的な研究者だ。生物のタンパク質の性質をうまく利用することで、これまでの半導体製造技術の壁を乗り越えることができるという。しかも将来は、「液体にジャボッと漬けるだけ」で半導体の機能部品を作ることができるようになるのではないかと語る。タンパク質にはそれだけのポテンシャルがあるという。これまでの半導体製造とは全く違った世界だ。

やましたいちろう氏 写真

やました いちろう
松下電器産業株式会社
先端技術研究所
主幹研究員 理学博士


山下さんが見せてくれたのは赤茶色の液体である。なかには「フェリチン」という鉄を抱えたタンパク質が入っている。今回の話の主役だ。

フェリチンのサイズをイメージしてみよう

フェリチンの大きさは、おおよそ12nm(ナノメートル)。もちろん目には見えない。

ナノメートル:
ナノメートル(nm)は長さの単位。「ナノ」とは10億分の1という意味で、1nmは10億分の1m(メートル)、つまり100万分の1mmとなる。

●フェリチンのイメージ

フェリチン イラスト

ちなみに、原子一つが0.1〜0.2nmくらいだ。ウイルスは数十nmくらい。バクテリアになると1000nm(1μm / 1マイクロメートル)くらいの大きさになる。

●フェリチン サイズのイメージ
フェリチン サイズのイメージ

フェリチンは原子よりはずっと大きいが、ウイルスよりは小さい。それも当然で、自然の状態のフェリチンは細胞のなかにあるのだ。役割は余分な鉄を蓄えておくことだ。人間はもちろん、動物や植物、細菌にまであるそうだ。

山下さんたちは、この小さなタンパク質を使って、新しい半導体デバイスを作ろうとしている。

生き物のタンパク質は遺伝子から作られる、いわば、やわらかい物質だ。熱にも弱い。それがどうして、硬い材料でできた半導体の世界に繋がるのだろうか。しかもそれが、前人未踏の技術となるかもしれないというのだ。

製造プロセス、その限界を超えたい!

ここでいったん、現状を振り返っておこう。

現在の半導体は、リソグラフィー(露光)技術を使って作られている。簡単にいえば印刷技術のようなものだ。光を使って回路を焼き付けるのである。コンピュータの性能向上やメモリの大容量化が求められるに連れて、さらに細かい回路が必要とされている。半導体技術はこれまでそれに応えてきた。いまの半導体回路の線幅は数十nmだ。

●現在の半導体デバイスの作製技術
  (フォトリソグラフィー法)
フォトリソグラフィー法 イメージ

だがそろそろ、技術の限界に近づいている。光は波としての性質を持っている。その波長以下になると原理上、焼き付けが難しくなるのである。一言でいえば、ぼやけてしまうのだ。

また別の問題もある。ものすごく小さい、極微の世界では普通の大きさの世界とはまた違った現象が起き始めるのだ。原子・分子の大きさの世界では、日常の常識が通用しない。

たとえば、コップの中に入れておいた球があるとする。コップの中の球が勝手に外に出ることはありえない。だがミクロの世界では、閉じこめておいた球がコップをすり抜けて外に出てしまうようなことが起きる。この球を閉じこめておいた状態と、出て行った状態との違いでデータを記録していたとしよう。閉じこめたと思っていた球が勝手に出て行ってしまっては、データの記録そのものが変わってしまう。

このようなミクロの世界のことを研究する学問が「量子力学」だ。量子力学の世界は日常世界とはまったく異なるのだが、現在の電子デバイスは量子力学を考慮に入れて、利用できる部分は積極的に利用することで設計・製造されている。

原子核の周囲を回り、金属のなかを自由に動き回ったりしている電子。金属をどんどん小さくしていくと、この電子でさえ、やがて動きを制限される大きさになる。その結果、不思議なことが起き始める。

金属の粒のなかに電子が入れる量は決まっている。それを一つ一つ数えられるようになるのだ。また、電子には粒としての性質と同時に、波としての性質がある。波が振動するためには端が必要であり、どんな形でも振動できるわけではない。だが入っている箱が小さくなると振動モードが決められてしまう。

●金属の粒が小さくなると・・・
 中の電子の動き方も制限される。
電子 イラスト

これらの効果が組み合わさり、小さな金属の粒のエネルギーが、電子が一つ二つと入っただけで変化するようになる。このような小さな金属の粒を「量子ドット」という。

この量子ドット、うまく使えば、ものすごく小さなメモリやトランジスタ、レーザーの発振器、ものすごく感度のいい光検知器を作ることができると考えられている。

だが、量子ドットはとても小さい。大きさは数nm。
これだけ小さな粒となると、均質なものを大量に作るのも大変だし、並べるのも難しい。ちょっとしたことで粒子同士は互いに引きあってくっついてしまう。これでは、大量に、設計図どおりに精密に並べた上に配線する必要のある電子デバイスにはなかなか使えない。

さて、どうするか―。現在も様々な方法で研究が進められているが、色々と課題がある。
以上が現状だ。

そこで救世主、フェリチンの登場

もう一度、フェリチンの話に戻ろう。
フェリチンは、山下さんの言葉を借りると「角がとれたサイコロ」のような形をしている。24個の棒型ブロックが寄り集まって袋のような形になっている。中身は空洞である。ここに、鉄を貯める。それが自然の状態でのフェリチンの役割である。だいたい、3,000個〜4,500個くらいの鉄原子が、酸素と結合した状態で、フェリチン内部にキープされている。

●フェリチンをカットしてみると・・・

フェリチンの中身は空洞。この中に鉄を溜める。

フェリチンを作るタンパク質自体が、鉄を集めて固める性質を持っているのである。このような、生物が無機物を析出する働きを「バイオミネラリゼーション」という。歯や骨、貝殻などを作るのもバイオミネラリゼーションだ。生物は、無機物の性質と有機物の性質をうまく組み合わせることで、生命活動を営んでいるのだ。これを利用させてもらわない手はない。

フェリチン内部の鉄の粒子の大きさは7nm程度。ちょうど「量子ドット」として働く大きさだ。しかも大きさも品質もほぼ均質。ナノサイズの材料が大量に得られることになる。

析出(せきしゅつ):
いろいろなものが溶けた溶液内で、ある物質が固まり、固体として出てくること。
鉄の粒子 イラスト

おまけに、フェリチンには自己集合する性質があり、それをある程度コントロールすることで、二次元平面にきれいに並べることもできる。並べてしまったあとでタンパク質を除去すれば、均等にならんだ量子ドット構造(つまり、半導体のベースとなる基板)ができあがることになる。

●フェリチンの自己集合する性質を利用することで・・・
基板に集まるフェリチン イラスト

半導体のベースとなる基板上に、あらかじめ六角形のパターンをいくつも作っておき、その上にフェリチンを吸着させる(条件が整えば、フェリチンは自然に集まってくる)。


基板に整列したフェリチン イラスト

六角形のパターンを認識し、きれいに整列したフェリチン。

●電子顕微鏡写真で見てみると・・・・

フェリチンの電子顕微鏡写真

六角形のチタンパターン上に並んで吸着しているフェリチン群が見える!

ただし、酸化されているので電気がとおらず、このままでは半導体の材料には使えない。だから還元して金属に戻してやらなければならない。また、タンパク質は塩(えん)がなければ構造が維持できないと一般的に言われている。塩(えん)とは塩(しお)のことではなく、酸とアルカリの化合物のことだ。だが半導体として使うためには動作を不安定にする原因である不純物やアルカリイオン(ナトリウムイオンやカルシウムイオン、カリウムイオンなど塩が溶けたもの)を綺麗に取り除く必要もある。つまり、量子ドットを綺麗に並べたあと、不純物を取り除いた上で、金属に戻す必要があるということだ。

フェリチンのタンパク質を除去 イメージ
パターンに収まったフェリチンに熱処理を加え、タンパク質だけを除去する。

山下さんたちはこうした様々な技術的課題を乗り越え、東北大学・寒川研究室、東工大の原研究室、奈良先端大の冬木研究室らと共同で、極微のメモリを作ることに成功した。

具体的な「レシピ」を追ってみよう

フェリチンは大腸菌に作らせる。もともと馬の脾臓に由来するものだが、天然のフェリチンをそのまま使っているわけではない。遺伝子工学を使って、金属原子を取り込みやすく、かつ基板に吸着しやすいように改造した遺伝子改変フェリチンである。

馬の脾臓にあるフェリチンを、遺伝子工学を駆使した遺伝子改変フェリチンに加工!
フェリチン入り溶液 写真

天然のフェリチンが取り込むのは鉄だが、山下さんたちは酸化コバルトやニッケルなど様々な金属原子を取り込ませて並べることに成功している。
現在の技術ではこのような「分子設計」は「自由自在にできる」そうだ。また、フェリチンの一部に別の分子を貼り付けることもできる。

フェリチンに金属を取り込ませるのは液体のなかだ。最初に見せてもらったフェリチン入りの溶液はこの状態である。赤く透き通って見えていることも重要で、フェリチン同士が凝集して粒になっていないことを示している。

この溶液を濾過することで、溶液中のアルカリイオン濃度を150ppt、すなわち100億分の1以下に除去する。常識と異なり、塩を抜いてもタンパク質は問題なく構造を維持できることが分かった。

150ppt:
一兆分の150。pptはparts per trillionの略で、一兆分のいくらかを表す単位。
●フェリチンを使ったメモリ作製過程
メモリ作製過程 イメージ

こうして作られた「金属内包フェリチン」を、表面を修飾したシリコン基板の上に並べる。

するとフェリチンは綺麗に並ぶ。
(チタンのパターンをこれまでの半導体技術で作り込み、その上だけを狙ってフェリチンを貼り付けさせることもできた。)

それをUVオゾン処理によってタンパク質だけを取り除く処理をする。さらに残った酸化物の金属コアを還元性の気体のなかで加熱処理をすることで還元する。すると、金属粒子のドットができる。

ドットがお互いにくっつくことなく並ぶのは、オゾンで溶けて崩れるタンパク質が、うまい具合に周囲をコートしているからではないかと考えられているが、よく分かってない。現代の技術では何が起こっているのか、なかなか見ることも触ることも難しい極微の世界の話なのだ。

「10nm以下になった途端に本当に世界が変わるんです。見るのも触るのも、けたちがいに難しくなります」(山下さん)

こうして作られた金属ドットのパターン上に、シリコン酸化膜や電極を普通の半導体プロセスで作ってやる。ナノ粒子への実際の電荷注入特性を確認した上で、フローティングゲートメモリを作成した。

フローティングゲートメモリとは、身近なところではSDメモリーカードなどのフラッシュメモリに使われているトランジスタだ。トランジスタは、ソースとドレインと呼ばれる二つの電極の間の電子の流れを「ゲート」でコントロールしている。フローティングゲートメモリはゲートが2層構造になっていて電荷を保持する。電源を切ってもメモリが保持できることが特徴だ。

●フローティングゲートメモリのイメージ

フローティングゲートメモリ イメージ
電源ON時には電子がソースからドレインへと流れる。

フローティングゲートメモリ イメージ
電源OFF時には電子の流れはなくなるが、ゲートの中に電荷が保持される(つまりメモリが残る)。

この電荷保持領域に、フェリチンを使って作った酸化コバルトの量子ドットを使ったところ、実際にフローティングゲートメモリとして動作することが確認された。実験結果からメモリ保持特性は10年、書き込み・読み出しの耐久性も10万回以上耐えられると推定されたことから、メモリとして実用性もあると考えられた。

●将来は、切手サイズのメモリが、ブルーレイディスク(50GB)20枚分の容量に?
将来のメモリ イメージ

また、フェリチンを使って、電子が一個だけ入る構造を作り、電子一つの出し入れだけで動作する「単電子トランジスタ」の作成にも成功している。電子一つしか使わないのだから、実用化されれば大幅な低消費電力化が可能になる。これらの成果によって数nmの超微細構造の半導体が形成可能であることが分かった。たとえば将来は切手サイズで1テラバイトの記憶容量を持つ大容量メモリができるようになるという。切手サイズで1テラとなると、いま市販されている最大容量である2層ブルーレイディスク(50GB)の20倍の容量が指先サイズにおさまることになる。

山下さんのモノづくり魂、その源にあるもの

やましたいちろう氏 写真

山下さんは、フェリチンを使った今の研究の前には、バクテリアの「べん毛モーター」の研究をしていたという。バクテリアとは細菌のことだ。大腸菌など細菌の電子顕微鏡写真を見ると、毛のようなものが生えていることがわかる。それが「べん毛」だ。バクテリアはべん毛を使って動いている。

べん毛の根元を見ると、驚くべきことがわかる。まるで人間が設計したモーターのような構造になっているのだ。しかもこのモーターは、構成分子を混ぜるだけで出来上がる。つまり、材料を入れてかきまわすだけで、勝手に組みあがるのである。このような生体分子の仕組みを「自己組織化」という。自然界の生物は、このような仕組みを巧みに利用した「超分子」がさらに組み合わさって生きている。「超分子」とは複数の分子がゆるく組み合わさることで、単独の分子では発揮できないような機能を持つ分子複合体のことだ。生物は超分子の集合体である。

べん毛モーター:
べん毛とは、バクテリアなどが持っている毛状の器官。べん毛を持つ生物は、これをまるでモーターのように使って泳いだり、方向転換したりする。べん毛モーターは、生物の持つ回転システムとして最初に発見されたものだ。
べんもうモーター 写真

だが、松下電器に入社したときの山下さんの研究テーマは無機材料の磁性構造やその応用、つまり電子デバイスに関わるものだった。そうした「おかたい」世界の研究者が、なぜ生き物であるバクテリアを扱う仕事に入ったのだろうか。

「一つは、限界を感じていたんです。ずっと電子デバイスをやっていたんですけど、それは言ってみれば『すでに誰かが手がけた領域』です。自分が考えた自分の仕事ではない。そのなかでなんとなく飽きたらなくて、新しいものをやりたいと考えていました」

時代はバブルまっただ中。1985年のころの話だ。日本の景気は上り調子だったが、山下さんは、自分が進むべき道を考えあぐねていた。だがそのときに、上司から「新しいものをやりたいならこんなのどうや」と声をかけられた。

それがバクテリアのべん毛モーターの研究をした、科学技術振興事業団・創造科学推進事業の「宝谷超分子柔構造プロジェクト」だった。1986年から5年間行われた、生物の仕組みをタンパク質分子一つ一つ、ナノレベルで解き明かすための研究プロジェクトだ。

自己集合でナノ構造ができる。ナノレベルの世界を相手にしている研究者ならば面白いなと思わない人はいない。だが山下さん個人にとっては、これまで関わってきた仕事とはまったく違った分野だ。電子デバイスとどう繋がるかも分からない。
どうするか。

「いつまでに返事しなくちゃいけませんか」と聞いた山下さんに、上司はこう答えた。
「そのコーヒーを飲み終わるまでだよ」

それで、とにかく新しいことをやってみようと決めた。

「それと、背中を押されたのは、やっぱり『ここにいちゃだめだ』と思ったことですね。そういう意味では『えいや』でした(笑)。いろんな出会いの妙と、本当に『瓢箪から駒』というか……。たまたま、いろんな条件が集まったんですよ」

異分野に対し、オープンハートでいること

こうして、当時アメリカから帰国直後の難波啓一氏(現大阪大学教授)のもとでバクテリアのべん毛モーターの研究を進めていくことになった山下さんは、それから半年ほどで成果を出すこととなる。それまで長年取り組んでできなかった人もいた中で、べん毛の繊維を液晶化することに成功したのである。成果は論文となり、国際的に評価の高い雑誌「Nature」に載った。

「本当にラッキーなことだったんですが、私は生物を知りませんから、いままでの技術、つまり無機材料の感覚で生物を扱ったんです。それは何かというと、できるだけピュアにしていこうということです。タンパク質の研究者の方は、実験で生理食塩水や緩衝液を使われるのが常ですが、私は、まず水からいこうと始めたんです」

このことは、山下さんにとっても貴重な成功体験となった。

やました氏ともりやま氏 写真

「異分野の研究者同士が出会い議論をするときは、それぞれの研究分野のバックグラウンドを背負って話をしているわけです。ですから、同じ現象・事象でも全く違う角度、違う方向から見ています。そのため、知らず知らずにその分野の常識に染まっている研究者に対し、まったく別の畑の研究者が比較的簡単に研究テーマの解決策を発見する場合もあるんですよ」

そのためには研究者は議論するときは「オープンハート」であるべきで、「互いに足を引っ張るような議論の仕方は避けるべき」だという。

べん毛モーターの研究を通して、山下さんはタンパク質の持つポテンシャルを知った。だが、もともと電子デバイスの研究者で、このままじゃ駄目だと思って新しい研究分野に飛び込んだ山下さんには、「ここもまた自分の世界ではない」という気持ちがだんだん沸き上がってきた。当時を振り返って山下さんはこう語る。

「べん毛の構造の研究が本当に自分のやりたいことなのか。そうじゃない。ナノの構造は気になっていました。ですが何か違う。何か、自分の世界を作りたいと思っていました。飢えていたんでしょう。自分の新しい発想の世界を作りたいと」

そんなとき、埼玉県和光市にある理化学研究所で永山先生(当時東京大学)のフェリチンに関する講演会を聴いていたときのことだ。ふと、フェリチンを使えばこれまでにない電子デバイスができるのではないかと思った。1997年のことである。

フェリチンの存在そのものは、電子顕微鏡で組織標本を観察するときのマーカー(標識)として使われていたので知っていた。並べるときれいな二次元結晶を作ることもできるし、面白いなとは思っていた。

いっぽう、否定的な考えも頭には浮かんでくる。酸化物のなかに埋めた酸化金属ドットをちゃんと還元できるのか。半導体としてちゃんと動作するものが作れるのか―。そんなとき、ある研究者からこう言われた。

「あまり考えても仕方ないよ。単電子の世界は、多数の電子やホールを制御する普通の半導体の世界と違って、意外と形さえできたら動いちゃうよ」

この言葉に背中を押されて、山下さんは「そうか、あまり考えていると手が出せなくなるな。まあやってみよう」と考えた。

もちろん企業の研究である。やるからにはそれなりに戦略的にやらなくてはならない。そもそも、まずは何かを作らなければ誰も信じてくれない。1、2年かけて、大学時代の先輩にあたる奈良先端大の冬木教授に相談し、フローティングゲートメモリで行くことを決めた。その後の展開は既に述べたとおりである。

もともとのバックグラウンドである「電子デバイス」、そしてバクテリアのべん毛モーター研究で培った「バイオ」、これら両者のテクニックと知識―。それらがなければ今回の成果はなかっただろう。

多くの研究者は、それぞれの専門分野における常識の世界に囚われている。例えばフェリチンの研究者はフェリチンしか見ていない。いっぽう、電子デバイスの普通の研究者は、タンパク質など眼中にない。だが、少し見方を変えさえすれば、そこには大きな可能性があるのだ。山下さんの場合は、世界の見方を変えた原動力は「自分自身の世界を作りたい」という「飢え」、ハングリーさだったわけだ。

バイオナノプロセス研究施設 写真
奈良先端科学技術大学院大学 バイオナノプロセス研究施設

山下さんには奈良先端科学技術大学院大学の物質創成科学研究科客員教授という肩書きもある。奈良先端大学には「バイオナノプロセス研究施設」があり、大学院生たちを相手に講義も行っている。

「互いのバックグラウンドの交換が、新しい研究・産業のフロンティアを切り開く原動力になる」、そして「融合研究を理解できる人を育てなければいけない」と考えている山下さんは、「新しい世界を作る」ことの重要性を強調する。日本の技術競争力を高めるためにも、人類の問題を高いレベルで解決するためにも、「融合研究」が重要であり、研究者は自分の領域から出て、新しい分野へもっと踏み出していくべきだと熱く語る。

やましたいちろう氏 写真

「日本にはタコツボ型の研究が多くて、そういうところには強い。ですが、先生の仕事を継いでいては、先生のやっている先のことしか展開はないんですよ。日本はそれが多いから、競争力のある研究が難しくなっていると思うんです。新しい世界を作って、そこに付加価値をつけていく。そういう世界を見つけないとこれからの産業はやっていけないと思います。新しい領域で産業を作らなければなりません」

バイオと半導体、その未来像

山下さんは、今回の研究における重要拠点のひとつとして、奈良先端大学の「バイオナノプロセス研究施設」を挙げた。「この施設ができてから、研究が一気に進みましたね」と、顔をほころばせる。

研究を加速した要素として、「バイオの研究者と、半導体、ナノテクの研究者達がお互いに顔を突き合わせて議論できるようになった」ことが大きいという。だが最初はお互いに言葉や概念が異なるため大変だったそうだ。「純度」に対する認識一つ取っても、バイオと半導体では桁が全く異なる。例えば、バイオの世界では95%程度でも純度が「高い」と言われる。だが半導体の世界ではそんなものは論外。99%以上が当たり前だ。だがそうした認識の違いを乗り越えれば、互いにどんどんアイディアが生まれてくる。
たとえば山下さんたちはフェリチンを何層も積み重ねて、ナノレベルで厚さをコントロールされた「ナノ多層膜」を作ることにも成功している。こういった新しいチャレンジにより、3次元の次世代電子デバイスができるかもしれない。

バイオ材料と電子デバイス材料の接点で生まれた今回の技術。勝手に自己集合する生物分子の「自己組織化」をうまく使った技術である。自己組織化できる理由は、材料の構造そのものにそういう性質が埋め込まれているからだ。あらかじめ組み合わせ方が決まっているブロックのようなものである。

研究組織や人作りも、また同じかもしれない。何のモチベーションも無い人たちを混ぜ合わせたところで何も起きはしない。だが、反応するポテンシャルを持っている人たちを適切な環境に置くことができれば、これまでにない組み合わせによる新しいモノが生まれる可能性がある。

将来はどんなものができるだろうか。細胞のなかの分子を見ると、様々な形のものがある。中空のワイヤー状のもの。バルブのような構造物。べん毛モーターのように回転するもの。それらの内外に金属を析出させて狙った場所に配置させることができたら、トランジスタだけではなく配線済みの回路を作ることもできるようになるかもしれない。将来はぐにゃりと曲げられるペラペラのコンピュータやケータイ、もはや何テラバイトあるのかなど考えずにすむ大規模な集積メモリなどが、これまでにない製造プロセスで生み出されるのかもしれない。

植物の写真
植物の光合成など、生物の世界にはナノテクのヒントがいっぱいだ。

だが、できればさらに先を期待したい。生物の体はタンパク質で作られたナノテクの塊だ。たとえば植物の光合成系は、単電子デバイスそのものである。植物は光のエネルギーを使いこなすために、金属を埋め込んだタンパク質分子をアンテナ状に機能的に配置して、光合成を行っている。エネルギー効率は抜群に高く、無駄な熱も出さない。おまけに勝手に生えてくるのである。現在の高度な技術でもまだ作り出せないようなものが、そこらの土くれからどんどん生まれてくるのだ。バクテリアのべん毛モーターにしても、水素イオンの濃度勾配で回転すると考えられているものの、バクテリアの中と外の水素イオン濃度はほとんど差がない。実際のところ、どうして回っているのか詳細はまだ分かっていないのだ。生物は何十億年も前からナノテクを使いこなしてきたのである。

人はいま、生物分子の一部の機能を使い始めたばかりだ。だがこれまでの技術の枠組みとはまったく違った可能性が生物のなかには広がっている。生物に、本当の意味で学ぶことができれば、これまでにない原理の機械や電子デバイスを作り出すことができるだろう。生きた電子デバイスや、電子デバイスを埋め込んだ細胞など生物と人工物とのハイブリッドや、あらゆる物品に生物のような賢さが埋め込まれた世界も夢ではない。

山下さんたちの今後に期待する。

やました氏ともりやま氏 写真


(おわり)


森山和道 (もりやま かずみち)  プロフィール
フリーランスのサイエンスライター。1970年生。愛媛県宇和島市出身。1993年に広島大学理学部地質学科卒業。同年、NHKにディレクターとして入局。1997年からフリーライターに。現在、科学技術分野全般を対象に取材執筆を行う。共著書に『クマムシを飼うには』(地人書館)。
http://moriyama.com/