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熱志のレゾナンス
第1話 喝采
第2話 決起
第3話 旅立
第4話 過忙
第5話 光明
第6話 歓喜
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第5話 光明
  
統一チームができて、夏が過ぎ、秋がやってきた。2002年モデルの商品名もDVX100に決定した。Xには、私たちXジェネレーションが開発した未知数の可能性を持つモデルという意味を込めた。相変わらずプロジェクトのメンバーたちは、忙しい日々を送っていた。しかし、課題のDVフィルムメーキングという新たなターゲットへのアプローチを実現する具体的な仕様は、いまだに見つかっていなかった。時間はどんどん過ぎていく。私たちに残された時間は限られていた。早急に答えを見つけなければならない。プロジェクトチーム内で何度も意見を交わしてみたが、決定打を見出せずにいた。
 
そんなある日、海外営業米州チームの米長さんが、「なにかのヒントになるかもしれない」、と海外情報を届けてくれた。チームには参加していなかったけれど、ブレーンストーミングのメンバーだった彼は、いつもこのモデルを気にかけてくれていた。米長さんによると、この秋、ヨーロッパではさまざまな放送局用映像機器のショー、アメリカではresfestという映像フェスティバルが開催されるという。「きっとヒントが見つかるに違いない…」 期待を抱いて、私たちは現地へ向かうことにした。
 
2001年9月。企画代表として私はひとりヨーロッパへ飛んだ。設計代表の望月さんとデザイン代表の三木さんはふたりでアメリカに出かけた。私は、放送局を中心に数ヶ国を回り、映像機器ショーなどでもヒアリングした。しかし、期待に反して特に得るものもなく1週間後に帰国した。アメリカに渡ったふたりは、私より3日遅れて戻ってきた。
 
出社したふたりの表情は輝いていた。「石井くん、すごかったよ。」 望月さんが興奮気味に第一声をあげた。「ロスはね、そりゃ熱かったよ。」 三木さんが続ける。「ロスのresfestという映画祭でヒアリングしてきたんだけど、その盛り上がりといったら、今まで僕が見たことないほどで…。制作者も観客もずっと興奮しっぱなしでね…」 会場で一番ホットになっていたのは、この二人だったのかもしれない…、そう思わせるほどの熱のこもった口調だった。「この映画祭は、デジタルで撮られたショートフィルムという短尺の作品を集めて上映しているんだけど、その撮影にけっこうデジタルビデオカメラが使われていたんだ。それで、僕らが持っていっていたモックアップを制作者たちに見せながらコンセプトなんかを説明したんだけど、みんな“クール!”とか“グレイト!”とか、絶賛してくれて…」 私は、ふたりからDVフィルムメーキングの最先端にいるクリエイターたちのリアルな声を興奮しながら聴いていた。
 
望月さんは、今回のヒアリングで24Pモードが「とんがり」になることを確信したという。多くのユーザーが24Pモード搭載のビデオカメラを熱望していると。それは永年の経験に裏付けられた技術者の確かな目で見た実感だった。24Pモードは、HDというハイビジョン対応のビデオカメラ、つまりハイエンドの放送局用機器にしか搭載されていないテクノロジーだ。技術的な難しさとコストの面から、それを業務用ビデオカメラに搭載するなど誰も想像さえしなかった。その難易度の高さを一番知っているのは、技術者である望月さんだった。しかし、彼はあえてこの機能を提案した。なにがなんでもDVX100に24Pモードを搭載したい。より高いハードルを求めてやまない望月さんの技術者スピリットがヒートアップしていた。
 
確かに映画業界にはデジタル化の大きな波が到来していた。ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ エピソード2』は、全編デジタルビデオカメラで撮影されていた。当社もVARICAMというシネマ対応のビデオカメラの開発に着手していた(VARICAMは、のちに劇場映画『突入せよ!浅間山荘事件』の撮影ビデオカメラとして採用されることになる)。これらのシネマ撮影用のビデオカメラに共通した技術が24Pモードである。映画は1秒に24コマの映像で撮られる。一方、ビデオカメラはテレビ技術に基づいた1秒間60フィールドの映像で撮影される。このコマ数の違いが映画とビデオの画像の差異を生み出す大きな原因のひとつとなっている。ビデオの画像をよりシネマライクな情緒あふれるものに近づけるために考え出されたのが、1秒に24コマの映像で撮影するという24Pモードなのだ。これを業務用ビデオカメラに搭載すれば、きっとresfestにエントリーするような映像クリエイターたちは注目するに違いない。アメリカに次ぐ映画大国の日本のことである。ショートフィルムの市場も確実に拡大していくはずだ。「業務用初の24Pモードを搭載したビデオカメラ」の開発。それは、DVフィルムメーキングを実践する映像クリエイターたちをその気にさせる、絵づくりのできる画像が撮れるビデオカメラづくり。ついに、私たちの着地点が見えた。
 
着地点が見えたことで開発は加速度的に具体化していった。「手持ちできる1.9kg・高感度・高画質・超ワイドレンズ・プログレッシブ」という基本仕様に「24Pモード・シネライクガンマ」という「とんがり」を加えた。ほとんどの技術が、応用はできても流用はできないものばかりだったので、DVX100のオリジナル技術として開発する必要があった。残された時間は少なかったが、チーム内は、「ゴールまで全力疾走を続けよう」という気迫に満ちあふれていた。
 
DVX100用の24Pモード開発のため、研究所の浅田さんがアドバイザーとしてチームに加わった。彼はVARICAMのバリアブルモードの開発担当者だ。DVX100用の24Pモードを完成させるためには、彼の知識と経験がどうしても必要だったのだ。浅田さんには、この機能をもっと一般に広めたい、という強い想いがあり、以前から望月さんに24Pモード搭載の業務用ビデオカメラ開発を熱心に提案していた。そんな経緯もあって、プロジェクトへの参加を快諾してくれた。しかし、そんな彼にしても、この24Pモード開発は困難な作業だった。1秒24コマで撮影した映像を1秒60フィールドの画像に変換する。24という60の半分でもない中途半端な数値への変換には複雑で精密な回路の設計が求められた。
 
いくつかの紆余曲折はあったものの、浅田さんの叡智によって、ついに回路の設計図は完成し、実制作を担当する望月さんに委ねられた。彼は、足繁く研究所に通い、浅田さんのアドバイスを受けながら、丁寧に回路を仕上げていった。24Pモードには繊細な駆動系のコントロールとCCDの連動が求められる。そのタイミングを合わせるのには何度も試験を繰り返し、マッチングを図るという忍耐力が必要だった。彼は徹夜も厭わず、休日も返上して開発に没頭した。格闘すること3ヶ月。ついに1秒24コマの画像は美しく記録されるようになった。業界初の快挙は、まさに彼の技術者スピリットが成し遂げた金字塔に他ならない。
 
DVフィルムメーキングにフィットするもうひとつのポイント、映画のようなトーン(諧調)を実現するシネライクガンマ。そのお手本はVARICAMにあった。しかし、相手は放送局用機器。根本となるCCDの性能がまるで違う。そんなスペックのハンデを乗り越えてガンマカーブをシネマライクに仕上げなければならなかった。担当の三村さんは、自分がこれだと思ったカーブができるまで、私にサンプルを見せようとはしなかった。号を煮やした私は彼のところに飛んでいった。データフォルダを開くと、数え切れないほどのサンプルが納められていた。「もう、できてるじゃないですか!三村さん」 私は歓声を上げた。「まだなんだよ。まだ納得できてないんだよ」と彼はたしなめた。三村さんはパターンを見るだけでなく、フィルムやDVD、テープで鑑賞した100本以上の映画や自分で撮影した映像を参考にして、サンプルをチェックした。そして自ら何度もダメ出しをした。私は待つほかなかった。私の存在自体が彼にプレッシャーを与えているのではないかと心配だった。永遠に続くかと思われるようなダメ出しの後、彼が自らにOKを出したのはマスプロまであと2週間というギリギリのラインだった。
 
24Pモードやシネライクガンマはもちろんだったが、それ以外の基本的な仕様も、想像していた以上に厳しい目標だった。まずレンズ。私たちの目指すワイドコンバージョンレンズのいらない超ワイドレンズは、歪の少ないものにしなければならなかった。しかも10倍ズームに加えカム式マニュアルの仕様も求めた。ここまでのスペックにしないと映像クリエイターを納得させることはできないと考えたからだ。この要望にレンズ担当者は悲鳴を上げた。「ワイド重視にするなら10倍ズームをあきらめてくれ。放送局用でさえも大多数のレンズが1桁の倍率なんだよ。その上、カム式のマニュアルだって!どれかひとつにしてくれ!」「そこをなんとか…。私たちは他に負けないビデオカメラをつくりたいんです。」そんなやりとりが何度も続いた。猛烈な反対を受けて、どれかひとつに絞ろうか…と妥協に走りかけていたある日、レンズ担当の日野さんと階段ですれ違った。「石井君、いろいろ考えてみたけど、やってみないとわかんないし、とりあえずやるだけやってみるわ。」 人一倍カム式にこだわっていた彼が動いてくれる。「お願いします」 私は天井をじっと見つめた。目にあふれるものをこぼれ落ちさせたくなかったのだ。
 
約半年が過ぎた2002年の3月、サンプルが上がってきた。11群15枚構成。35ミリフィルムに換算して焦点距離32.5〜325ミリというワイド重視の10倍ズームレンズ。しかもカム式のマニュアル対応だ。フォーカスリングは微妙なコントロールができる通常の倍のピッチになっていた。この加工でも専門家が何人も泣いた。民生用でも技術提携しているライカ社のアドバイスも数多く取り入れた。このような前代未聞の高性能レンズ「ライカディコマー」が私の目の前で誇らしげに鎮座ましましていた。
 
CCDの開発も至難を極めた。11群15枚構成という多くのレンズを使いながら、目標スペックを最低照度3ルクスという高感度に設定していたからだ。24Pモード撮影して業務用にふさわしいクオリティの画像を得るためには譲れない数値だった。CCD事業部は、これまで培ってきたプログレッシブCCD技術やオンチップレンズ技術などを駆使し、このハイスペックを実現してくれた。辛い過程を経てこれまでにない1/3インチ41万画素の高感度プログレッシブCCDが誕生した。
 
数々の試行錯誤の末、DVX100の内部仕様はほとんど完成に近づいていた。何度も繰り返される仕様変更にもめげず、三木さんをリーダーとするデザインチームはモックアップを作り続けてくれた。その数は最終的に7つに及んだ。通常の開発では、せいぜい3つ作ればいい方である。今回はその2倍以上作ったわけだ。さらに、彼はモックアップを仕上げる度に社内外でのヒアリングを繰り返した。持った時のバランスはどうか、ひとつひとつのスイッチの使い勝手はいいか、カラーは映えているか…。1回のヒアリングは2〜3週間にわたり、50人以上の声を聴くというものだった。そして、その結果をデザインに反映させた。ヒアリングさえ行わない開発が多い中、彼のDVX100に対するこだわりは周囲を驚かせた。彼の姿勢が内部パーツ担当のメンバーたちをさらに奮い立たせていたのも事実だった。
 
レンズやメカニズムの仕様が変わるたびに、彼はデザインを変更し、常に重量バランスの取れたフォルムに作り上げてくれた。グリップのフィット感にも細心の注意を払っていた。そして、レンズフードに、スイッチの形状に、カラーに、映像クリエイターたちから「にくい」と思われるような工夫を数多く投入した。そして、ついに、新しい市場を創造するフラッグシップモデルにふさわしいコスチュームが出来上がった。
 
2002年8月。望月さんと三木さんがresfestに出かけてから11ヶ月、ブレーンストーミングがスタートしてから1年半余り。ようやく、私たちが求めていた「つくりたかったビデオカメラ」が完成しようとしている。果たしてDVX100は、市場に新しい風を巻き起こすことができるのだろうか。不安と期待が入り混じった複雑な心境で、私たちは発売の日を待っていた。
 
(つづく)
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