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熱志のレゾナンス
第1話 喝采
第2話 決起
第3話 旅立
第4話 過忙
第5話 光明
第6話 歓喜
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第2話 決起
  
あれは、2000年の秋。当時、私の頭の中は漠然とした憂鬱に占拠されていた。業務用ビデオカメラの新製品を発売して間もない時期だった。普通なら、市場に製品を送り出した満足感や達成感で胸がいっぱいになっているはずである。でも、私の気分は、まったく逆だった。得体の知れない虚無感が、私の背中に張りついて離れなかった。
  
ビデオカメラのマーケットは、大まかに3つに分けられる。ひとつは、ハイエンドとなる放送局。これは、車に喩えるならF1のような世界である。コストに糸目をつけず究極のハイクオリティが追求されている。もうひとつが民生用のマーケット。旅行や子どもたちの成長記録などファミリーユースに対応するためにコンパクト化&ロープライス化が重視されている。いわばスモールカーの世界だ。そして3つ目が業務用ビデオカメラ。先のふたつのマーケットに挟まれて存在し、ビデオジャーナリストと呼ばれる映像を使った報道関係者やブライダルを撮影するビデオカメラマンたちがメインターゲットとなっている。車の世界で言えば、2シーターのスポーツカーのような存在だろうか。
  
2000年当時、私が担当する業務用ビデオカメラ市場は停滞気味だった。その大きな原因はふたつある。ひとつは民生用市場のビデオカメラの高性能化。デジタルフォーマットの進化やCCD画素数の高密度化でさらに高画質&コンパクトになった。画像の美しさ、機動性の高さから、ビデオジャーナリストやブライダルカメラマンが民生用のコンパクトなビデオカメラに走りはじめた。民生用でも満足のクオリティで撮影できる。コストパフォーマンスを考えたらこれで十分…と言うのだ。確かに、彼らの言う通り民生用と業務用機器の差はほとんど無くなろうとしていた。
  
もうひとつの原因が一社の寡占市場だったこと。1995年に登場したS社の製品は業界を席巻した。2000年5月にその後継機が投入されシェアを引き継いだ。機動性が必要な取材で使われる放送局の“サブカメラ”にも、ほとんどそのモデルが採用されていた。他メーカーの後続機は、そのモデルに追随するか、おこぼれのような隙間市場を拾うしかなかった。残念ながら、私たちも例外ではなかった。
  
こんな市場環境の中、私たちは新製品の開発に着手した。「上」からは、「販社からの要望で、昔からうちでやっているVHS肩のせタイプの延長線上の、安いデジタルビデオカメラを上げてほしい。」との指令が出ていた。
  
「いったい誰のために、何のためにビデオカメラをつくっているのだろうか?」 私の頭の中に、そんな疑問が湧き上がってきた。その想いは一瞬怒りになり、すぐに諦めに変わった。どうせ上司の要請に反するような開発はできっこないのだから…。S社のモデルを超える新製品をつくろうという前向きな意志は湧いてこなかった。思考は止まっていた。私の周囲で、動いていたのは空虚な時間だけだった。
  
やがて、新製品は誕生し、市場へと旅立っていった。私という歯車は上からの指令を遂行するためだけに動いていたのだ。そんな自己制御のできていない歯車たちが、なぜだか集まり、かみ合いながら惰性でプロジェクトは進行した。そしてなんの感慨もない製品を世に送り出してしまった。買った人に喜んでもらいたい、ということが目標ではなく、上からの指令をこなすことだけが、私たちの目的になっていたのだ。それはちょうど、チャップリンが『モダンタイムス』で描いたような、虚しい作業の繰り返しだった。私の心の中には憂鬱が居座り続けるようになっていた。
  
そんなある日のランチタイム、ひとり私は食堂で、食べ残したパスタをフォークでつついていた。食欲はあまり無かったのだけれど、少しは腹に入れておかないと…と思い、食べ始めたが、やはり皿の上の料理をすべて平らげることはできなかった。残してしまったという申し訳ない気持ちがパスタへの未練となって、フォークを持つ手を動かしていたのだった。心は空っぽだった。
  
ふと目の前に人の気配を感じた。とたん「ここ、いい?」と明るい声が飛んできた。聞きなれない声に顔を上げて、よく見ると、その主は望月さんだった。彼は、15年以上もの間、業務用VTRの設計一筋に携わってきた技術者であり、会社の大先輩である。VTR部分のエキスパートとして、途中からではあったが安い肩のせタイプの開発にも参加していた。いわば私のチームメイトだった。ただ、私はカメラ部、彼はVTR部の担当だったので、そう深い交流があるわけでもなかった。私は少し緊張した。しかし、彼の気さくな笑顔は不思議と私の気持ちを解きほぐしてくれた。「あれ、食べ残ししてるの?バチが当たるよ」 彼はニコニコしながら私の皿に目をやった。
  
「ところで…このままでいいのかなぁ、石井君…」 しばらくの間、私の近況などを尋ねていた彼が、突然切り出した。もう目は笑ってはいなかった。「僕もモノづくりをしている人間だから言うんだけど、今の開発のやり方じゃだめだと思うんだ。上から言われたことを作業的にこなしてるだけだろう?」 私は諦め顔で答えた。「だって上には逆らえないじゃないですか」と。望月さんが返した。「そんなことだから、業務用ビデオカメラの仕事が尻すぼみになっているんじゃないかっ。かつては僕たちにもEZ-1という注目を集めたモデルがあった。あの頃は現場も熱かったんだよ…」 確かに彼の言う通りだった。誰も市場の本当の姿を見ていないし、誰もつくりたいものをつくっていなかった。製造ラインに製品を載せること、上からの指示をこなすことが目的になっていた。「こんなことじゃ、本当に使う人に喜んでもらえるモノがつくれるわけないですよね。」 私は望月さんの顔を見つめながら答えた。「でも、具体的にどうしたらいいか、わかんないんです。」
  
「僕らがつくりたいと思うモノをつくろうよ。本当のモノづくりをしよう、石井君。そんな想いを持った人間は社内にたくさんいるはずだよ。そんな仲間を集めて意見を交わす場をつくろう」 望月さんは自ら考えたプランを語りはじめた。愚痴や文句のレベルでもいいから今の業務用ビデオカメラに対する想いをぶつけられるような集会を開くこと。営業からデザイン、設計、企画など部署にかかわらず人を募ること。このブレーンストーミングを定期的に開くこと、そこで生まれたプランを上に提案すること、などなど。私は、ぶん殴られたような気分だった。「そうか。そんなやり方もあったんだ。」 私の目からうろこが落ちた。今まで何も事を起こさずにひとりで諦めていた。とにかくみんなで動くんだ。そこからすべてがはじまる。「いっしょにやりましょう、望月さん。」 思わず大声になった。同じ想いを持つ仲間がいた。何よりもそれが、私にはうれしかった。
  
それまで私を支配していたモヤモヤが、嘘のように消え去った。ひとりじゃない、仲間がいる。本当のモノづくりをしようとしている人々が私の周りにいてくれる。私の心の中には、憂鬱に代わって勇気が満ちあふれてきた。望月さんとの出会い。それは、私のターニングポイントとなるエポックメイキングな出来事だった。
  
翌月の2000年12月からブレーンストーミングがはじまった。会社の正規の勤務ではない。いわば秘密会議である。だから、就業時間外のことになる。もちろん残業手当も無い。にもかかわらず、さまざまな部署から、いろんな有志たちが集まってきた。望月さんと私が声をかけた者、人づてに話を聴いて参加した者…。平均年齢は35歳。いわゆるXジェネレーションと呼ばれる経験と若さを併せ持つ世代。みんな業務用ビデオカメラに対して強い想いを持つ人ばかりだ。十名ほどが小さな会議室に篭るブレーンストーミングは長時間にわたり、熱気を帯びた発言が数多く出された。「S社のモデルにもう少し似せてくれたら購入を検討してもいいんだけれど…」と言われたと悔し顔で語る営業担当者。「とにかくメカが収まればいいんだから。凝ったモノはいらないよ」と意欲をそがれたデザイン担当者。最初は、愚痴や不満が多かったが、3週間に1度のインターバルで定期的にブレーンストーミングを続けていくうちに、みんなの発言は前向きなものに変わっていった。「報道なんかでは感度が重視されるから夜でもきれいに映せる超高感度タイプなんかが喜ばれるかも」とか「それ1台で編集までできるようなビデオカメラがあれば受けるんとちゃう?」とか「ネットを使って情報を伝送できるようなものもいいね」とか、実現できるもの、そうでないものを含めて、メンバーの業務用ビデオカメラに対する思い入れが語られるようになった。時には熱くなりすぎて交わす言葉が荒くなることもあったが、「つくりたいモノをつくろう」というひとつの想いで、みんなの心がつながっていた。私たちは一塊の発熱体になろうとしていた。
  
世紀をまたいで2001年になり2月を迎える頃には、私たちの「つくりたいモノ」のコンセプトがおぼろげながら見えはじめてきた。それは「フラッグシップモデル」づくり。「高感度・高画質」「優れた操作性」「小型・軽量」という基本スペックの高さに加えて、私たちが「とんがり」と呼んでいる独自の特長を持った業務用ビデオカメラ…そんな像が、浮上してきた。しかし、具体的な姿が見えたわけではなかった。漠然と「前回の肩のせタイプのような開発はしたくない」という共通認識があったに過ぎなかった。まだまだ夢を見ているだけの段階だった。私は今までのブレーンストーミングが徒労に終わりはしないかと不安だった。参加していたメンバーの誰もが同じ不安を持っていただろうと思う。みんなで夢を追いはじめたのだ。もう後戻りすることはできない。前に進む他は無いのだ。私たちには、自分たちの想いをぶつけるステージが必要だった。
  
(つづく)
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