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西洋の食卓に根づいた、日本の技。〜ホームベーカリー〜
TOP家庭で「焼きたてパン」を・・・夢のはじまりマシンにパン職人の「手」と「技」を!?感動の国内デビュー、そして世界の食卓へローカルテストキッチン、大奮戦健康志向を背景に、祈、ブーム再燃
第1話 家庭で「焼きたてパン」を・・・夢のはじまり

 
文/カワハラトモコ
大のパン好きライター。
イギリス留学時代の習慣が抜けず、今も毎朝トーストと
マーマレードが欠かせない。
後片付けがラクなのも、その理由!?
文/カワハラトモコ

 
めての海外旅行でパリを訪れたとき、パリジェンヌを気取って歩きながらバゲットをほお張ったことがある。ただのポーズのつもりがあまりのおいしさにハマり、観光そっちのけで翌日もそのまた翌日もパン屋に出向いた。私のパン好きの始まりである。帰国して、パン好きの人達が集う「パンの会」に入会。国内のおいしいパンを食べ歩こうと決意し、会報誌に紹介されていた数々の店へ足を運んだのはもちろん、直接出かけるのが難しい山奥のパン屋に至っては宅配注文して取り寄せた。けれども自分で作ったのはほんの2、3回。自身の不器用さを棚に上げていうが、労多くして功少なし。やっぱりパンは職人にしか作れない・・・と見切りをつけていた。

 

 
 
時を経て、イギリスに留学していた折のこと。下宿先の家主のもとに、大きなクリスマスプレゼントが届いた。中に入っていたのは、真っ白なパン焼き機。翌朝、パンの焼き上がる匂いで目覚め、ドキドキしながら食べるとこれが抜群においしい。その日を境に毎食2枚以上いただく習慣がついた。「やっぱりホームメイドはいいよね」そういう私に、冗談好きの家主はにやっと笑う。「ホームメイドじゃないよ、ジャパン・メイドだよ」家主がマジック・ボックスと呼んだそのマシンは、Panasonicのホームベーカリー。いつもは辛らつなブラックジョークばかり放つイギリス紳士を、この魔法の箱はうならせた。日本では発売当初こそ爆発的なヒットとなったものの、その後下火になった感のあるホームベーカリーをイギリスで再び目にするとは! しかも、ヨーロッパではホームベーカリー用のレシピ本も続々と出版され、その勢いはますます増しているようなのだ。こんな実態を目にすれば、その仕掛けを知りたくなるというもの。そのひそかな想いが通じたのか、ついにホームベーカリーの産みの親ともいうべき方々にお会いできることになった。
イギリスに留学していたころの私
イギリスに留学していたころの私。右側奥に写っているのが、ホームベーカリーで焼いたパン。

 
家主夫婦のサラとマーク
お世話になった家主夫婦のサラとマーク。二人ともグルメで料理上手。中央がくだんのホームベーカリー。

 
その夢は19年前に始まった
「『ホームベーカリー』のアイデアは、社内にあることはあったんです。でも当時はパンが食卓にのぼる回数がようやく伸び始めていた頃で・・・本当に商品として成り立つのか、手探りの状態ではありましたね」
 
そう語るのは、くらし環境開発センター 主任技師の田中郁子氏。何を隠そう、この人こそホームベーカリーを世に送り出したキーパーソンだ。
 
今をさかのぼること19年前の1984年。社内では、炊飯器事業部と回転器事業部、電熱器事業部が統合し、電化調理事業部が発足した。炊飯器のマイコン技術、回転器のモーター技術、電熱器の温度制御技術。「何かこれまでのウチの技術を統合した、斬新な商品はできないだろうか?」そこで浮上してきたアイデアの一つが、自動製パン機--- 後に一世を風靡することになる、ホームベーカリーだった。
 
現 くらし環境開発センター生活科学グループ 主任技師 田中郁子氏
田中郁子氏
現 くらし環境開発センター
生活科学グループ 主任技師
同志社女子大学家政学部卒業、同大学院修士号取得。
入社以来、一貫して調理ソフトの開発に携わる。
「調理科学をずっと追及してきた私には、調理家電の開発は天職かもしれませんね」
空前の好景気が沸き起こる直前のこと、人々の生活は急速に豊かになり、食のスタイルも変容しつつあった。「今は朝のパン食派が増えてきているらしい」「ご飯派が『炊きたて』にこだわるように、パン食派も家庭で『焼きたて』を食べたいのでは」「それも手軽にできて、おいしいものを」そんな潮流を敏感に察知した事業部では、さっそく市場調査に出た。すると、朝のパン食とご飯食はほぼ同程度の割合であること、また、グルメブームを受けて「焼きたてのパン」を売りにするベーカリーの台頭が目立っていることがわかった。これはいける、と田中さんは確信したという。
お話を伺いながら、ちらっと自らの記憶をたどってみた。当時、確かに我が家の朝食はパン、だった。近所では、「ベーカリーも兼ねたケーキ家さん」が続々とオープンし、焼きたてパンの香りを漂わせていた。私も縦長のフランスパンを見て、胸躍らせたものだ。なるほど、確かにあの頃の時代背景や、人々の焼きたてパンに対する興味や憧れの気持ちも、ホームベーカリー誕生の追い風となったと言えるだろう。
 
プロジェクトチーム発足と聞いて、田中さんは喜びに胸を躍らせた。大学では家政学部の調理科学を専攻。様々な食材を、どう調理すればおいしく食べられるのかについて研究していた。
 
「例えば、お芋の煮っ転がしでも、切り方や加熱条件ひとつで出来上がりの味が随分違ってくるでしょう。せっかく調理するのなら、おいしく出来上がる方法を知りたい。そしておいしく食べたいじゃないですか」
朝ごはんの主食は何?(1984年の調査より)

 

 
 
どうすればおいしくなるのか。「おいしい」とは何なのか。昔から研究熱心だった彼女は、ゼミの恩師の、調理ソフトの開発なんか向いているのでは、という勧めで松下へ入社していた。その恩師の専門分野が「パン」。田中さんは、パンづくりにおける調理科学的な奥深さ、それゆえの面白さを知っていた。開発意欲に燃えた。
 
「私にやらせて。やってみたい」
 
だが、いかんせん世界初の試みである。当初、社内には否定的な声も少なくなく、パンを知っている人ほど、できるわけがないと反対した。当時の上司に話を持ちかけると、「だいたい家で作るパンは、イーストくさいしなァ」と、消極的な返事が返ってきた。でも、皮肉なことにそうした声は、田中さんのやる気をさらに刺激するだけだった。
 
「イーストくさくなるのは、『練り』が足りないだけ。家庭でも、技術次第でいくらでもおいしいパンは焼ける。そのことを身をもって証明しようと思った」
 
当時の開発スタッフ
当時の開発スタッフ。
田中さんは自宅でパンを焼き、会社の皆に配って回った。はじめ「家庭で作るパンはイーストくさい」と言っていた上司からも、田中さんの手作りの味にピンとくるものがあったのか、とにかくトライしてみようとGOサインをもらうことができた。こうしてついに、本格的なプロジェクトが作動し始めることになる。

 

 
おいしいパンのスタンダードを探せ
実際に商品開発を始めるにあたり、焼きあがりの目標となるパンの姿が求められた。山型でカタチのきれいな食パンを作ろう、という基本コンセプトはすぐ固まった。しかし、次の疑問には、誰も答えられなかった。
 
「おいしいパンって、・・・どんなの?」
 
プロジェクトチームが最初に直面した問題。それが「パンの『味』について、特に基準となるものが存在しない」ということだった。例えばお米の場合で考えてみよう。おいしいご飯ならば、「炊きたてのあのツヤ」、「ほんのり甘い、あの味」・・・と、日本で生まれ育った人なら、誰でもある程度のおいしさの基準を持っている。だが、パンとなると・・・。私もいろいろなパンを食べてきたが、どういうパンがおいしいのかと問われると、即答できない。ふわふわっとした?もちもちっとした?そんなあいまいな表現では心もとない。そこで田中さんの取った作戦は?
 
「とにかく目指すモデルがないと、話が進まない。それで早速、実際に人気のあるパンを買い集めて、トコトン試食することにしました」
 
田中さん始めソフト開発の担当者達は、関西で評判のパンを片っ端から買い集めた。名高いベーカリーはもちろん、大手パンメーカーも、一流ホテルも視野に入れた。
 
「買い集めたのは、主に食パン。全部でざっと40社分はありましたね。しかも、各社・各店とも数種類ずつありましたから、実際に試食したパンの数は、ゆうに100を超えます」
 
ひゃ、100〜?しかも食パンばかり、である。いくらパン好きの私でも、短い期間にこれだけの数を試食するとなると、さすがにウンザリしてしまいそうだ。しかも何を基準に「おいしい」とすればよいのか・・・。味を比べるとしても、最後のほうではわけがわからなくなるだろう。当時の田中さんたちプロジェクトメンバーの根気と熱意には脱帽だ。
 

 

 
 
独自の評価基準をもとに、地道な試食作業を続けて半年たったころ、目指すべきパンの方向性が少しずつ見えてきた。一つは、毎朝食べても飽きのこない、他の食卓メニューとも合う味。もう一つは、一流ホテルの朝食に出されるような、本物志向の味だった。
 
「そしてついに、目標とするべき食パンが決定しました」
 
それが、当時プロの間でも高い評価を得ていた大阪国際ホテルの食パンだった。
 

 

 
 
「噛みごたえがあって、キメがしっかりしている。そして、何よりここのリーンなパンは、どんな食事にも合うという結果が出た。まさに仮想ターゲットとして最適でした」
 
偶然にも大阪国際ホテルの当時のチーフ、木村昭シェフと田中さんは、大学時代から「師匠と弟子」の関係だった。大学のゼミの研究で田中さんは、彼のパンづくりの現場を何度も訪れたことがあった。
 
「当時から、彼のつくるパンのおいしさには、誰もかないませんでした。そのお師匠様の『技』を、いかにして形にしていくのか・・・。とにかくやるぞ、という気持ちでいっぱいでした」
 
さあ、田中さんの闘いは、いよいよこれからが本番!
木村昭先生と別所先生
右から三人目が元大阪国際ホテルのチーフシェフ、木村昭先生。 一番左、後ろに立っているのが 田中さんのゼミの恩師、別所先生。

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