• Facebook
  • Twitter
  • Instagram

パナソニック インパルス:月刊HUDDLE MAGAZINE 2023年度 第6回

「月刊HUDDLE MAGAZINE」Vol.109 2023年8月号にて、TE/OL #85/75 小西俊樹選手のインタビュー記事が掲載されました。

先輩たちが紡いでくれたインパルスの価値を
次世代に繋いでいきたい

TE/OL #85/75 小西俊樹

大阪学院大学出身
パナソニック株式会社 エレクトリックワークス社
ライティング事業部勤務

『一人のスターに頼らない全員フットボール』。2年連続ライスボウル進出を果たした強豪、パナソニックインパルスには創部以来貫かれている哲学がある。主力メンバーは大学時代の有名選手ばかりではなく、無名だった選手が欠くことのできない存在へと成長を遂げている例も少なくない。大阪学院大学出身のOL/TE小西俊樹は、入部当初はレベルの違いに心が折れそうになった時期もあったという。しかし、昨年、一昨年と主将を務めるまでに成長を遂げた存在だ。


―― フットボールを始めたきっかけを教えてください。

小西 5歳から野球を始め、大阪学院大学でフットボールに出会うまで野球一筋でした。中学3年時にはボーイズリーグの全国大会で優勝したこともあります。いわゆるエースで4番、主将でした。
大学はプロ野球選手を輩出している強豪・八戸大学(現八戸学院大学)に推薦で入学しましたが1年で中退しました。教員免許を取得しつつプロ入りを目指そうと思っていたのですが、授業に時間を取られるためどちらかを諦めなければならなかったんです。
入り直した大阪学院大学で、自分は野球だけでないところを見せたいと思っていたタイミングで、アメリカンフットボール部に勧誘されて入部しました。それまでフットボールは興味も無く、観たことも無く、まったく知らないスポーツでした。タイミングが違えば、他のスポーツをしていたかもしれません(笑)。
ポジションはサイズがあってボールもそれなりにとれるという理由でTEになりました。
フットボールは楽しかったですし、誰よりも熱心に取り組んだ自信もありましたが、チームは関西ディビジョン2の中堅で、個人的な賞も取れませんでした。
社会人で強いチームに入って、自分で納得いく結果を出したいと思い、インパルスに入部しようと思いました。

—— インパルスに入部し、納得いく結果はすぐに出せましたか?

小西 入部してすぐに、レベルの違いを痛感しました。スピードとパワーに圧倒され、『自分が来る場所ではなかったのでは』とすら思う時期もありました。TEとしてサイズはありましたが、基本的なテクニックがありませんでした。初めて先輩とヒットした時は衝撃でした。パントの練習の時に前の選手をブロックしようとしたら、目の前からいなくなっていて空振りしてしまったこともありました(苦笑)。
TEを2年間やりましたが、2013年にOLに転向しました。実質的にはTEをクビになったようなものでした。OLは今まで経験したことがなく、パスプロテクションの時によく仰向けに倒されてしまっていました。TEでもダメ、OLでもダメ。心が折れていた時期がありました。

—— 転機になったのは?

小西 2014年に加入した当時の米国人OLコーチが『お前はいいOLだ。殿堂入り選手になれる』と、事あるごとに褒めて、励ましてくれたんです。同時にOLのシステムもシンプルになり、思い切りかつしつこくプレーすることが強調されるようになりました。それが私のスタイルに合っていて、2015年シーズンから出場機会を得ることができました。

—— 2021年、2022年シーズンは主将を務められました。

小西 主将になる前、実は選手を辞めようと思っていたんです。膝を痛めて軟骨修復の最先端治療を受け、リハビリのために2020年シーズンは選手登録せずに、OLのアシスタントコーチをしていました。チームを俯瞰で見ることができたのは収穫でした。コーチの苦労が分かり、自分もチームの役に立ちたいという思いが強くなりました。
リハビリが終わり、2021年シーズンを前にあと1年選手を続けるか、辞めてコーチになるか迷っていたんですが、なかなかチームの主将が決まらなかったんです。試合に出場して活躍するのは難しいけれど、皆をまとめる役であればチームに貢献できるのではと思い、最終的には自ら手をあげました。
いろんなものを背負う主将はしんどいこともありましたが、意味のある時間だったと思います。
現在、会社でも中堅としてマネジメントや後輩の育成を担うようになってきましたが、インパルスでの経験が生きていると感じます。

—— 『チームのために』というマインドはインパルスで培われたのでしょうか?

小西 そうですね。入部した当初はインパルスの理念について、『理想論だな』くらいの感覚で、理解しきれていなかったと思います。
しかし、年齢を重ねるごとに、なぜインパルスがどんな経営状況の中でも廃部にならずに会社で何十年も存続しているのか、監督や部長がチームを守るためにどれだけ努力しているのか、周りの方達がどんな思いでインパルスを支えてくれているのか、いろんな面が見えるようになり自分自身の意識も変わっていきました。
現在のインパルスの活動が会社から認められているのは、フットボールを引退した後も仕事で結果を出してきた先輩方がいるからこそ。理想を真摯に追求し続けてきたからこそだと思います。私たちも後輩に繋いでいけるよう、自分ができることを精一杯していきたいと思います。

—— 今シーズンの目標は?

小西 主将を退きましたので、チームを大きく動かすことはできませんが、監督やコーチと連携を取りながら若い幹部が困っていることがあればフォローしていきたいと思っています。
選手としては去年からCにも挑戦しています。試合によってTEや負傷した選手の穴埋めなどユーティリティ的な出場になりますが、一選手として、しっかりと結果を残したいと思っています。

Toshiki Konishi

こにし・としき。1987年5月9日生。幼少期から野球に取り組み、中学3年時はボーイズリーグで全国大会優勝を経験。プロ野球選手を目指し金光大阪高校を経て、八戸大学(現・八戸学院大学)に進学。しかし、1年で退学し、大阪学院大学に再入学。フットボールを始める。学生時代はTE。2011年入社と同時にインパルスに入団。2021、2022年は主将としてライスボウル2年連続出場を果たした。184センチ130キロ。仕事では屋外照明の営業企画を担当している。

バックナンバー